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自分史①「生まれたらそこが山浦家」

自分の人生を振り返ってみる。
とにかく好きなことをやってきた。
多くの苦難があったようにも思える。

今となってはすべてが笑い話だし、いい経験だと言えるが
死ぬかと死のうかと思った記憶もある。

とはいえ、今となっては人生経験としてはネガティブなものは何も残っていない。

幼少・九州時代

生まれは福岡県八女市。たぶん。
記憶にあるのはそのあたりからしかない。

両親はスーパー「ファミリークック」を福岡県内に数店舗営み、久留米にレストラン「クックマン」後に「いっき亭」、家の前に焼き肉屋「牛将」があり、きれいな一軒家に住み、小学校ながら3人兄弟それぞれに部屋もあったので裕福な家庭だったと思う。

子供ながらスーパーで卵のたたき売りを手伝ったり、夕刊の新聞配達をして初めてもらった数千円の給料でグラスを買ったりもしていた記憶もある。

小学校3年生の夏休みに入った頃のある日、突然ランドセルに教科書を詰めさせられて 引っ越しを告げられた。親が言うには初めての引っ越しにテンションを上げていたらしい。

平成元年 父親の事業の倒産。

どうやら両親が3人兄弟を前に座らせて涙ながらに倒産を伝えたらしいが何も覚えてない。

そして、トラックと車一台で本当に夜中に出発した。

目的地は親戚のいた滋賀県。10時間を超える長旅だった。

青春・滋賀時代 前編

小学校3年生の夏休み初めて関西に踏み入り、滋賀県に家族5人で4.5畳二間だったかな、今なら絶対選ばない手のひら大の蜘蛛が這いずるボロアパートに入った。

父親はとりあえずアパートの大家がやってた建築会社?に入り、母親もパートにでた。

ある日、母親に7万円ほど入った私名義の通帳を見せられながら「貯めていたお年玉を使わせてほしい」と言われた。当初は生活にお金がなかったはずなので勝手に使えばいいようなものだが律義に確認してくれた母親に対して、当時の私はいやいや承諾したように思う。

とはいえ、バブルが残る日本経済だったので どうやら両親で生活には十分な稼ぎはあったようで これまたある日突然アパートの壁を父親がデカハンマーで壊し、ぶち抜き始めたと思ったら隣の部屋も借りたので許可を得てとのことだった。

小学校では、九州から来た異言語(九州弁)を操るテンション高めのデブ、ということですぐに友達ができたが関西弁には苦労した。


そして、その陰で夜逃げ後の家の隣に住んでいた親戚の家にはヤクザが頻繁に訪れ、震える親戚に我々の居場所を脅し聞いていたようだ。


中学に入るころには賃貸の一軒家に引っ越し、ごく普通の中学時代だった。

デブでサッカー部だった私はよく部活をさぼり、家にいた。

そんな私を見て、父親に涙を流しながら 孫の手で死ぬほど叩かれたことがある。「お前みたいなやつの為に」そんな言葉が聞こえた。

仕事で死ぬほどいやなことがあったのだろう。
結果ただの八つ当たりだが父親となった今、家族の為に苦労を乗り越えながら仕事をする気持ちは分かるが当時は痛みと憎しみしか残らなかった。

青春・滋賀時代後編 

中学3年生、流行りの中でタバコを吸っていた。

ある日、たばこのにおいの残る部屋に現れた親父に「タバコ吸ってるやろ?」と問われ、否定していたが数度目の同じ質問にYESといった瞬間に親父に全力で顔面を蹴られ、「中学でタバコ吸うやつがどこにおるんや!!」との怒声とともにうずくまる私をさらに蹴り上げ、顔面を踏まれた。

物音に気付いた母親が全力に止めにかかり、「兄もすってるやんね!」と九州弁交じりで訴えた。

4つ離れた長男は高校生ながら家の中で公然と煙草を吸っていた。
母親は嫌な顔をしていたが父親は何も言わなかった。

それに対する親父の答えは「あいつは高校生やろが!」だった。

そんな腕に根性焼のある父親は私が小学校高学年になるころには、自営業で今度は空調設備の仕事を始めていた。

私は小学校の頃から休日となると父親と一緒に工事現場に入り、コンクリをねったり、業務用クーラーなどを運んだり、掃除をしたりして小遣いをもらっていた。

高校くらいになると立派な会社になっていて、長期休みとなれば休みの半分以上は現場で働き、7万円のビンテージジーンズやバイクを現金でかえるほど稼いでいた。

働くのが当たり前すぎて、停学をくらった時も母親が「時間があるなら働かしたい」と言って担任に怒られたくらいだ。

普通の高校生よりは働いてはいたが、それ以外は普通の流行りもの好きな高校生でサーファーが流行ればメッシュを入れて、バンドが流行れば「ハイスタ」をコピーした。

勉強が嫌いだった私は高校受験で勉強はせず、入れるところに入った。
今でも母親にはあの時もっといい高校に入っていれば と言われる。

ただ確かに高校2年くらいから、同級生と自分の価値観の違いを感じるようになってきていた。

とにかく地元を出たいと思うようになった。


長くなるので今回はここまで。
おそらく3部作になる。

どこまで細かく書くか悩むけど ここらで整理してみるのも悪くない。

つづく



そういえば母親に
「食べるために生まれてきた」と言われたことがある。

感謝しかない。





ありがとうございます。何かしら社会の役に立ったり、誰かの人生に影響するような記事を心がけていきます。 根が照れ屋なので 若干の不真面目は照れ隠しです。 ご承知おきを。