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日常生活という絶妙のバランス

1.日常生活は動き続ける

 新型コロナ感染症を防ぐために、一般市民の日常生活が制限を受けた。当時は、それが当たり前で、誰も疑問に持たなかったが、考えてみれば不思議な話だ。
 我々がパンデミックを恐れるのは、日常生活が破壊されるからだ。それなのに、簡単に日常生活を制限してしまう。これは本末転倒ではないか。
 パンデミックを収束させることと、日常生活を維持することを両立させなければならない。もし、日常生活を制限するにしても、最小限度に抑えるべきだ。人の流れを制限するのではなく、いかに人の流れを維持できるのかを考えなければならない。
 政府や政治家は、市民の日常生活の重要性を十分に理解していない。国の経済は、政治や法律が動かしているのではない。日常生活の活動こそが、経済を動かしているのだ。
 日常生活とは、ある種の予定調和の世界である。毎日の生活は少しずつ異なるが、全体的には昨日と同じ生活が今日も続き、明日も続く。それが日常だ。
 人は、朝起きてから、夜寝るまでの間、何をすべきかを知っている。誰に命令されなくても、自分で起床時間を決め、ほぼ同じ時間に起きる。そして、歯を磨き、顔を洗い、着替えて、朝食を取り、トイレに行って、会社や学校に出かける。
 ほぼ同じ時間に家を出て、最寄りの駅に向かい、ほぼ同じ時間の電車に乗る。駅に行く道で見かける人も、電車の中で隣り合わせになる人も、大体同じはずだ。もちろん、毎日の小さな変化はある。しかし、その変化もある程度の確率で起きているに過ぎない。全体としては同じように動いているのだ。
 会社に着いて、仕事をするのも日常だし、上司や同僚、部下との人間関係も日常だ。仕事のミスで悩んだり、上司のパワハラに腹を立てたりと、毎日変化はあっても、それも日常の範囲内である。多くの場合、問題はあっても会社の経営は成り立っているし、給料も支払われる。そして日常生活を維持している。
 会社の帰りに同僚と共に居酒屋に行って、酒を飲みながら、愚痴を言い合いながらストレスを発散するのも日常だ。
 周囲を見渡せば、様々な人がいる。その人達もそれぞれの日常生活を過ごしている。現場の仕事では私語を禁じられていることは多い。そういう人にとって、仕事が終わって、一杯飲みながら会話をするのが、唯一のコミュニケーションであり、自分を確認する時間だ。その人にとっては、それが日常だ。
 居酒屋で働いている人にも日常生活があり、居酒屋に酒や食材を卸している人にも日常生活がある。それらの活動こそ、経済を動かしているのだ。
 東京には一千万以上の日常生活があり、それが自律的に動いている。全ての人間が自分のやることを理解し、自分で行動する社会を客観的に見れば、高度なシステムで動いていると思うだろう。
 もちろん、交通事故にあったり、病気になる人もいる。当事者にとっては、非日常的な出来事だが、大きな視点で見れば、それらを含めて日常生活が動いているのである。

