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進化を説明する上で「利己的な遺伝子」という比喩は適切か?

『『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?進化の仕組みを基礎から学ぶ』(光文社新書)の「利己的な遺伝子」の内容について、意見をいただきました。
 
Shorebirdさんは、進化心理学関係の本や進化の本を洋書を含め、多くの書評をアップされている方です。Shorebirdさんは、本書を取り上げていただき「関連するトピックについて最新の知見を紹介しつつ所々深掘りしていて,初心者用の単なる入門書に留まらず,興味深い啓蒙書に仕上がっている」と好意的な書評をして頂きました(以下のリンク参照)。ただ、第3章3-2「生物は利己的な遺伝子に操られている?」の内容について、ドーキンスの「利己的な遺伝子」の用法を否定的に紹介しているのは納得できない、という意見を頂きました。
 その後、何回か Shorebirdさんとの間で意見を交換し、以下に「利己的な遺伝子」という比喩は適切かどうかという点についての、意見の相違点をまとめてみました。 Shorebirdさんの了解の上、ここに紹介します。

以下に「利己的遺伝子」を進化あるいは自然選択の比喩として用いるのは適切かどうかについての論点とそれぞれの意見をまとめました。

S=Shorebird, K=河田 (敬称略)

(1) 全般的な点 
自然選択の働くプロセスについての理解は、2人とも意見の相違があるわけではない。意見が一致しないのは、自然選択のプロセスを「利己的遺伝子」という比喩で説明することが適切かどうかという点である。

Sの見解 
Kの利己的遺伝子の比喩に対する考えも一つの解釈としては、みとめるが別の解釈もあり得て,その別の解釈によればドーキンスの比喩用法は非難されるべきものではない。

Kの見解
ドーキンスの「利己的遺伝子」は理論ではなく、一つの見方であるということはドーキンスも述べています。一つの見方を、私は、絶対的に正しいとか絶対的に間違っているとは述べていません。見方としてみたときに、進化現象を適切にとらえる比喩となっているか、あるいは誤解を招きやすいか、という点を問題にしています。「利己的遺伝子」という見方は、進化の一面を表していることもありますが、適切な比喩となっていないことが多いと考えます。さらに、一般の人が進化のプロセスを間違って理解することに繋がると考えています。

(2)「遺伝子(アレル)が個体の表現型に影響し、個体の表現型の違いによる適応度の差に自然選択が働き、遺伝子頻度(アレル頻度)が増加する」という通常の自然選択のプロセスを「利己的遺伝子」が進化させたといっていいのかという点

Sの見解
 そういっていい(そういう解釈もありうるし,別の解釈があるからといって否定されなければならないものではない)と考えています.結局自然淘汰において何が「利己的」かについて,「遺伝子プール内で自分と同一のコピーが増えること」が「利己的」だと考えるのはとりわけおかしいことではないと思います.論点を踏まえてより細かく比喩を説明するとするなら,「遺伝子にとっての『利益』とは何かを考えるとそれは『遺伝子プール内において(他遺伝子座の状況も含む平均的な環境下で)自分と同一のコピー(直系コピーだけでなく同祖的コピーを含む)が(平均的に)増えること』だと考えられる.そのような表現型効果を個体などのヴィークルに与える性質を『利己的』と呼ぶ」ということになります.同祖的遺伝子の適応度は、平均的な頻度が増大したか減少したかは結果であって原因ではないと指摘していますが、概念的には(他遺伝子座の状況を含む平均的環境下で)その遺伝子の表現型効果がどのように影響するかから予測・推定できるものであり,そういう意味では原因となりうるものと考えます.
  Kさんのあげる仮想例(以下Kの見解参照)においてAが増えるかaが増えるかが(Bbの遺伝子座の状況により)ランダムに決まることが,この比喩が不成立である決定的な理由であると主張しておられるようですが,(私の解釈では)それは不成立の理由にはならないと考えます.
    遺伝子の表現型の効果は環境に依存し,その環境には他遺伝子座の状況も含まれると考えることができます.(これはドーキンスが非常に強調している点でもあります).するとこの仮想例の場合Bが固定しているという環境下ではAとaに適応度の差がなく(つまり遺伝子にとっての利己性の差がなく)どちらが固定するかは浮動で決まるということになるし,Bが固定していない環境下ではAの適応度の方が大きく(遺伝子にとっての利己性が高く)頻度が増えていくということになります.そして平均的な環境においてBが固定していなければ,Aの表現型効果がAの遺伝子頻度を高めることになり,アレルA→アレルAが平均的環境下で示す表現型効果→個体の増殖→遺伝子頻度の増加という因果が成立しており,「利己的な遺伝子」という比喩と進化プロセスに何の矛盾もないと解釈可能だと考えます.
     また多くの形質がポリジーンであり,どのアレルが増えるかは(かなりの程度)偶然により決まるというのはその通りですが,私の解釈における「利己的な遺伝子」の比喩は,「すべての遺伝子には利己性に差があり,その順位がどのような環境下でも不変である」という意味は持ちません.ポリジーン形質であっても,どの遺伝子が残るのかが完全にランダムに決まることはほとんどなく,(他遺伝子座の状況を含めた)平均的環境下で平均的表現型効果にわずかな差があれば,より有利な遺伝子(つまり私の解釈上のより利己的な遺伝子)が遺伝子頻度を増やしていく確率が(中立の場合より)わずかに上がるはずです.この意味でポリジーン形質についても「利己的な遺伝子」の比喩は成立していると考えます.

