牛とわたし。

正井日記を割合楽しんで?頂けているらしいので、ちょっとした小話をやろうと思う。

正井の実家は元々文明開化頃に苗字を頂いた農家である。ショウダ(正田か?)という家の小作人であったそうだ。

結構な農地持ちの酪農まで幅広くやっていた農家で、今でも祖母の昔話には豚や山羊が出る。最近は牛小屋の裏手にたぬきが出て困るとも聞いている。害獣駆除お願いしますよ淡路市さん。

さて、牛の話である。

祖父はある日の自分の誕生日、何故か今までずっと世話を見てきた乳牛を全て売っぱらった。経済的な理由か老いによる肉体的な理由かは聞いていない。なぜならその翌日に阪神・淡路大震災が起こったからである。因みに牛小屋は全壊し、残っていた和牛も二頭駄目になった。

その時代から正井の実家では和牛の世話をしている。祖父が死に、祖母が腰の骨を折り、それでも意地のようにやっている。わけがわからない。きっとあの夫婦にとって牛の世話とはわたしの絵画のようなものか。やっぱりわけがわからない。

そんな正井家の実家、本家においてわたしの役目が一つだけある。それは牛の名付けである。

生まれた子牛がオスなら漢字で、メスならひらがなで、それ以外は案外自由に名付けられる。家々によっては「○○(母牛名)号二世」だの「○○号××号交配☆☆号」だの管理しやすい名前になったりする。精肉された牛肉のバーコードなどを検索すると肉になった牛の号が出ると思うので興味があればやってみて欲しい。

さて、牛の名付け作業であるが、先日「ひつじ号」に子牛が生まれたので「おぼろ号」と名付けた。これは春廼舎朧こと坪内逍遥が迷える子羊、逍遥、と号したことに由来する。どうでも良い。

「ひつじ号」に何故「ひつじ号」としたか、まあネタが無いので干支の順番ででも名付けたのだろう。よくある話だ。いやよくあっては農協の係さんが迷惑するのだが。

何故正井家の本家においてわたしの暴挙が認められているのかといえば、数十年前にわたしが「紅白号」とした和牛がかなり良い評価を貰ったことに起因する。但馬か松坂かは知らないが、兎に角我が家では大ニュースになった。因みにベニシロと読ませた。祖父ははしゃぐし祖母は表彰式?に同行するかまでわたしに聞いた。まあヒラキになった紅白号の前で写真を撮るのもシュールだったのでわたしは引きこもりの権利(があるかどうかは各位に調べていただきたい。)を行使した。

これが表向きの理由である。勿論裏向きの事情がある。

ある時牛の名付けをわたしは一度だけサボったことがある。その時の祖父はどうしたか、「まい号」という牛にしたのだ。フェイクである。なぜかと言えばわたしの本名だからだ。

考えても見てほしい。

「今年のまいが産んだ子は出来がいい」「今のまいは乳が張っている」「まいはほんまにええ親で」「まいの産んだ子が」「今年もまいにええ種見つけな」「まいの産んだ子が」「まいが」「まいの」「まいが産んだんは」

刺すぞ祖父。


ことある毎にこれである。そして牛の『まい』は孫の『まい』と同じ音だ。かなり長生きした雌牛で、今でも正井家の本家では「まい号」が出産した記録が山のようにある。実際、目のキラキラした少女のような、しかし大きな腹は居心地も良さそうで骨盤も広く、気性は大人しい良い牛であった。わたしと名前が同じことを除けば。

あの世で会ったら祖父はやはりわたしが刺す。手を出すな。


しかし庇うべく余地はある。

昭和昔話(仮)に祖母が受けた教育時期の話をしたことがある。

https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=62713732

祖父は14歳の頃に終戦を迎えたらしい。一番の遊びたい盛り、学びたい盛り、そして学ばせるべき盛りである。日米戦争が激化した時期を考えれば、学び舎の広い庭は芋畑になり(その影響で祖父は芋だけは嫌いであった。)、疎開してきた人々を迎え、わたし達には資料でしか残されていない軍国思想教育を受けている。そしておそらく竹槍を振るう授業をやり、読み書き算盤よりも思想教育戦闘訓練、消火活動の指導や『このせか』のすずさんが婦人会で受けている爆弾の驚異など、そちらのほうに傾いた世代の人間である。わたしが中学で英語の授業を受け、理科系の授業で血液はどこで作られるか、そういった話をしたことがあるのだが、「そんな外国語わからん」「血は胃で作られるんや」と言って憚らないひとだった。

祖父はおそらく、文盲に近かったのではなかろうか。こうした牛の成績がいい、と聞きかじり、何故かその真逆の行為をやるという読解力の無さも今では立派な分析材料である。

そろそろお察しであろうが、祖父とわたしは十年以上前口を効かないで祖父が鬼籍に入ったレベルで不仲であった。とりあえず彼岸で再会したら刺すと思う程度に今でも不仲である。

牛の名付け行為というのは、事実、そして真実、不仲であった祖父とわたしとの繋がりでもあったのだ。

「おぼろ号」は人懐っこい、そして足腰の確りした雌牛である。なかなか数多に牛を見てきたわたしが「こいつ成長はええな」と思う程度に早熟な様子で、生後一週間で既に草食が可能である。

牛というのは面白い。

夏目漱石は芥川龍之介と久米正雄に宛てて「牛になれ」と言った。森鴎外は文明開化を画き「食物としての牛」が登場する『牛鍋』とした。高村光太郎は『牛』という詩で牛の生き様への憧れを画いた。全く関係ないが太宰治は川端康成に「刺す」と言った。

そして不仲の血縁との唯一の繋がりであったりする。

牛とは面白い生き物である。あの美しい眼を見るために、わたしは時折牛小屋の石灰を踏み砕く。あの世で会うだろう祖父を刺すため、牛を見習ってみようかとすら思う。

だがな、祖父、矢張り自分が面倒見る牛に自分の孫の名前は不味いと思うんだ。


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