見出し画像

鎧を脱ぐお年頃

由佐さん(みいちゃん)と河本さん(ボビさん)の対話の場に触れる。不本意な現実。メンタルモデル。これから書くのは180分のこの場での経験とわたしが受けたものの感情や感覚を経て、野に放たれた気分になったわたしの事後整理をなぐり書きしたもの。

野に放たれる感覚を受ける前は社会にいるためのいろんな鎧をまとっていた感覚だった。仕事をするためや社会にいるための鎧。たぶんいくつも重ね着している。

「暮らし」を調べた。 次に「生活」。 そして「生きる」。生きるとは生命があり、活動できる状態にあるということ。意識的能動的に過ごすとも書かれている。

わたしの「〇〇に生きる」とは。ここにはなにが入るだろう。生きがいを見出して日々を送れるものはなんだろう。そこで「活動」を調べた。

そこには、ある動きや働きをする、とある。働きをするとは仕事をする、労働する、活躍する、稼ぎ、収入才覚とあった。 ほかには、物事に備わっている機能と書いてあった。わたしに備わっている機能はなんだろうか。わたしが好きなものが機能か。 得意なことが機能か。

社会にもいるからだれかに求められていることに時間を使った方がいいんじゃないか。ではわたしが求められることってなんだ。やってきたこととそれで身についたことか。人に聞いてみるのもいいな。じゃあだれに聞こうか。身近な人、これまで仕事を一緒にしてきた人か。

才覚という言葉を気になった。 才覚とは知恵。知恵は道理を判断し、処理していく心の働き。 相対世界に向かう働き。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。そう書いてある。

相対とは当事者同士が差し向かいで事を成すこと。わたし何の当事者なのか。これも人に聞くしかなのかな。わたしの知恵はどこでどう活かせるのか。わたしが寄り添える人、関係している物事はなんだろうか。 やっぱり周りにヒントがあるのかな。

取引や戦略のない世界にはあるのか。ないならつくるのか。つくるならどうやって。わたしに何ができる。自分自身と自分を知るために、わたしはききたい。 

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?