オリンピックをしっかりと、せめて弔いたい――老と女

半年くらいぶりに、感じた、を少しだけ超えて、考えて書いた、気がします。それって、生物として、ではなく、人間として、生きる意欲なのかもしれない。相変わらず極度の恥ずかしがり屋で、最初の文体は力んで硬いですが、とても気に入りそうな文章です。

* 前書 *

民意、というものはかならず常に、語られたいかなる『民意』にも汲み取られなかった何かであるような在り方でのみ在り、ゆえに無謬を担保された歴史の最高決定機関であります。

民意は、厄介で微妙な舵取りにはいっさい参与しないパラダイスにおける but であり、ゆえに――『民意』ならぬ――民意の代弁者は、政治屋を傲慢な無能とし、実務家を冷血な人非人とし、研究者を世間知に缺けた頭でっかちとし、返す刀で革命者を閑文字に毒された異常者とし、庶民を好都合にいくつかに分断した上、上層は民意に反する非国民であるし中層は日々の安穏たる生活に固執する腑抜けであるし下層は学も良識もない論外であるし、よって何人もこの尊い民意を反映し得ない、と慷慨するのであります。

民意主義者には、慷慨そのものが目的であるから、彼/彼女/その人 にとって目障りなあらゆる他者は、無能か人非人か頭でっかちか異常者か非国民か腑抜けか論外であってもらわねば都合も気持ちも悪いのです。抽象的に怒り悶えている限り、その怒り悶えは「すべらない」のですから。日々、柴刈りに勤しむおぢいさんも真っ青の勤勉さで、慷慨の燃料を血眼で集めるものだから、彼/彼女/その人 にとって世界は言うまでもなく、慷慨の巣窟です。

さて対象を定めれば、後は COOKPAD もびっくりのお気軽な作業です。まずは(委細構わず)対象の属性を固定します。そして異なる属性の立場から、目を皿にして粗を捜します。捜した粗を人格まるごと滅多打ちにします。仕上げと後片付けと反省と、面倒な事は『民意』に任せます。何しろそのころには、次の作業で大わらわなのですから、どうでもよいことです。

* 本論 *

2020年『東京オリンピック』を巡る混迷は、ひとりふたりの「老」がどうこうできた水準のものではありませんし、幾人かの「女」に足を引っ張られ得る規模のものではありません。2回くらい深呼吸をすれば、とても得心のゆく事実です。一旦民意主義者の方を mute して、わたしなりに少しだけ静かに振り返ってみたいです。
弔う、とは、このようにありたい。

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主義のずっと遥か以前、とても多くのひとにとって各々の「古き良き」オリンピックがあったのだと思います。それは程度の差こそあれ、上向きの経済と生活水準、歩み寄りと平和への希望、努力と成果、(いくばくかの)国際化と(いくばくかの)ナショナリズム、そしてそれらを綯い交ぜにした日常のカタルシス、そのような明るい祭典であったのだと思います。たとえコーラとアクエリアスの味がしても。たとえミズノの登校靴が少し恥ずかしく感じられても。

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リーマンショックの頃からでしょうか、あ、これは本格的にガチの『スカ』だなと、かなり多くの人が体得しはじめた。ずっと前の第二次大戦は「日本が」弱く愚かだったと口舌良くまとめ、少し前のバブルは「日本が」調子に乗って下手こいたと反省し、それぞれの失敗を何らかのスプリングボードにしながら、無理くり前を向いてきた人たちも、これはどうもまずい、と分かった。 そして言わずに気づいた、ババを引いたら終わり、の時代が始まったと。

大事なことは、ババを引かずに美味い汁を見極めること、そしてとても多くのひとにとって、オリンピックは何だか実に美味そうな汁だった。経済と生活水準を見る人も、歩み寄りと平和を見る人も、努力と成果を見る人も、国際化とナショナリズムを見る人も、日常のカタルシスを見る人も、何だかぼくたち/わたしたちはこれを糧に、元気にやっていける気がした。