Kの見解
個体の表現型の違いに働く自然選択を「利己的遺伝子」(利己的な遺伝子がみずからのコピーを増やすために個体を進化させた)とする比喩は、比喩としても不適切だと思います。
  以下のような例(『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』の中でも似た例をあげました)を考えてみます。たとえば、遺伝型はAA,Aaは赤という表現型をつくり、aaは白という表現型を作ります。しかし、この表現型は別の遺伝子でも作りだされ、BB,Bbは赤、bbは白という表現型になります。個体の適応度は、赤の方が白よりも高いので、自然選択は個体の表現型に働き、赤という表現型が頻度を増大させます。その結果として、遺伝子(アレル)はAあるいはBが増えますが、AがふえるかBがふえるかはランダムで、Bが最初に固定してしまうと、Aとaの間では適応度に差がないので、Aが増えるかaが増えるかは偶然によって決まります。さらに、この例では、Aが増えるかBが増えるかはランダムで、個体にとってはどちらのアレルでもよいといことになります(主導権?があるのは遺伝子ではなく個体)。この例からいえることは、個体の表現型である赤が進化するのは、個体の適応度が高いためであり、個体がアレルを増大させているからで、特定のアレルが個体の表現型に影響していることが原因で増加しているわけではありません。
  つまり、アレルAが個体に個体の適応度を上げるような効果を表現型に与えたとしても、その頻度が増加するかどうかは、個体の増殖に依存していて、「アレルが利己的に自らのアレルを増大させるため」という比喩は適切に進化プロセスを表していません。ここであげたのは、特殊な例ではありません。多くの生物の性質は多くの遺伝子が少しずつ関与するポリジーン形質です。これらの遺伝子のアレルは、その形質にわずかにプラスに働くことが多く、多くの効果量の小さいアレルは中立となり、どの遺伝子のアレルが増えるかがは偶然によります。しかし、個体の形質は自然選択を受け、プラスの方向に進化していきます。これは、個体の表現型に働く自然選択によって表現型が進化しますが、それによって頻度が変化するアレルはどれかが偶然に選ばれるということになります。遺伝子のアレルが増えるかどうかを決めるのは、個体の表現型間の適応度の差であって、個別のアレルの効果がアレルの頻度を増加させているわけではないことを示しています。このロジックは、一つの遺伝子が一つの表現型に有意に影響する場合も同様に、結局は表現型の違いによる個体の増加率の差が原因でアレル頻度は変わることになります。また、理論的には、アレルが頻度を増大させるかどうかは、個体の適応度の差(s)と個体数(N)との関係で決まり(Ns)(sあるいはNが小さいと遺伝的浮動でアレルが増減)、アレル自体の表現型効果ではなく、アレルの組合わせによる個体の遺伝型の表現型効果と個体数によって決まります。(超優性やエピスタシスの場合はさらに複雑になります)。特例の遺伝子(アレル)が増えるか、どうかは、一つのアレルの表現型効果ではきまらず、他のアレルの影響も含めた個体の表現型で決まります。 Sさんのいうように「自分と同一のコピーが(平均的に)増えること」自体を遺伝子の利己性というのなら、ランダムな変化によっても遺伝子のコピーは増えて、集団中を占めることもあり、これも遺伝子の利益のために増えたということになります。
 進化は、ゲノム配列の変化よって生じたアレルが、頻度を増減することで起こります。これは、アレルが頻度を増減させるのは、個体の表現型の違いがもたらす個体の適応度の差だったり、遺伝的浮動だったり、他の遺伝子のアレルの表現型への影響だったりが、そのアレル頻度を増減させるのであって、そのアレル頻度が増えたか減ったかは、その結果にすぎません。
 なぜアレルの頻度が増大するのか、を説明するのに「遺伝子が自らを増やすように個体に影響を与えた」「遺伝子によって有利な性質が進化した」「個体の性質が進化したのは遺伝子のせい」という比喩は、遺伝子が主導権を握っているようで不適切な比喩だと思います。この場合は、「個体にとって有利な性質が進化した」という比喩が適切です。

