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いわゆるガクチカ

パソコンのデータを整理していたら、就活の時に書いた大学生活の振り返り(いわゆるガクチカ)が出てきた。改めて読み返してみるとぼく的に結構うまく書けてる気がしたから保存しておく意味でもnoteにコピペしておくことにした。(これを企業に丸々送ったことは無かったけど一回言葉にしたことで面接の時などでスラスラ話せるようになったから一応書いた意味はあったかな、、。)

ですます調の文章はどうしても硬くなってしまうから苦手です。
敬語自体があまり好きじゃないのは壁を感じるからだと思っています。
(↑ほら!)

敬語で話す関係がこれから増えるのだろうか。
あーめんどくさい!!!

外大編

私の学生生活は、コミュニケーションにおける英語の力を再認識すると共に、アメリカ合衆国・フロリダ州のR ・Collegeへの交換留学を通してこれまでに培ってきた常識や価値観を見つめなおす機会を与えてくれるものでした。大学2年生の時にカナダのH・ Collegeの教員から翌年の留学を視野に入れたWritingや Speaking, Presentation skillなどを英語で学ぶことが出来る1年間のプログラムに申し込んだことが、振り返ると後の大学生活をかけがえのないものにした重要な決断だったと感じています。帰国子女でもなく、翌年の交換留学以前は海外経験すらなかった自分にとって、ネイティブの教授によるFull Englishの講義や全員が1年以上の留学を目指しているクラスで過ごす日々は刺激に満ちたものでした。クラスに入った当初は、Speakingをこれまでほとんど練習したことが無かった為、ディスカッションをベースにした講義スタイルは非常に難しく、ついていくことに必死の毎日を送っていました。意見はあるのにも関わらず、それを十分に伝えられる程の英語力が無いためにディスカッションにおいて黙りがちになってしまう、文法の間違いを指摘されることを恐れて教授に話に行くことが出来ず仲良くなれないなど自分の至らない部分に嫌でも自覚的にならざるを得ない日々でした。それに加え、1年生の頃から断続的に続くオンライン授業の煩わしさと孤独感。そのような状況において、それでも前向きに英語と留学に向き合えたのは同じ志を持つ、自分よりもはるかに流暢に英語でコミュニケーションをするクラスメイトの存在が大きかったと思います。皆コロナ禍の時期に1年生を経験しており、サークルや部活動は勿論、友達も依然いないような状況で始まった2年生。来年本当に留学に行けるかもわからない先行きの見えないパンデミックの中、大学は対面授業とオンライン授業を生徒自身が自由に選択できるハイブリット授業を展開し、もぬけの殻となった校舎に20人全員のクラスメイトが学校に来ているのは私のクラスだけでした。誰ともすれ違わない広大な校舎の中で唯一見つかったパソコン越しでない関係を築ける場所であり、皆が留学という共通の目標を目指し切磋琢磨している熱を帯びた環境で関係性が深まるのは自然なことだったと思います。それはコロナによる一年間の大学生活の空白を補って余りあるものであり、逆にコロナ禍での1年生を経験していたからこそ得ることのできたものでした。この経験は、思い通りにいかなかった過去をただ悲観するのではなく、それを踏まえて今どうするかが重要であるという気づきを与えてくれました。教授にも恵まれ、留学先で必要なスキルを向上させるために一貫して計画された課題の数々。クラスメイトと共に大学が閉まるギリギリまで教室でお菓子片手にEssayを書き、PowerPointを作った翌日、一限目より早く集まってPresentationの最終練習をする慌ただしい日々は充実した大学生活の思い出であると同時に、英語を学ぶとはどういうことかを知った日々でもあります。
