見出し画像

僕にとっての父親

「全然似てないよね」
身長は同じくらいの父親だが指の長さ、顔のパーツ、一番は性格、、、そして能力
大人になって彼の能力がとても羨ましかった

勉強ができる、負けず嫌い、数字に強い、営業ができる、仕事ができる
性格も覇王みたいな性格だった

僕は顔も能力も父親に似たかった
姉弟の中で一番似てないのは間違いなく僕だ

え、、、?んじゃ血が繋がってないん、、? 笑
と言いたいところだが
彼の弱点である「音痴」「リズム感がない」が凄まじく遺伝してくれているので間違いなく僕の父親だ
じゃなきゃ母親が音痴にしか恋できないか 笑

僕の名前の将一の漢字は父親が決めてくれた、将来、一番になるって意味でつけてくれたんだって、完全名前負けしとるがな

優秀な父親が自分じゃコントロールできない存在
「優秀じゃない息子」それが僕だ
少なくとも僕が父親を怖いのは自分が優秀じゃないって感じていたからだと思う
おそらく優秀でない子供は僕1人だ、姉も、弟も優秀だと思う
全員音痴だけど 笑
今まで人生で勝ってきた彼にとって優秀じゃない僕はどこかで愛されてないと感じていた。


彼が病気で余命が宣告されて自宅療養してる間に僕は仕事をクビになった
30歳になっても仕事をクビになった自分で父親に会うのは怖かった

その時は「受ける会社を父親に教えること」変な会社に就職しないか心配してくれていて優しい言葉をかけてくれた
何日か電話のやりとりしていた

何社か受ける会社を決めたら連絡きて「面接の時お父さんに会社の人に会うように言うんだぞ?」

ん?

「え?どゆこと?」
「どうゆうことってそういう話だっただろが!お前ほんといい加減だな」

いや絶対言ってない

僕のお父さんは脳の病気だったので認識がちょっとおかしくなったのだと思います

「いや、言ってないし、無理、、、」
「なんでだ!!」
「いや僕就職したいから、、」
父親、ブチギレ 笑

しばらく口論した後

「俺だってお前の会社なんか行きたくないぞ!なんでこんな言うかわかるか?」
「いやわかんないです」
「お前が新しい会社でやっていけるかわかんないから心配だろうが!!」

いや心配するベクトル間違ってます
父親と会話した内容はこれが最後になる
最後は喧嘩別れになってしまった
いやてか亡くなる2ヶ月前にそんなブチギレるパワーは普通はないと思わない?
ちなみに一社には「父親に会ってくれません?」って言って変な空気になってしっかり落ちている、今考えたらあの会社は落ちてよかった

亡くなった日に危険状態になって一度息を吹き返してくれた
仕事早退して病院むかってる途中に考えてたんだけど
僕の父親って看護師の方に身の回りのお世話までしてもらって生きたいって思うような性格の持ち主じゃないんです
絶対プライドが許さないから早く現世離れたかったはずなんです
なんで息吹き返してくれたんだろ
今までコロナで面会ができなかったんですけど、もう亡くなったってかもしれないので2人ずつの面会ならさせてもらいました

「あ、父さん最期に会ってくれるために頑張ってくれたんだ」

今までお見舞いで病院に行った時にズームで見せてくれた映像にはついてなかったイカつい機械がめちゃくちゃ装着されていた
「ブゴオォー、ブゴブオォー」って無理矢理機械に呼吸させられてた
父さんに意識があるかどうかは関係なかった僕は最後に父親に言いたかったことを言った

「耐えてくれてありがとう、待っててくれてありがとう。父さんの昔の写真とか見たんだよね、なんか父さんの昔とか話したことなかったなぁって、もっと話したかったな、
俺父さんに愛されたかったんだと思う、ずっとそういうの感じてた。優秀じゃなきゃいけないのかなぁとかずっと思っていて、それは出来なかったねごめんね、、、」
泣いていて自分の言葉が詰まっていた
「孫も見せられんでごめん、、思考は現実化する読んでたんだね、俺も読んでるよ、信念を持って生きるって父さんのことだよね、、かっこいいお父さんでいてくれてありがとう、、、最後一緒に写真撮るね、、ありがとう、、、もっと元氣な時とればよかったね」
「ありがとう、もっとちゃんと会話したかったな」
「お葬式もお母さんのこと考えてくれてありがとう」
「まだあったかいんだ、おでこはもう冷たいんやな」
「氣をつけてね、、、色々出来ない息子でごめん」

父親が亡くなって告別式は母親の宗教上の理由でお別れ会というかたちをとらせてもらった
そのお別れ会の日は9月26日僕の31歳の誕生日だった

僕は父親が31歳の時の子供だ、入れ替わった気がした

その時僕が氣付いたのだが
僕がネットワークビジネスで成功したかったのも、
ベンチャー企業で出世したかったのも
その後の人生が全然想像できないのにお金持ちを目指していたのも
父親に愛されたかったからだ、お金を稼いで出来る息子として認められたかった、僕の31年間の人生は父親に愛されたかったからだ
それが全てだったんだ

これからは僕の本当の人生が始まる、そんな氣分だ
今もその感覚は変わらない

僕は目が白内障になって運転ができなくなったので仕事を休むことになった
父親の樹木葬の日に家族が僕しかいけなかった
逆に言えば僕は父親に招待されたんじゃないかなって思ってる、白内障にになって本当によかった

樹木葬の日、お坊さんが色々唱えてる間父親のこと思い出してた

そういえば仕事探している時父親が「会社に会わせるように言え」って言ったのも俺を愛してないとそんなことは言えないんじゃないか、父親なりに心配してないとそんな病気でギリギリの状態で言わないんじゃないかな、父親が自分にできる最後の行動だったんじゃないかなって思ったんです

俺は父親に愛されてた

全てが肯定された氣分だった

父、中川稔生は中川将一と全然似てない
顔も手の大きさも性格も能力も全然似てない
それでも中川稔生は間違いなく

僕にとっての父親





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?