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2011年にあの震災があって、たくさんの人命が失われた。たくさんの建物と土地が流された。(いまの小中学生には信じられないだろうけど)福島第一原発の惨事で、関東はもう終わるんじゃないかという空気さえ蔓延した。遠くの美味そうな汁に過ぎなかったオリンピックが、復興やら絆やら勇気やらの新たな衣をまとう。批判も冷笑もない、あの時は間違いなく、あれが必要でした。

ただ、引き換えにぼくたち/わたしたちは、冷静で生産的で persuasive な話し合いの機会を失ったのも事実だ。とても大きな、それは 2021年のほとんどすべてを構成しているようにさえ思える、日本の思想とことばの転換点だった、そう言えばオーバーなのだろうか。
こんな比喩はあまりに不謹慎だろうか、信じられないあの津波で、ぼくたち/わたしたちの『先進国』の空意地も根こそぎ流された。

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もちろんこんなものは、わたしの思い出話に過ぎない。

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毎日喧しく語られる復興とはなんなのか誰も知らせられないままに、「絆」はだんだんと「進め一億火の玉だ」、そう聞こえるようになった。勇気はだんだんと千人針のようなものに思えてきた。

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原発反対と反=原発反対が――民意と民意が――親の敵同士のように罵り合うだけの舞台は、ネット上にもSNSにも十分に整備されていた。やがて何だかそのようなものにも飽き、あらゆる派と反=派は、惰性的に親の敵同士のように罵り合う充足感のみを、いまもなお無数の戦場で求めています。

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漁夫はいつも淡々と、魚は生臭い。
旧国立競技場ではいけなかったのでしょうね。千駄ヶ谷の小学生が力を合わせて考えた素朴なエンブレムでは恥ずかしかったのでしょうね。アメリカの放映権とかもとても重要なのでしょうし、それでマラソンは暑すぎるのだろうし、その辺はなかなか、わたしにはよく分かりません。

だって、あれからぼくたち/わたしたちは、殊にしっかり話し合うことを忘れているのだから。SNSはまた増えましたね。

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そして、いまも已まない新型肺炎の流行と恐慌。オリンピックは美味そうな汁、などとはよもや誰も思えない中で、ただ「損切り」の仕方を巡って飽きもせず親の敵同士のように罵り合う中で、ぼくたち/わたしたちは、上にずらーっと書き並べたような経緯を識ってか識らずか、もう正直な話、どうするかなんかどうでもいい。誰のせいにしてやろう、誰に幕引きさせよう、すべての漁夫を断罪してくれる、そんな自暴自棄に陥っている。なんだかまたSNSがひとつ増えたようですね。


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元首相の老人をこんな程度叩いても、何も変わりません。元首相の老人の譫言を論い女性が団結したところで、ゆえに何も変わりません。

これが、かの老人の擁護でもなく、女性差別と闘うムーブメントを否定するわけでもないことは明白だ。(もし万が一カチンときたら、2回読んでみて下さい。)

*まとめ*

最後にわたしの話をします。

わたしは筋金入りの HSP です。自称 HSP の方の多くが節穴に見えるほどの。滅多に公言しませんが。

2011年にわたしは「いち抜け」ました。その後も「いち抜け」続けました。わたしがいち抜けようがに抜けようが、どうせどうせで、どうせなのだから、と、どどっと疲れ果てました。
こころも身体も(もっとも、身体に関してはただのこじつけかも知れません; わたし自身はそうでないと感じていますが)、だいぶしっかりと「いち抜け」切れた気がします。

でも、ここしばらく、「いち抜けた」に飽きてきたように感じています。

それが、だんだん大きく分別がついてきた愛娘の影響だ、などと言えばまたいろいろと面倒でもありますが、それくらいにはいつでも俗物です。希いに反して、この子はとてもわたしによく似ています。

10年くらいじゃ、10年の崩壊を取り戻せないのは承知の上で、もうあれから10年ですね。日本はとても愛おしいですが、このような日本は少し面目ないので、そういう感じでわたしにできることも、この年ですが考えたりやったりしてみようと、久しぶりに考えたりしています。

もうどうやってもかっこよくはないから、せめて、きちんと損切りすることをきちんと引き受けられる老人をやることになるだろう。

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老人女性、わたしは好きです。

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