(3)血縁淘汰による利他行動の進化の場合の解釈について
自分(個体)の適応度を下げて、他個体の適応度を増加させる利他行動がなぜ進化したのかについては、血縁選択説によって説明されてきた(互恵利他や間接互恵利他の話は別の問題)。血縁選択(ハミルトン側)は集団選択と同じプロセスであると言われている(補足1)  。『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?』の中では、血縁選択は集団選択と考えた方が捉えやすいとしているが、血縁選択説を否定しているわけではない。ここでの問題は、利他行動の進化は、血縁選択か集団選択によるのかという問題ではなく、この利他行動の進化を利己的遺伝子の比喩で語ることが適切かという点である。

Sの見解 
 「利己的な遺伝子」という比喩は,包括適応度理論の理解において,遺伝子をプリンシパル,個体をそのエージェントと見て,プリンシパルにとっての(同祖的コピーの数を最大化する,つまり利己的な)最適戦略をエージェントたる個体の包括適応度最大化として計算できるという視点を与えてくれます.こう考えることにより,包括適応度とは何か,自然淘汰においては包括適応度最大化が基本原則であること,個体適応度最大化は個体間に相互作用がない時に包括適応度最大化と一致する特殊原則に過ぎないことなどがクリアに理解できると考えます.
 利他的同祖的アレルの平均的な適応度が高く頻度が増えたなら,それはその遺伝子の表現型の相互作用への効果がハミルトン則を満たしたためにアレル頻度を増やしたと見ることができると考えます.
  『同祖的遺伝子の平均適応度が高い(利己的遺伝子)』というだけではなぜ増加したのかを何も説明していません。」という指摘についてはその通りだと考えます.しかし「利己的な遺伝子」という概念は,なぜ増加したのかを説明する上で極めて有用だと考えます.それは,ヴィークルたる個体の表現型を考える時に個体適応度ではなく包括適応度を問題にすべきであり,それは相互作用においてハミルトン則を満たすべきだということにロジカルに直結するものであり,望ましい説明を与えるガイドになるという意味で有用な概念となります.(私は「利己的遺伝子」とだけいえばすべての説明が終わると考えているわけではありません)

