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「知らん者が口出ししよって」のバリア

歴史にせよ美術にせよ、タイトルみたいなバリアが、詳しい人と「やってみたい人」を隔てているように感じます。

私が大学で歴史学の勉強をしていた20年くらい前に比べれば、インターネット経由で手軽に情報を入手できたり、SNS経由で詳しい人側の発信に触れられたり、隔世の感はあります。
それでも、いまだにこういうバリアは存在していて、お互いの行き来をジャマしてるなあ、と思います。

この「知らん者」には、ふたつのニュアンスがごちゃ混ぜになっていて、
ひとつは字義どおりの「知識が少ない人」なんだけれど、じつは詳しい人側も、あんまり気に留めていない。
もうひとつ「土足でズカズカ踏み入る」感覚。これに神経を尖らせて、嫌って、タイトルの台詞が発せられると思うのです。
つまりは「私たちの活動をリスペクトしてくれ」という要求が、このメッセージに込められている。(って、イヤな書きぶりだろうなあ、詳しい人…)

仕事で陶磁器作品を扱いながら、結局茶道は習わずじまいだったけど、お茶席での振る舞いを例にすると、
お茶のたてられたお茶碗を出されて、お茶碗を手のひらで回して飲まなくても、激怒されはしない。(たぶん)
ただし「立派なお茶碗ですねえ」と片手でヒョイヒョイ高く持ち上げて眺めて、あきらかに雑に扱われると、トラブルに発展しかねない。

詳しい人が欲してるのは、事前に仕入れた予備知識などではなくて、歴史にしても美術にしても、それぞれのジャンルに対するリスペクトです。
(リスペクトがなくて予備知識が豊富な人は、トラブルメーカーになります。業務中たまに遭遇しました)

これも、文字にするとありふれた当たり前なことなんだけど、デリケートでこじれやすい問題なので、頭に浮かんだいまのうちに、書き留めておきました。

(ちなみに「予備知識の有無」だけで対応が変わる詳しい人もいますが、がんばって食い下がってもあんまり得るものはないので、スルーでいいと思います)

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