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高村光太郎「牛」を読む。

 美術史家源豊宗はその評論『高村光太郎の芸術』にて、奥平秀雄が所蔵する高村光太郎の書を紹介している。
 『山にゆきて何をしてくる山にゆきて/みしみし歩き水のんてくる』という歌である。源氏は「光太郎の書を見ていると、そのみしみしあるきという、いかにもガッシリしたかつ朴訥な、常に大地を踏みしめて歩いている巨人のおもかげが浮かんでくる」と述べ、高村光太郎の「まことに堂々とした体躯と、不撓不屈な哲人的風格」に触れている。その強靭さが書にも現れているという内容であった。高村光太郎は本質的に彫刻家である。彫刻刀と同じように筆を持ち、彫刻と同じように書をやった。中でもその性質が深く表現されている作品が、詩『牛』である。

ーー牛はのろのろと歩く
  牛は野でも山でも道でも川でも
  自分の生きたいところへは
  まつすぐに行く
  牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
  がちり、がちりと
  牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし
  やつぱり牛はのろのろと歩く

 前述した「みしみし」と似た、「がちり、がちり」という音が登場する。のろのろと歩く様は水を求めてふらつく様子にも見えるが、その蹄が踏み締める大地は硬く、砂があり土があり石のある、実に健全な土地である。更に石を「はねとばし」ていることから、牛の蹄が健康な状態であることも観察できる。

ーー牛は急ぐ事をしない
  牛は力一ぱいに地面を頼つて行く
  自分の載せてゐる自然の力を信じきつて行く
  ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はつて行く

 これは『冬が来た』などにも見られる自然の加護である。自然を父親のように己を見守り厳しく成長を促す何者かに例えた描写は、光太郎の詩によく見られる構造で、光太郎は詩を通して自然との対話を試みている節がある。この場合の自然とは、ただ植物や山海を指すものではなく、雪を降らせ火事を出すほど乾燥する大気や、亡き妻、すべてを内包する神仏を指すとも考えられる。
 更に登場する牛は何かという考察を以下に詩を抜粋する。

ーーふみ出す足は必然だ
  うはの空の事ではない
ーー出さないではゐられない足を出す
ーー牛は後へかへらない
  足が地面へめり込んでもかへらない
ーー牛はがむしゃらではない
  けれどもかなりがむしゃらだ
  邪魔なものは二本の角にひつかける

 「牛はのろのろと歩く」と繰り返しつつ、作中の牛は足を踏み出し、後退せず、がむしゃらで、又注目すべきは「二本の角」である。これは『道程』と比較対比すれば、光太郎本人の客観視に読み取れる。非道せず、目標にただ進む。正直で、嫉妬もせず更に信じて歩き続ける。「かちり、がちり」と歩き続ける。

ーー自分の道を自分で行く
  雲にものらない
  雨をも呼ばない
  水の上をも泳がない
  堅い大地に蹄をつけて
  牛は平凡な大地を行く
  ヤクザな架空の大地にだまされない
  ひとをうらやましいとも思はない
  牛は自分の孤独をちゃんと知つてゐる

 これは、『道程』のブラッシュアップとも読めるし、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のオマージュとも読める。光太郎の根底にある、己の生き様の根幹となる思想であろうと考えられる。何者にも屈せず歩き続けた自分の後ろに道ができると自分を鼓舞して歩き続けるという決意を読み取れるシーンである。

ーー牛は食べたものを又食べながら
  ぢつと淋しさをふんごたへ
  さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいつて行く
  牛はもうと啼いて
  その時自然によびかける
  自然はやつぱりもうとこたへる
  牛はそれにあやされる

 やはり、『冬が来た』の時と同じく、見守る何かへ呼びかけを時おり行っている。神仏や亡き妻や、亡き教師であったかもしれない。光太郎が崇拝するロダンであったかも知れないし、同じようにロダンを愛した同人白樺の面々や、詩を更なる芸術へと志した明星同人であったかも知れないし、萩原守衛であるかも知れない。光太郎が持つリスペクトが『牛』における自然へと言い換えられてあるのだろう。
 さて、ここまで『牛』に登場する牛は光太郎自身で、光太郎の持つリスペクトが自然だと述べた。しかしここから変化が起きる。

ーー牛は馬鹿に大まかで、かなり不器用だ
  思ひ立つてもやるまでが大変だ
  やりはじめてもきびきびとは行かない
  けれども牛は馬鹿に敏感だ
  三里さきのけだものの声をききわける
  最前最美を直覚する
  未来を明らかに予感する