Kの見解
 
まず、血縁選択による利他行動発現アレル(利他アレル)の進化をどうみているかを説明します。血縁選択では, 個体(自分)が利他アレルをもつ頻度と利他行動によるコストと利他行動を受ける個体の利他アレルの頻度と利他行動による利益との関係で、利他アレルが増えるかどうかがきまります。つまり、利他アレルの頻度が増減するかどうかは、個体間の相互作用と個体間のアレル共有率で決まるというものです。一方で、集団選択による利他アレルの増減は、集団間の選択による増減+集団内の選択による増減によって決まるとされます。これは、同じプロセスを異なる表現で示しているということです(補足1)。血縁選択において個体間の相互作用は複数個体間で生じるので、複数個体間で生じる相互作用を個体の現象とみなすか集団の現象とみなすかという問題は、概念的問題でどちらの場合もありえます。私は、血縁選択による利他アレルの進化は、集団選択と捉えた方がわかりやすい、と思いますが、包括適応度の考えを否定していません。
 野外で実証するときに、個体間の相互作用のデーターから実証するときは包括適応度を使えばよいし、集団の増減や集団間の遺伝的分散などからデータをとるときは集団選択に理論を使えばいいと思います。
 「利他的同祖的アレルの平均的な適応度が高く頻度が増えたなら,それはその遺伝子が影響する”個体の表現型の相互作用”の効果がハミルトン則を満たしたためにアレル頻度を増やしたと見ることができる」という理解は正しいと思います。しかし、ハミルトンの血縁選択は、個体間の相互作用と個体間の遺伝的相関がアレルを増加させたとする理論であって、利己的な遺伝子が増えるというふうには説明することができませんし、そのような説明をしているわけではありません。血縁選択の理論は、「どのような条件のもと利他行動発現アレルが増大するのか」を記述したもので、その増大の理由は、個体間のアレル共有率と個体間の相互作用になります「『同祖的遺伝子の平均適応度が高い(利己的遺伝子)』というのは、平均適応度が高いとアレル頻度が増えるといっているだけで、なぜ増加したのかを何も説明していません。
 「利己的な遺伝子という比喩は,包括適応度理論の理解において,遺伝子をプリンシパル,個体をそのエージェントと見て,プリンシパルにとっての(同祖的コピーの数を最大化する,つまり利己的な)最適戦略をエージェントたる個体の包括適応度最大化として計算できるという視点を与えてくれます」とSさんは指摘しますが、自然選択は同祖的コピー数を最大化するようには働きません。包括適応度理論は同祖的アレルが増える条件があるといっているだけです。
  ただ、利他的発現アレルの進化を説明する比喩として、「個体ではなく、利他行動発現遺伝子にとって有利に進化した」という比喩は、利他行動の進化の比喩としては、それほど間違っていないかもしれないと思っています。ただし、厳密には、この場合、「利他的発現遺伝子の集団(厳密には遺伝子をもつ個体の集団)にとって有利」ということでしょうか。個体の場合は、個体とそれの複数の集団を厳密に区別するのに、遺伝子はコピーだからといって遺伝子と同祖遺伝子のコピー集団を同じものと捉えるのはおかしいと思います。

(4)利己的遺伝因子が進化した理由を通常の遺伝子が個体の表現型の影響を経て進化した場合と区別する必要があるのではないか 
 自らの配列のコピー数をゲノム上で増やすことで、集団中あるいはゲノム上で維持されているゲノム配列あるいは遺伝因子を利己的遺伝因子という(たとえばトランスポゾンなどの転移因子)。これは、遺伝子(アレル)レベルでの性質が、ゲノム上・集団内のアレル頻度を増減させている。さらに個体レベルでは有害な場合もあり、そのときはアレル頻度を減少させる力となる。このような利己的遺伝子は、上記(2)や上記(3)で比喩的に使われている「利己的遺伝子」とは異なる意味で用いられている。このような遺伝因子を利己的遺伝子と呼ぶのが適切ではないのか?(詳しい利己的遺伝因子の進化の説明は『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』を参照)

