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日記/At The Mercy

めずらしく六時前に目が覚めたので、散歩にでた。無残に溶けた雪の路地裏はどこも、筆舌に尽くしがたいひどい路面である。融けた線路のような道が、延々とつづく。踏み込んだ足が、不意に斜め三十センチほど崩れながら沈み、盛大に転ぶ。起き上がりながら、まず、周りに誰もいないかを確かめる。まったく、いたらどうだというのか。転びました、てへ、で解決する。見たぞ、覚悟しろ、転んだお前は、転ばない私より惨めで劣っている、あまりに情けないから、各種SNSで、お前の無様な姿を全世界に拡散してやろう、などと、益のかけらもない所業に、誰が出るというのか――出ないとも断言できぬ世の中ではあるが。ともかくも、それなりに痛いわたしの尻をいたわる方が、先である。など考えているうちに、尻をさすりながら、わたしはいつもと違う角を曲がっていた。細い川沿いのこのブロックは、再開発とは無縁の、低く薄暗い家並である。除雪車も入らない狭隘な路地に、荘、コーポ、ハイツ、二階建の賃貸が隙なく立ち並ぶ、いや、もたれ合っている。黒猫が、轢かれて、死んでいた。心臓がたしかに、縮む。これを見て、わたしはいったい、何をどう思い、何をどう思わなければよいのか、完全にこころの遣り場を失って、だから・・・凝視してしまう。だめなのだ。野良猫が不幸だ、とは言うまい。あまりに安易で脊髄反射的だ。しかし、にしても、当地の野良猫は、やはり恵まれているとは言えない。この身も埋まる深雪のなかで、小さく細い彼は、何を食べていたのか、おいしいもの、その存在を、知っていただろうか。毛皮を着てても、ただ寒かろう、生きるほか、狡知こうちもあるまいから、必死で生きていたのだ。車も、このひどい路面では、止まれなかったんだよ。なぜ、ここに生まれたのだろうな。そうやって、わたしは歩いているのだか、いないのだか、気づいたら、胸の高さまで埋もれた公園の鉄棒に、腰をかけていた。厭なものだ。まったく、厭なものだ。こればかりは、人間などの比ではなく、覆い隠したわたしの melancholy を、切り裂くように抉ってくる。猫は、いけない。ストックをついて、老爺が公園の周りを歩いている。うるせえ、勝手にしろ、と、柄にもなく、やつあたりの悪態をつきたい気持ちを抑えた。

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