言語を学ぶということは他分野とは少し異なる学習経路をたどるのではないかと考えます。多くの学びは吸収と蓄積に重きを置いており、学習することは「自分の内」を豊かにするものであるのに対し、英語のような言語は吸収され蓄積された後、それがどのように使われるかが重要で、言語を学ぶことは「自分と他人の間」を豊かにするものだからです。小学生から続けてきたインプット型の英語学習とは異なるアウトプットを重視した講義によって英語が伝わるという喜び。生まれた国も、母国語も異なる教授たちとコミュニケーションを経て仲が深まっていくこと。婉曲表現が少ない英語だからこそ伝え、共有することが出来る意見や感情があるということ。コロナ禍によって他人との関りを切望していた当時の自分には、これらは十分に英語を学ぶ動機となるものであり、これまでの受験で高得点をとるための勉強ではなく、英語を「言語」として学んでいるという実感は学習を継続するための大きなモチベーションになっていました。さらに、自分にとって英語を学ぶことは意見を他者に伝えるための手段(道具)であり、英語を使って何を伝えるかをより意識するきっかけともなりました。
大学の授業で一番印象に残っているのは、日本文化を扱った「Japanese Mind」という講義です。私は英米語学科の文化コースに属しており、それまでにもアメリカ学やイギリス文化論といった講義を通してそれぞれの地に固有の歴史や宗教観、社会問題などを学んでいました。しかし日本文化を英語圏の作者が書いた本を通して見つめ直すその講義は私に、文化を学ぶということの難しさを強く印象付け、後に留学先大学で異文化の人々に日本について説明する時や、人類学を学ぶときに非常に役に立ちました。文化というものは一口に語れるものではなく、複雑で時代と共に変化し続ける流動的なものです。そのため、私たちが文化を学ぶ時、それは多くの場合固定化・簡略化されたものであり、歴史や宗教といった特定の視点に立って理解されることが多くあります。それは文化を学習するうえで避けては通れない不可分な作業ですが、そのような作業が施されていると理解しているかどうかは大きな違いがあると考えます。Japanese Mindという講義で学んだことは「英語文化圏で育った筆者から見た日本文化」であり、実際に日本で生活している私の認識とはずいぶん異なったものでした。例えば、筆者は日本人が家に帰ってきて真っ先に手を洗う文化を神道の禊と払いの概念を使って説明していますが、おそらく多くの現代人は手洗いを単に衛生行為として行っていると思います。一方で、日本文化の中にいるからこそ意識していなかったことが、言語化され初めて発見するということもありました。日本文化において黙ることはその時々の状況によって、敬意の表明や同意、否認など様々な意味を持ちます。このことを筆者は「日本人は日本語と沈黙という二つの言語を用いて意思疎通を行っている」と表現しており、その日本特有の文化を意識するきっかけになりました。これらと同様に、私がこれまで学んできた文化論は「日本人から見たアメリカ文化史」であり、「日本文化と比較したイギリス文化論」でした。その文化に属している人々が必ずしも自国の文化について最も理解しているとは限りませんが、異文化を学習するという行為は文化のある側面を切り取ったものになり易く、そのことに自覚的にならなければいけないと知りました。
コロナウイルスのパンデミックによって私の大学生活は高校生の頃にドラマや小説から想像していたようなものとはかけ離れたスタートを切りましたが、振り返るとH・ Collegeの教授と日本文化のスイカ割や手持ち花火を一緒に楽しんだことや、数多くのグループワークやプレゼンテーション、留学準備を経てこれまでの人生の中で最も“密”な関係を尊敬できるクラスメイトと築けたこと、そして何より○○大学を選んだ一番の理由である交換留学が出来たことなど、結果的に想像していたよりもはるかに実りある充実した大学生活を送れたこと嬉しく思います。
 