Sの見解 
 その通りであることに同意します.しかしその両方が私の比喩解釈の上で「(上位レベル(個体や集団)の単位での有利不利は問わない)利己的な遺伝子」としてみることができ,この上位概念たる「利己的な遺伝子」が進化の一般法側をより理解させてくれる有用な概念だと考えます.下位レベルで分けることができるから上位概念を破棄すべきだという主張には同意できません.「利己的な遺伝子」の下位レベルに別の名称をそれぞれ用いる方が望ましいと考えます.
  私は以下のように考えます.「自然淘汰の表現型における方向性は(ヴィークルである)個体の有利性とかグループの有利性により一義的には決まらない.しかしそれは複製子の有利性(つまり遺伝子の遺伝子頻度が増えるような性質)により決まるという基本原則がある.」というのは,極めて一貫性のある単純な形を持つ美しい自然法則だと考えます(そして美しい自然法則の抽出は自然科学において求めるべき目標の1つでもあると思います).そしてそこから自然淘汰の働き,そして包括適応度理論の本質をクリアに理解できるようになります.
   そういう意味でこれは極めて美しく重要な概念だと考えます.また、これは包括適応度理論をより深く理解するためにも極めて有用な概念だと考えます.実際に「利己的な遺伝子」は多くの進化生物学者や行動生態学者に多大な影響を与えてきたと理解しています(それを示す参考文献にはグラフェンとリドリーの編集による「Richard Dawkins: How a Scientist Changed the Way We Think」を挙げておきます).

Kの見解
 
(個体や集団レベルの単位での有利不利は問わない)上位概念たる「利己的な遺伝子」というのはあまり意味がありません。それらの配列が、個体レベルの有利不利を考えても、遺伝因子(DNA)レベルで自らのコピーを増やすことで、ゲノム中で存続している場合を、利己的遺伝因子と呼べます。
 現在、ゲノム上に存在する転移因子などの配列がなぜ、どれだけ存在してるのかが問題となっています。また、転移因子由来と思われるノンコーディンRNAがなぜ進化したのかを考えるとき、それが個体の適応度に対して有利に働いているのか、中立なのか、有害なのかが重要になります。分子生物学者の中には、RNAに転写されるDNA配列があるのは、個体にとって何らかの有利性があるからだと考える人もいます。しかし、実際には、個体には何のメリットもないか有害なのに存在していて、それは遺伝子レベルで有利だからという説明が求められます。そのような状況で、個体レベルでの有利不利を考えない利己的遺伝子の考えは進化の理解になんの訳にも立ちませんし、正確な理解の妨げになります。
 Sさんは、「自然淘汰の表現型における方向性は(ヴィークルである)個体の有利性とかグループの有利性により一義的には決まらない.しかしそれは複製子の有利性(つまり遺伝子の遺伝子頻度が増えるような性質)により決まるという基本原則がある.」というのは,極めて一貫性のある単純な形を持つ美しい自然法則だと考えます、と述べていますが、これが基本原則だとは、ほとんどの進化学者は考えていないと思います。また単純で美しいから良いという理解は何の説得力もありません。感情的な好き嫌いによる肯定のように聞こえます。進化プロセスの検証や理解には、(利己的遺伝因子の概念は別として)一般に使われている「利己的遺伝子」の概念は何の貢献もしていないと思います。

(5) ドーキンス用語法を変えるのはデメリットなのか?
Sさんは、利己的遺伝子はこれまで広く使われてきたので、いまから用語法を変えるのはデメリットがあるとする。

Sの見解 
 用語変更のデメリットについては,大ベストセラーにより世界的に流布されている用語を変更しようとするのは,混乱を生むリスクが大きいと考えますし,これまでの影響の大きさから見て科学史的にもリスペクトすべき対象だと考えます.そしてすでに利己的遺伝因子とかselfish DNAという用語法があるのだから,それを用いて下位区分をつければ良いのではないかと考えます.
 あまり論文には現れないという事情はリスクの小ささを示唆してはいますが,これまで40年間に書かれた(科学史的,科学哲学的なものを含む)様々な文献が残るという事情は変わりません.そして挙げられた程度の誤解については(自然淘汰の性質をめぐっては)どのような用語を使っても現れがちな程度のもの(つまり使い続ける弊害は小さい)という印象を持ちます.
これらの点については定量的な議論はできないので,あくまで印象論であることは認めます.

