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行為資源と住宅1(行為の資源Ⅱ)

 前回は、公園を「資源」と「道具」の対比から捉えることで、使い手が行為を好き勝手に掘り起こせる有様や具体物を『行為資源』と名付けました。

 このイメージは、実際に住宅を設計しながら抱くようになったのですが、それは、住宅が他の機能の建築に比べて行為が密に集まっているからだと思います。そこで今回と次回は、『行為資源』の特徴の要点について、自作の住宅(注)を例に挙げながら考察していきたいと思います。

(注)著者は、設計デザイン事務所POINTのパートナーとして2005年~2019年の14年間活動しており、今回挙げた事例はその時期の作品です。

1) 期待と信頼

 『行為資源』は使い手に対して、決まった行為を常に提供するものではありません。使い手が必要な時に必要な行為を掘り起こせるという、使い手との自由な関係を表します。暮らしの中で必要となる行為は毎日の都合や家族の成長により変化します。今必要なものが後で必要無くなり、今必要無いものが後で必要になるのが普通です。だから、決まった行為に使い手を縛り付けるのでなく、そのうち必要になるかもしれないという期待を尊重します。

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 写真に写る20㎝ずつの段差に生まれる主な行為は昇り降り、つまり階段で起こる行為です。一方、その周りのスペースとの関係が強いため、腰掛けて使うこともよくありますし、子供が机代わりに絵本を広げること(下に写真あり)もあります。しかし、人の動きの多い時間帯、例えば、朝の出勤登校前は邪魔になるので、そういった行為はあまり起きないでしょう。使い手は、その時々の状況を判断して、行為を掘り起こしたり、掘り起こさなかったりします。

 『行為資源』の使い方(使い手の掘り起こす行為)を最終的に決めるのはあくまで使い手であり、作り手はその可能性を暗示するだけです。そこで起こる行為は、作り手と使い手とのコミュニケーションの産物であり、『行為資源』は、作り手が使い手の創造力を信頼してこそ成り立ちます。

2)使い方と表れ

 「道具」は、その使い方が基本的に決まっています。例えば金槌は、釘を打ち込むための「道具」であり、その形状や素材、部品の分節等を通して、金槌であることを表しており、それが分かり易いほど親切なデザインと言えます。しかし、『行為資源』は、自分なりの行為を自由に発掘してもらいたいので、そのような表れが弱い方が好都合です。私達は、目の前の道具に対して、その姿から適した使い方を読み取り、その通りに使うことに慣れているので、使い手をそのような習慣から引きはがすには、特定の用途を感じさせない表れが必要です。だからと言って、取り付く島が無ければ行為は生まれません。何か使えそうと感じさせつつ突き放す、そのさじ加減が『行為資源』のデザインには重要です。資源性が高いとは、特定の用途をなるべく感じさせずにいながらも、使い方をいろいろ掘り起こしたくなる状態のことを言います。

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 写真の黒い丸パイプは、人が床から落ちないためにあります。床の立上がり面にペタッとくっついた、手摺らしからぬ納まりにすることで、少し手摺に見えにくくしています。また、勉強机の脚や階段の支柱と材料を揃えることで、それらと混同して見えるようにしています。手摺のような手摺でないような物をつくった結果、竣工直前になって、襖絵のような疑似風景が広がるカバーを被せるアイデアが生まれることになりました。これを使うか使わないかも使い手の自由で、カバーが目隠しとなることで、その周りで生まれ易い行為も変わってきます。

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3)計画と管理

 作り手(設計者)は、『行為資源』に起こる行為をある程度は計画しますが、計画しきれるものではありません。計画通りに使ってもらうよりも、そこからはみ出した、使い手の生き生きした行為を歓迎します。デザインされた空間がそれらに凌駕されてしまい、場合によっては、雑然と映ることもあるかもしれませんが、それも積極的に許容します。つまり、作り手の思惑通りに使われることよりも、使い手の自由な行為が生まれる契機になることを目的とします。また、作り手は、家具の配置や造作家具のデザインを介して具体的な行為を目に見える形にすることもありますが、それはあくまで使い方の一例なので、使い手は、その時々の都合に合わせて自由に別の行為を掘り起こせば良いのです。

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 このことは子供の行為に顕著に現れます。子供はひたすら体を使って行為を試し続ける、行為探しの先生です。上の写真に住む幼児は、階段の広い段(下から2段目)を自分の部屋とみなして自分のお気に入りの玩具を広げ、壁の開口の縁に手を掛けて捕まり立ちの練習をしながらテレビを見ていました。また、別の住宅では、階段の段板同士の隙間から顔を出し、その向こうの大人と会話をしていました。子供は、何をどう使うかの慣習にまだ縛られていないので、大人には想定外の使い方を次々掘り起こしてくれます。また、身体サイズが大人と異なるため、同じ行為資源でも生まれる行為が違ってくるという面もあると思います。

 住宅の話ではありませんが、パブリックスペースに目を向けると、公園や駅前広場等は使い方に関する“管理”が昔に比べて厳しくなったように思います。そうなった然るべき理由はあるのでしょうが、何だか随分窮屈になったなと感じます。社会全般に、計画外のことを許容しない風潮が強まっているのも一因だと思いますが、『行為資源』はデザインの目線からそのような風潮について再考する契機にもなると思います。

4)不便と工夫

 『行為資源』は、決まった使い方に特化していないため、便利さを極めていない、ある意味、不便な状態とも言えます。世の中、不便はどんどん減っています。私達の身の回りに溢れる商品はただ使い易くデザインされているだけでなく、用途が細分化され、あるいは必要無いほど多機能になり、自動化も日に日に進み、言ってみれば、至れり尽くせりの世界です。しかし、その分、受け身の構えがすっかり身に染みてしまいました。そこには、失った喜びや豊かさもあるはずです。それは、工夫すること、体を使って試しながら考えることです。

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 写真の三角断面の小屋裏部屋では、天井の低い半分ほどは人が立てません。しかし、立てない不便さが使い手に工夫するきっかけを与えます。写真では、低い範囲に寝る行為を充てていますが、子供が小さければ、そこに彼らの身体スケールに合わせた独自の行為が生まれることもあると思います。逆に、無理に使うことはせず、余白として空間のゆとりとすることもあるだろうと思います。
 このように、不便は、その不便ならではの使い方が埋め込まれた『行為資源』でもあるため、その可能性を探ることも『行為資源』のデザインのひとつと言えます。

 『行為資源』に関して、今回は、主に使い手との関わりについて考察してきましたが、次回は、建築的な特徴について考察したいと思います。


事例作品

ジュッカイエ(2009年竣工)
写真(ヘッダー,1,2枚目):Seiji Mizuno
写真(3枚目):Tetsu Hiraga
参考URL: http://point-tokyo.jp/archives/94
掲載:新建築住宅特集2009年8月号

マルサンカクシカクイエ(2011年竣工)
写真(4,5枚目):Photo by Shinkenchiku-sha
参考URL: http://point-tokyo.jp/archives/485
掲載:新建築住宅特集2013年4月号

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