自分史② 「フリーターは暇じゃない」
新しい元号「テクノカット」元年に入ったのでそろそろタバコを止めないと咳が止まらない。
振り返りを込めての自分史の続き。
このあたりから初めて人生を選択していく感じになる。
フリーター時代 前編 「受験戦争0」
大して賢くない高校だったから推薦をもらい、大学受験をした。
東京の大学。
ほとんど面接で決まるといっても過言ではない状態だったはずだが 当時の私は考えることを拒否し、ゼロの状態で面接を受けた。
問い①「なぜこの大学を?」
私 「緑が多いから」
問い②「なぜ経営学部を?」
私 「・・・ライブハウスとか好きだから?」
問い③「ライブハウスで経営学部出てる人あんまりいないと思うけど」
私 「それは私が決めることなのであなたには関係ない」
※このあたりで制服のネクタイを緩める、、
そんなこんなで大学行く理由は時間稼ぎ以外特に思いつかなかったので 大学には行かず(行けず)、ただ八王子の兄の家に転がり込み、兄の大学の軽音楽部に所属した。
それなりに音楽やっていた気もするが、今となってはホントに中途半端だったと感じる。
ただ、地元を離れ八王子にでて本当によかったと思ってる。
とにかく出会ったことのない種類の人間にたくさん会えた。
この辺の経験が自分の外に出る喜びの原点になってる気がする。
今となっては結果、人生で5年強海外で生活したことになっているがこの当時は海外に住むなんてほんの一握りの特別な人間だと思っていた。
そのきっかけは写真部の友達でカメラ(当時はフィルム)片手にふわっとアジア回ってくる奴だった。
人生のきっかけはいつだって「こいつにできるなら俺にもできるのでは?」だ。
ちなみにパソコンも箱型でネットもスマホもない時代なのでちょこっとだけ今より情報を得るのは不便だった。
フリーター時代 中編 「旅①」
よし、じゃあ行ってみよう。
ということで最初に一人で行ったのは簡単そうなタイランド。
ドキドキしながら リュックに荷物を詰め込んで空港に行った。
頼りは「地球の歩き方」。大体これ見て動けば大丈夫だと思ってた。
格安航空券だったので覚えてないけど どっかの国でトランジット5時間くらい。同じように若い旅人が溜まってたので すぐに仲良くなった。
若者A「旅何回目ですか?」
私「いや、初めてでドキドキしてたので友達出来て安心してます。」
若者B「僕は数回目ですけど、サンダルで空港来てる人初めて見ました。」
若者A「そうそう!この人めちゃ旅慣れてると思った!」
、、、そうなんだね。ケチな私は地球の歩き方みて、大体現地で安くそろうって書いてあるから 荷物が激烈に少なかった。
タイについてからも「え、それで全部?手荷物だと思ってた!」と言われるくらい。Tシャツ2枚とパンツ2枚くらいしか持ってきてない。。。
まぁそんなこんなでタイは北はチェンマイ、下はタオ島まで2週間ほどでかけ抜け、トレッキングで今だに人生で一番の星空の思い出、タオ島で泳げないのにダイビングライセンス(初歩ね)取得や失神するほどの腹痛などを素敵に経験した。
「旅②」
次は初めてのスタディツアー インドネシア、バリ島。
少しづつ国際支援に興味を示した私は 3週間で15万くらいという激烈に安いツアーに2秒で申し込んだ。馬鹿みたいに働いていたので金ならある。
孤児院の建設や子供たちと絡み、ホームステイ。
うぶな私はウキウキ楽しみに出発日を待ち望み、空港の集合場所に到着。
ふむ、こんなメンバーでいくんだなーと若者たちに紛れ、まだ打ち解けない群れの中でチェックインに入る。
そしてパスポートを開いた瞬間に崩れ落ちた。
「山浦、、、良平?」
何をまちがったか兄のパスポートをもってきてしまった!
、、、まぁなんとかなるか。。顔もまぁ似てるし。。。
!! いや兄を演じるのは簡単だが そもそもチケットの名前が違う!
そして「なんかイタいやつがいる」という雰囲気の中でみんなを見送った。
励ましの声をもらった気もするが何も耳に入らなかった。
空港から戻る電車の中で否認と孤立、怒り、取引、抑うつ、受容と相変わらず死への5段階を経ながら車窓を眺めた。
答えは一つ、「追いかける」。
とはいえ、流石にもう一回チケット買う金はない。よし、親しかない。
親になんとか用立ててもらい、約1週間遅れで一人でバリ島に乗り込んだ。
みんなに合流した時点で噂の「パスポート間違えた男」として受け入れられ2秒で打ち解けられた。
結論、内容は半分以上ボランティアとは程遠い内容だったが新たな友達との出会いやホームステイなどの経験ができた。
その中で一つだけ自分の国際支援の原点になった出来事がある。
ある夜 孤児院の一人の女の子が腹痛を訴えていた。
次第に泣き叫び、のたうち回るようになった。
「病院に連れて行こう!」
「ダメだ」
「大丈夫、金なら何とか払うから」
「違う、危ないんだ。手術されて死んだ人がいる」
「じゃあどうするんだ!」
そんなやりとりがあったと思う。
苦しむ女の子を前に涙が止まらなかった。
今ならもう少し考えられるが当時20歳そこそこの無知な自分には素直にそれを信じ、受け止めるしかなかった。
無力を嘆くしかできない中でその時に感じたリアルなこの世界の不平等と理不尽は「絶対にこの世界を変えてやる」という強い自分の誓いになった。
「僕がこの世界を変えていく」
気持ちは今でも変わっていない。
現状や環境に言い訳する気もないし、他人も関係ない。
自分が前向きに生きてる限り、僕の決意は生き続ける。
方法や手段を考える前に足元からやればいい。
さて、あまり進んでないけど 長くなったので終わる。
3回で終わる自信がなくなってきた。
途中マガジンも挟みながら 少しづつ進めよう。
・メモ→自分
「フリーター時代 後編」は国際支援のキッカケとアルバイト。。
ありがとうございます。何かしら社会の役に立ったり、誰かの人生に影響するような記事を心がけていきます。 根が照れ屋なので 若干の不真面目は照れ隠しです。 ご承知おきを。