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行為資源と公園(行為の資源Ⅰ)

1)使い手の行儀良さ

 このところ、新しい商業ビルや駅ビルは、屋上や途中階に、屋外あるいは半屋外のオープンスペースを併設するのがトレンドのようです。お金を生む事を目的とした商業施設が公園みたいなみんなのスペースをつくると、そこはどんな場所になるのか興味があって、近くに寄れば足を運びます。

 宙に浮く公園に立てば、今まで見たことのなかった都会の風景が眼前に広がり、未知の都市空間との遭遇に心躍ります。ビル群の隙間を目新しい角度から見通したり、行き交う車と立体的に交差したり、眼下に線路や駅のホームが何本も何本も並んでいたり、ここって実はそうなっていたのか~と、再発見の声がつい漏れます。ある日思いつきで歩き慣れた歩道をやめて反対側の歩道を歩いてみると、見慣れた風景がいつもは見せない表情を見せてきてドキッとすることがありますが、その立体スペクタクルのようです。どこも気を利かせて緑が配されていてお洒落で楽しそうです。

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 不思議に感じることもありました。幾つかのスペースでは何だか、使い手(利用者)の“行儀の良さ”が目立つのです。公園ってみんながもっと自由気ままにやっている所じゃなかったっけ? あの“行儀の良さ”はどこから来るのでしょう。施設管理のための利用規約も一因でしょうが、それだけではない何かを感じます。

 使い手を見ると、目の前に広がる物や状況から、「こう使って下さい」というサインや空気を読み取って、それを言われた通り忠実に遂行しているように感じました。周囲を見倣った身構えでそこに居るようにも見えました。そのような作法が染みついていて、そうする方が安心する人もいるのでしょう。公園に比べ客層が限定的なのも理由だと思います。また、広さも限られ、人と人の距離が近いため、気ままに振る舞いづらい面もあると思います。物や状況に目を向ければ、それらの発するサインや空気がはっきりしていたり、そうしか使えないようになっていたりします。作り手(設計者)の、使い手の行為を一定の範囲内に収めて美観を保ちたいという意図も働いているように思います。でもその一部は、あくまでサインや空気だったりするので、必ずしもそう使う人ばかりではありません。ごく少数のやんちゃな若者や子供はそんなサインにお構いなく、勝手な所に腰掛けたり遊んだりしています。でも、その使い方も十分理に適っているように見えて、行儀は悪いかもしれませんが、その自由さに安堵したりします。

 このように、“行儀の良さ”は使い手と作り手の共犯関係によって現れるのだろうと思います。ビル併設のオープンスペースは、一連の買い物体験の一部として組み込まれたもので、公園とはそもそも目的が異なるため、“行儀の良さ”が良いとか悪いとかということではありません。ここでは、それによって浮かび上がる公園の本質について考えたいのです。

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2)資源と道具

 公園を想像してみます。芝生で寝転がったり、どんぐり拾いをしたり、噴水の縁に腰掛けたり、人の邪魔にならない所でバトミントンをしたり、使い手が自由に使い方を見つけて利用します。もちろん、ベンチをはじめ使い方のはっきり決まったものもあります。でも、ベンチだって座るだけでなく横になったり、そこで一夜を明かす人までいます。樹木にフォーカスしてみれば、木登りもすれば、その木陰でピクニックをすることもあります。木登りだけ見ても、その枝振りや丈夫さによって、通り道にする枝や腰を下ろしてひと休みする枝、行ってはいけない枝を使い分けます。そのような行為は、前もって決まっているものではなく、使い手がそこから想像し、試してみることから生まれます。

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 公園では、そこら中に色んな行為が埋まっていて、それを使い手が好き勝手に掘り起こしているイメージが湧くのですが、ビル併設のオープンスペースでは、予め決まった行為が始めから目の前に晒されているイメージが湧きました。別の表現をすると、前者は行為のための「資源」になっていて、後者は行為のための「道具」になっていると言い表せます。「資源」とは、「道具」になる前の原材料をはじめ、人間の諸活動に利用できる事物全般を指し、「道具」は、特定の行為だけを効率良く行うための器具を指します。「資源」は知恵を絞って色々な形に活用できますが、「道具」は決まったように使うしかありません。

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3)行為資源

 そこで、公園に散在する上のような有様や具体物を『行為資源』と呼びたいと思います。知覚や認知に関する理論、アフォーダンス理論では、人や動物が利用する物の性質のことをアフォーダンスと呼びますが、これまで述べてきた多くもそこに含まれます。『行為資源』という言葉は、アフォーダンス理論の視点の一部を、空間をデザインする際に使いやすいように抽出した言葉とも言えます。『行為資源』は公園に限らず、身の回りを見渡せば幾らでもありますが、それらについては別の機会に書きたいと思います。

 また、資源を英語ではリソースと呼びますが、人の能力を引き出す技法であるコーチングの分野では、その人個人の能力や可能性のことをリソース、それを十分に発揮できる心の状態のことをリソースフルと呼び、人をリソースフルな状態にする手法が日々研究、実践されているそうです。これをデザインに置き換えると、物や空間を、「道具」にすることなく「資源」のまま、『行為資源性を高める』(リソースフルな状態にする)手法が想像できます。そのような状態は、それを利用する人を自由で能動的な構えに向かわせます。

 この十数年、『行為資源』の事を考えながら住宅等を設計してきましたが、『行為資源』という言葉を手にしていなかったため、それら自作の根本を上手く説明出来ないままでいました。そこでまず、言葉を得たこの機会に自作の住宅について語り直してみたいと思います。

 そして、それに限らず、建築やパブリックスペース、身の回りの物事を対象にして、『行為資源』をキーワードにしたデザイン手法について考えていきたいと思います。

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