猫とわたし。

今日は猫のお話をしようと思う。正井です。

おすすめ書籍はこちら。 

『彩図社さんの文豪が書いた「猫」の名作短篇集』可能であればいつかゆっくり文庫化もしたい作品、内田百閒『クルやお前か』も収録されている。犬派の方には「犬」バージョンもあるのでここぞとおすすめ。

さて、現在のわたしの家でお世話させて頂いているお猫様は「あー」「いー」「うー」の御三方である。因みに本名ではないが、ガチでこう呼ばれている。「うー」のみが女の子である。

実家の祖母は「むー」「ずいちゃん」「たっちゃん」を可愛がっている。名付けたのは牛と同じくわたしだ。

我が家では猫が絶えたことが無い。強いて言うなら母の育児時期は絶えていたようであるが、わたしが小学校中学年の頃に父親が弟の犬嫌いを深刻に考え、「ぶん」という犬を飼い、その頃には既に「ぶん」を湯たんぽ扱いする猫がいた。その頃に特に記憶に残っている猫が「梅」である。メスの白い美しい猫で、人間で言うなら檀れいさんとかあの辺の雰囲気があった。ただ「梅」を保護した際、彼女の顔には大きな傷があった。怪我が治るまで保護するつもりがそのまま飼い猫になった猫であった。

梅はその後「小梅」というボス猫の母になる。今程猫の生活保護のない時代であったから、猫いらずを猫が食うという事故もあった。何せ元々牛小屋を始め経済動物の身の回りの安全、害獣被害の防止のために犬猫を飼った家でもあった。

「梅」の系譜はもう少し続く。「あー」は事実「梅」の孫の孫の孫の孫の…である。「いー」も「あー」の甥辺りの血縁だ。お恥ずかしいことに牛を減らしてから猫の飼い方情報をアプデし損ねたため、猫の去勢避妊だけは実家では遅々として進んでいなかった。先日やっと「ずいちゃん」の避妊手術をした。長かった。猫の避妊手術のために暫く本屋通いを辞めた程度にお財布も冷え冷えである。(https://www.pixiv.net/fanbox/creator/23166632 に支援箱があるので気が向いたらお願いしたい。)

さて、一番わたしの記憶に強烈に残っている猫がいる。「常磐」という。「とき」「ときちゃん」と呼ばれた愛想良しで、真っ白の長毛に金色の瞳をしたメスであった。「梅」の系譜の中で低体温症に死にかけていた所を保護してきた。

この「常磐」は「常磐様」と死んだ今では呼ばれている。現代の飼い猫の平均寿命を生きて、撫でられながらぽっくり穏やかに逝った。堀部安兵衛が美女であればあのような生き様であろうか。

常磐様はすごかった。わたしの枕元に毎朝やってきて、起こすでもなくじっとわたしを見下ろし、起きたら起きたで暫くわたしを観察する。そしてその日のコンディションを一通り確かめ、調子が良さそうなら自分の朝寝に向かう。悪そうであればそのままわたしの枕元だの腹の上だの腕の下だの好きなポジションに収まると、見るでも伺うでもなくじっとそこにいる。

煩わしく思って部屋から出したことがある。投げるも同然の酷い扱いをしたこともある。しかしそういう時は絶対にわたしの部屋の前で佇んでいた。まるで周りに「この部屋の住人は面会謝絶です」とでも言うような風情であった。これを十年以上続けた猫なのである。一度や二度は偶然だが、十年以上継続するとなると並の生き物でない。

癌を見つける犬が時たま話題になるが、あれは猫でも可能であると思う。少なくとも人と人が対面し言葉を交わして対談してもここまで解るまい、そう思う場所に猫は軽く理解を示してそこに泰然自若とそこにいた。

常磐様が死んだ日は常磐様が付き合ってくれたわたしのメンタルクラッシュやドライアイを裏切るようにぼろぼろ涙を流して声を上げて泣いた。吃驚した。

常磐様はその生涯で、わたしの精神的病を確かに治療、改善したのである。我儘というよりは好奇心旺盛で、寂しがりというには構われるのが好きだった。「あー」は常磐様が旅立つ三日前に生まれた。ペットロス防止にと飼い猫として迎え入れたが、「あー」が成長した今は正解だったかも知れない。何せ毛並みが真っ白な長毛でよく似ている。常磐様は撫でられるのがお好きであった。わたしの甚平を被って踊りの修行中であろうので、「あー」を通して「常磐様」を撫でるような、そんな感覚もある。

「いー」は前足が生まれつき折れていた。体中に膿の玉が浮いていて、ちょっとやべえな、と他の猫の避妊手術のついでに獣医さんに連れていくと、「これは野生では無理かも…」との事であったから飼い猫の地位を与えた。こいつは自分は人間と猫のハーフと思っている節がある。足音も猫らしからぬドタドタ音である。毎朝足音で起こしに来る。困る。昨夜寝たの3時なんだよいっくん。因みに足は毎日食って毎日寝てたらいつの間にか治っていた。

「うー」は「ずいちゃん」が産んだ子で、ずいちゃんが遊ばせているところに三顧の礼を実施、触ることが撫でることが抱っこすることが許された。その頃は「いー」の噛み癖が酷くなっていて、わたしの手は穴だらけだったので、試しに猫と猫との対話を試してみようと思ったのである。

「うー」は強い、白と黒のまだら模様に日本猫のじとっとした金色の瞳、長いしっぽの先が少し曲がっている。『告白』の橋本愛さんみたいな子である。そしてスパルタ。「いー」に「噛まれるというのはなぁ!こういうことだぞ!撃たれる覚悟が無いなら撃つのではないわぁ!!」と一回り大きな「いー」に教育を徹底した。

「あー」「いー」「うー」の存在は、「常磐様」への恩返しに似ている。常磐様は避妊手術をしているから直系の子は居ない。しかし遠い血縁ではある。そして「うー」は亡き彼女とそっくりの行為をする。が、常磐様ほどの奥ゆかしさはなく、「しんどいん?寝ぇ!!!」という風に腹の上にズドンである。お前最近重くなったよな。「常磐様」と唯一違うところは「うーはお外に出たいから湯たんぽ(わたしのこと)も一緒にお外行くよ!」という強引さがある所だろう。そう言えばメンタルでもペインでも日光浴は大事と教わった。

猫という生き物は鏡であると思う。犬は人間の相棒、隣に共に居る、共に闘う存在であるが、猫は正面に立って己を反省させる鏡だ。猫の世界を見ていると人間の世界の歪さがよく分かる。猫のように生きていると人間の社会から弾かれる。人間らしく人間らしくと自らに強要すれば、猫がいい加減にしろと殴りに来る。「ご飯代稼いだらご飯にしますよ!」「眠いから寝ますよ!」「構って欲しいから構って!」という素直さを猫に見る。成長過程で人間が失う欲望への過度な自制は、猫は良しとしないらしい。

「今は調子が悪くても、明日はときを撫でてね」とわたしを見ていた常磐様は、根子岳で踊りの修行が終われば毛皮を変えてまた会いに来てくれる、というのが言い伝えだ。いやもう人間の世話などこりごり、という好奇心から毛皮を羽毛や鱗にするかも知れないが。

常磐様は猫である。わたしは人間である。そして常磐様もわたしも、内田百閒も「クル」もまごうかたなき、生きる者である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?