R・ College 編
私は2022年の8月中旬から2023年5月中旬まで約9か月、全2学期間の交換留学をアメリカ合衆国・フロリダ州のR・ Collegeで行いました。英語の習得を目的とした語学留学とは異なり、大学内の寮で3人のルームメイトと共に生活し、現地の大学生と共に講義を履修しました。この留学を通して私は人の多様さを身をもって知り、人と異なるということを肯定的にとらえることが出来るようになりました。
R・ Collegeでは社会学をはじめ、美術史、環境学などを学びましたが中でも一番印象に残っているのは同じ教授の下2学期連続で履修した人類学(Anthropology)の講義でした。1学期目に「人類学とは何か」というイントロダクションのコースを履修した後、人類学の中でも「健康」に焦点を絞ったGlobal Healthというコースを履修しました。全体で20人程の講義は、予習としてその週に学習する内容に関する資料を事前に読み、理解したことを基にディスカッション形式で進む為、発言の機会も多く、能動的な授業参加が求められ一番大変な科目でしたが最も多くのことを学んだ科目でもありました。内容は、世界各国の医療インフラ格差とそれに付随する貧困などの社会問題(Structural Violence・Syndemic)や、時代が進むにつれて精神疾患の種類が増え診断の基準が緩くなっていることが示す世界的な医療化(Medicalization)の潮流、依然は宗教が規定していた「どう生きるか」「どう死ぬか」といったことが政治の領域へと移り変わることを意味するバイオポリティクス(Biopolitics)についてなど多岐にわたっていましたが、講義全体を一貫して「健康とは何か」という視点が重要視されていました。WHOによる1948年以降変わらず健康をPhysical, Mental, Social well-beingに分けて捉える定義には疑問点も多く、それ自体が強国によって形成された西洋的な健康概念であり、植民地時代の名残を引き継いでしまっているという指摘もあります。しかし昨今のパンデミック然り、国境をまたいだ人的移動が増加している現代において包括的で国際的な健康に対する取り組みの重要性は増しており、人類学は「健康」という文化的影響を強く受ける概念に対して国を跨ぐ公正で効果的な視点を提供できるのかということがこの講義全体のテーマとなっていました。扱うテーマは時に政治やジェンダー、宗教などセンシティブなものへと及ぶこともありましたが、かえってそのような話題の時にこそ、各々が自分の意見を主張することの重要性を再認識しました。アメリカでの生活を通して感じた日本との一番大きな違いは人々の多様さです。それは肌や目の色といった容姿だけでなく、それぞれが生まれ育ってきた背景による行動や考え方に表れており、共にオリエンテーションを受けたインターナショナル生には50を超える国々の出身者がいましたが、そのような環境においては人と異なる意見や常識を持つことは特別なこととはみなされず、むしろ普通のことです。そのため、事なかれ主義の日本とは対照に、アメリカ(少なくともR・ College)では意見の対立や相違は忌避するものではなく人と積極的に関わっていくための理由ととらえられているように感じました。それは日本で生まれ育った私にとって新しい視点をもたらし、「異なるバックグラウンドを持つ人々が互いに尊重し合い、対話を通して妥協点を探っていくこと」が一人では生きていけない私たちにとって唯一状況を改善する手立てなのだと身をもって知るきっかけとなりました。ディスカッションベースの講義を現地の大学生と共に受講することは決して簡単なものではありませんでしたが、想像していた以上に多くのことを学ぶことが出来ました。
一方、学生生活ではThanksgiving休暇に、大学でできた友達に招待してもらったにペルーの彼の実家に訪れたことと、冬の長期休暇中に参加した大学主催のボランティアプログラムが印象に残っています。日本ともアメリカとも全く異なる文化や経済を持つペルーで過ごした6日間はとても刺激的で未知の場所へ行くことの楽しさを教えてくれました。ボランティアプログラムはフロリダ州の南に位置するエバーグレーズ国立公園での自然保護活動を行い、国立公園に勤務する生物学者の方からエバーグレーズの地形や、歴史、生物多様性の大切さなどについてレクチャーを受けました。5泊6日のプログラムで、環境学を専攻している学生ら12名と寝食を共にし、毎日夜に設けられたミーティングセッションでその日感じたことや考えたことを話し合うなど、朝から晩まで予定が詰まった充実した時間を過ごせました。ゴミでいっぱいだった草原を半日かけて掃除し終わった後、夜に皆で入ったレストランで食べたハタハタのフライの美味しさは忘れられません。国立公園は自然が豊かなフロリダ州を象徴したような場所で、ワニをはじめ様々な日本では見たことの無い野生の動植物を見ることができ、スマホのカメラロールにはその時の写真が大量に保存されています。エバーグレーズ国立公園の位置するマイアミは主にビーチなどで観光地としても有名ですが、その弊害としてごみの不法投棄によるマナティーの生息数の減少など環境破壊が問題になっています。知らない地に行くことはそれだけでとても楽しいことですが、旅行ではその地や文化についての深い理解を得ることは難しく、今回の留学のような長期間滞在、もしくはその場所をよく知る人たちと共に過ごすことで初めて見えてくるその地の新たな側面もあると気付いた学生生活でした。
 
R・ Collegeで過ごした9ヶ月は、語学力は勿論のこと、たくさんの気づきと一生モノの思い出を与えてくれた、これまでで最も早く過ぎた9カ月間でした。海外経験がなかった私は留学以前、ここ(日本)ではないどこか(海外)に漠然とした夢を見ていましたが、留学を通してそれぞれの場所にはそれぞれの良い点・悪い点が存在し、絶対的に良い場所は存在しないということを知り、その中で自分に合った地を選び創ることが大切なのだと経験を以って知ることが出来ました。

おしまい!

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