Kの見解 
ドーキンス用語法を科学史的に評価しないわけはありません。初期1970年代80年代に、進化がアレル頻度の変化であるということを比喩的で一般の人に伝えたことはそれなりに有益であったと思います。しかし、進化学において進化を適切に理解する上では、「利己的遺伝子」は利己的遺伝因子に限ってもちるいるのが適切だと述べています。現在、少なくとも、多くの進化の研究者は、利己的遺伝子という用法は、転移因子、減数分裂駆動、ゲノムコンフリクトなどで使っていて、個体の表現型の違いに働く自然選択にたいして用いていません。ヒトではゲノム中の半分近くを占める転移因子が、遺伝子レベルでの選択がどの程度重要で、個体レベルのネガティブな要因やポジティブな要因がどの程度関与しているのかを調べることで明らかにされます。
 もちろん、「利己的遺伝子」を使う研究者もいないわけではありません。むしろ利己的遺伝子という比喩を使わないで説明することの方がメリットが大きいと思います。遺伝子(アレル)頻度の増加は、様々なレベルの性質や様々な要因によって生じるものであり、「自然淘汰の表現型における方向性は遺伝子の遺伝子頻度が増えるような性質により決まる」というSさんのいう原理は実際の進化には当てはまりません。
 より問題となるのは、一般向けに進化のメカニズムを説明しようとするときに、「利己的な遺伝子によって個体の様々な性質が進化した」という比喩は、進化プロセスの間違った理解につながります。Sさんのように、実際の進化プロセスを理解している人ならいいのですが、そうでない人は、「利己的遺伝子」は、「遺伝子が生物を操るように進化した」とか「人がこの行動をするのは、遺伝子のせいだ」といったような不適切な理解に結びつくことを考えると、用法を変えた方がいいと思います。

最後に、この問題について、誠実に意見交換をしていただいたShorebirdさんに感謝します。



補足1: 血縁選択と集団選択が同じである数学的解説。文献1を元に作成
グループ選択アプローチと血縁選択アプローチ(ハミルトン側)の間が等価性であることを、プライス方程式で説明すす。他の方法もあります。
プライス方程式はハミルトンの法則を導くのに使える。まず、繁殖力は次のように書かれる:
W=G’B - GC        (式 I)
    G:利他遺伝子(利他行動を発現する遺伝子)の個体における量、あるいはアレル
    頻度(例えば、単一遺伝子座の2対立遺伝子ではG=0、G=0.5またはG=1)
    G’:その相互作用する他個体の利他遺伝子の平均アレル頻度(N,個体数に依存)
    C:利他行動をした個体ののコストの費用と便益であり、
    B:利他行動された個体の利益
    W:適応度
利他遺伝子が進化する条件は、Cov(G,W)>0
式Iを、利他遺伝子の頻度が増加する条件に書き換えると
Cov(G,G’)/Var(G) > E(C)/E(B)
Cov(G,G’)は、利他行動をする個体と利他行動を受けた個体の遺伝相関、ハミルトンの法則では、血縁関係は個体とその社会的パートナーとの間の遺伝的関連と定義される、相互作用した平均化されたコストと利益。
ハミルトンの法則と淘汰を集団間部分と集団内部分に分解することができる。グループサイズ(N)を付け、Cov(G,W)を式IIIのように書き換えられることができる:Cov(G,W)=Cov(E(G/N), E(W|N))) +  E(Cov(G, W|N))   (式 III)
 Cov(G,G’): 集団の利他遺伝子の平均アレル頻度と平均適応度の相関
       =グループ間選択
 E(Cov(G, W|N)) :集団内の個体の利他遺伝子の平均アレル頻度と平均適応度
           =グループ内の選択
これは選択をグループ間成分(第1項)とグループ内成分(第2項)に分割したものである。期待値と共分散はすべてグループの大きさで重み付けされている。
ハミルトンの法則と集団選択の視点との関係は、このようにプライス方程式を使って正式に確立される。

1. Marshall, J. A. R. Group selection and kin selection: formally equivalent approaches. Trends Ecol Evol 26, 325–332 (2011).


以下では、自然選択の単位とレベルについて詳しく議論しています。
講座進化 第1巻 自然選択の単位とレベル  1991年 東京大学出版会

以下で『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?』の「はじめに」の全文が読めます。


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