2.日常生活を止めると巨額の損失が生じる

 高度に組織化され、自律的に動いている日常生活を政府は簡単に止めてしまった。
 コロナ感染の初期の段階で、大型商業施設や映画館、飲食店等を長期的に休業させ、多くのイベントも休止させた。会社の通勤も制限し、学校も休校にした。
 その後も1年半以上、緊急事態や蔓延防止等を繰り返し、日常生活は大きく制限された。この間の経済的喪失は計り知れない。市民全てが自律的に動いていた社会が何度も止められたのである。
 その間の在庫、家賃、経費が利益を圧迫し、サプライチェーン全体が大きなダメージを受けた。例えば、飲食店の売上が減少すれば、飲食店だけでなく卸し業者も生産者も売上が減少する。それに関係する物流も減るし、従業員の雇用も削られる。
 昔は、現在よりも流通が複雑で流通在庫も多かった分、調整もしやすかった。しかし現在は、流通を短縮し、流通在庫を減らし、全てをフローで賄っている。フローを止めたら、全ての計画が狂う。計画が立たないことは、無駄が増えることだ。ギリギリでバランスを取っていた流通は崩壊の危機にある。
 例えば、アパレル業界は、店頭を週単位で管理し、原材料の仕入れから縫製加工、物流をコントロールしていた。しかし、3カ月店頭が閉鎖されれば、1シーズンの商品、原材料、縫製等が全てストップしてしまう。
 これを完全にビフォーコロナの状態に戻すには、コロナが終息してから半年はかかるだろう。しかし、多くの企業はコロナが終息する前に赤字は増え続けた。政府からの助成金で問題を先のばしにしたが、根本的には何も解決していない。当然、事業の縮小やリストラが進むだろう。
 同様のことは、飲食業にも観光業にもホテル業にも起こっている。これらの損失はどこにも計上されない。各社が内部留保を切り崩し、資金繰りの借り入れを増やし、リストラをしても、それが表面化するには時間がかかる。
 公務員やサラリーマンは、給料が保証されているので、社会全体の動きを見ないし、関心もない。会社が再開すれば、直ぐに元に戻ると考える。しかし、会社が休業した間の損失はそっくり残っている。そして、多くの企業はその穴を埋められないのである。
 

3.日常生活の制限は健康にも悪い

 健康的な生活とは、規則正しい生活リズム、質の良い食事、適度な運動、十分な睡眠、ストレスを溜めない精神状態を保つことである。
 コロナ禍で日常生活を制限された結果、多くの人は運動不足とストレスに悩まされた。特に、高齢者は感染のリスクが高いとされ、不要不急の外出を控えるように再三言われた。習慣となっていた散歩を控え、地域のスポーツサークルにも行かなくなると、次第に身体が固まって動けなくなる。腰や肩が痛くなり、十分な睡眠も取れなくなる。外出できないこと、人に会えないことは大きなストレスだ。
 更に、マスコミがコロナの不安を煽った。不安もまたストレスを招く。
 新たな対策の方法が発見されても、多くの論ずんが発表されても、マスコミは何も伝えない。国民が安心できる情報は伝えず、不安を煽り続けたのだ。
 不安を煽り、行動を制限するだけの生活は、免疫力を下げ、感染症に掛かりやすくなる。やたらと飲食店のアルコールばかりを規制したが、実は家庭内感染の方が多かった。「人流を抑えると感染が減る」という政府の思い込みと、「アルコールの提供を制限することが人流を抑えることにつながる」という二重の思い込みが飲食店の経営を圧迫し、市民のストレスを高めたのである。
 一定以上のストレスが蓄積され、しかも経済が回らず貧困が増えれば、必ず犯罪も増える。そして、更にストレスは高まっていくのだ。
  

4.日常生活を維持する努力が必要

 日常生活を維持することは、経済を回すことであり、人々の健康を守ることにつながる。その中でいかに感染症を予防するかだ。
 政府が行っていたことは、日常生活の制限だけである。それも十把一絡げの大雑把な制限に終始していた。
 なぜ、具体的な治療薬に関する情報を市民に伝えないのか。そして、なぜ特例承認をしないのか。特に、既に寄生虫やマラリアの薬として認可され、人体に悪影響はないのだから、もっと普及させても良かった。
 病院の病床が足りないのも、感染症の分類を2類のままにしていたからだ。日本におけるコロナの死亡率は決して高くなかった。20年は例年に比べて死亡者数が少なかったほどだ。
 もっと早くインフルエンザ並の5類にしていれば、掛かりつけの開業医が対応できた。CTスキャンやオキシメーターを用意している病院も多いし、治療薬の処方もできる。
 ボトルネックである保健所を通すよりも、掛かりつけ医を通す方が患者も安心できるし、スムーズに対応できたはずだ。こうした対応もせずに、軽症者の家庭内治療を義務づけるというのは、医療放棄に他ならない。
 新型コロナもインフルエンザと同様に、学校や会社で患者が一定以上でたら、強制的に休みにすればいい。飲食店もクラスター感染が発生したら、一定期間の営業停止を義務づければいい。あとは、市民の良識に任せ、各自が対応した方が上手く回るのである。

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