ーー牛の眼は叡智にかがやく
  その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
  形のおもちゃを喜ばない

ーーうるほひのあるやさしい牛の眼
  まつ毛の長い黒目がちの牛の眼
  永遠を日常によび生かす牛の眼
  牛の眼は聖者の眼だ
  牛は自然をその通りにぢつと見る

ーーきょろきょろときょろつかない
  眼に角も立てない
ーー牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
  外を見ると一緒に内が見え
  内を見ると一緒に外が見える

ーー牛は随分強情だ
  けれどもむやみとは争はない
  争はなければならない時しか争はない
  ふだんはすべてをただ聞いてゐる
  そして自分の仕事をしてゐる

ーーねぢだ
  坂に車を引き上げるねぢの力だ
  牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時は
  きれ離れのいい手際だが
  牛の力はねばりつこい
  邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
  十本二十本の鎗を総身に立てられて
  よろけながらもつつかける

ーー牛の力はかうも悲壮だ
  牛の力はかうも偉大だ

 牛は不器用であり、叡智であり、聖者であり、内外がはっきりしており、強情で争わず、ねぢであり闘牛師には向かっていく。悲壮で偉大な生き物であるとある。では詩は対話でもあるという解釈に基づき考察すると、これらは牛はいつかは自然の一部となり、牛であった光太郎もいずれ自然に還る覚悟を描いているようにも感ぜられる。この詩は昭和十四年に作成されてあること、当時戦時国家であった日本にルーツを持ち日本人である誇りを持っていた光太郎は、その後の社会情勢により自分がどのような扱いを受けるか、予感していたようにも読み取れてどうも切なくなる。
 作中の「牛」が生物としての牛ではないという事は先に述べた。生物としての牛であるなら、

ーー歩きながら草を食ふ
  大地から生えてゐる草を食ふ
  そして大きな体を肥す

 この三行が大きく矛盾を起こす。大地から生えている草は、牛の栄養を考えるに多くは水分であるから、肥すには不足がある。

ーー利口でやさしい眼と
  なつこい舌と
  厳粛な二本の角と
  愛情に満ちた啼声と
  すばらしい筋肉と
  正直な涎を持った大きな牛

 この六行で登場する牛を育てるには、日頃から牛と触れ合う牛飼いであることがまず第一の条件である。これは平凡な大地をのろのろと歩き続けるには人間には限界がある。ある程度開墾され、牧草が用意され、近年であれば専用の飼料がある。そして牛の角というのは大変危険である。鋭角であるから割と刺さる。牛が本気で頭を振れば人間の胴体は容易くその角で裂ける。このため安全対策で除角する畜産家は多い。角を成長させる養分が蹄を強くするため理には叶うのだ。筋肉もこれと同じである。そして涎を垂らす牛、これは胃腸の環境が良いことを一見で観察できる点である。又口元や口角の様子は口蹄疫をはじめとする感染症の発症状態の発見にも至れる部位である。又、人間によく懐いた牛というのはあまり啼かない。数年前までは「だろう飼い」と呼ばれる悪質な飼育方法が存在したが、現在「啼くから餌の時間だろう」といった飼い方をすれば、ブランド牛の協会からの追放処分対象となる場合がある。懐いた牛は、どの程度の陽の傾き具合で人間が飼料を持ってくると知っている。そのため啼かない。発情期などのホルモン異常が起こらない限りは、群れの危機に啼く程度である。特に仲間がお産を始めると鋭く人間を叱るように啼く。
 さて、こちらの牛であるが、誰にとってそのような存在であるのかは光太郎は描画していない。自然にとって、牛にとって、利口でなつこく厳粛で愛情に満ち、力持ちで素直な存在は、何にとって尊いものであるのか。

ーー牛はのろのろと歩く
  牛は大地をふみしめて歩く
  牛は平凡な大地を歩く

 牛は、ただ牛という存在なのである。自然の中を歩く一つの光太郎の象徴は、自分の思想であり理想であり、ただ存在してただ生きているだけで極寒にも酷暑にも愛されて、これから道を通る誰かに、道を作った何者かに静かな敬意を表明する誰か。『牛』という詩は、光太郎にしては珍しく、不特定の誰かに送った応援詩でもあったのだろう。


引用元
『牛』1913・12『高村光太郎詩集』1955/3/25 岩波書店
源豊宗『高村光太郎の芸術 有機無機帖を主として』墨8号 芸術新聞社 昭和52/9

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