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編集後記「植村文楽軒解説」

こんにちは、お久しぶりです、正井です。

この記事は

こちらの動画の編集後記となります。音量設定をミスっております、視聴の際は音量にご注意ください。

動画立ち絵素材を新しくしまして、ようやっと新作動画投稿と相成りました。

確か正井が小学校中学年の頃、林間学校の親戚みたいな名前の一週間くらいの宿泊イベントがあったんですよね。その時の社会見学、チーム課題のチェックポイントが文楽軒の供養塔だったんですよ。

今回は結局地元のほか文献に中る時間が取れなかったので、そのうち補足史料などこちらに追加していこうと思います。

今回の参考文献は動画内でも言いましたが、『むかしばなしひがしうら』平成十年四月発行、編集、伝承事業編集委員、発行者に東浦老人クラブ連合とあります。

編集委員一覧には小学校時代にお世話になった先生のお名前が載っていたりするんですよこれが。


さて植村文楽軒。本名正井大蔵。こちら、正井の筆名masaiの由来でして、雅号正井舞の名字の由来ともなっております。masaiの名前を考えたとき、検索避けという点で一番優れていた文字列が「masai」でした。だってアフリカ系のなんかサイトしか出てこなかったから。

気軽な気持ちで設定しました当時はハンドルネームですが、日文系、日本史、江戸文学の方には割と見破られたりするんですね。なんでかってえとそら正井が浅学だからです。というかそもそも植村文楽軒が全国区だというのもその時まで知らなかったのですわこれが。吃驚するわ。

あだしごとはさておきつ、今回の動画で一つ推してみたかったのが、芝衛門狸≒植村文楽軒説です。芝衛門明神と文楽軒、淡路から浪花に来た芸能屋。だいたい時期もあうのでは……というところを図書館で当たるべきだったのですが、図書館まだ開いてなかったんですよね。詳しい方がおられましたら是非調べてみてください。

そしてもしも可能性が光りましたらご一報ください。知りたい。

中座と高津の位置関係と芝衛門狸公園と文楽軒供養塔の位置関係も少しばかり似ておりますので、淡路島に来られた際は、特に文楽芸能ファンの方はお立ちより、お手を合わせて頂けると良いかなと思います。


暑くなってまいりました。供養塔の写真撮影の際、数枚勝手にシャッターが下りたことをご報告しまして、この度も読了感謝。

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