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54話-全日本への道のり

全日本選手権に出ようと思った。

変な話なのだが、今まで国内の連盟の大会にほとんど参加したことがなく、いつもDUMAUや他の試合に出ていた。

しかし名古屋インターナショナルに出た事により、オフィシャルの大会に出ないとと言う意識が芽生えた。

石川さんも「日本王者って名乗れるのは便利だぞ」と仰っていたので、その年のJBJJFの全日本選手権に出ようと思った。

しかし問題があった。

実は膝が完治しておらず、そんなにスパーリングが出来なかった。

膝を内にいれさとすぐ膝が横に動いて、ニースライスパスのような動きは出来なかった。

なので青木さんや大輔さんなど、せっかく出来た繋がりも遠縁になってしまっていた。

やっていたのは、怪我してから行っていたフィジカルトレーニングが私の支えだった。

その自分で決めたフィジカルトレーニングも、どんどんメニューがキツくなっていった。

バイクトレーニングを取り入れた時期は狂気の沙汰だったと思う。

週5回のスピンバイクトレーニング。

スピンバイクに乗り30秒全力で漕いで30秒レストを12ラウンド。

心拍計を付けて190を全ラウンドの半分を超えなければ6ラウンド超えるまで追加。

このトレーニングは自分で設定しておいて罠がある事に途中から気がついた。

トレーニングを続けていれば心臓は強くなり、心拍数があがらなくなってくるのだ。

だから楽になる時は無く、ずっと苦しいだけのトレーニングだった。

よく泡を吹いた。

終わったら脚が痙攣して動けなくなった。

乳酸トレーニングは毎朝憂鬱で、ジムについてバイクにまたがったり目の前に座り込んだりして30分や1時間心が決まらない時もあった。

しかし、全日本まではやると決めた。

それに意味があるのかないのかは、全日本の結果で決めれば良いと思っていた。

私が今回テーマとして出したのは「全力を出す」と言う内容だった。

初めての全日本で入れ込んでいたのかもしれないが、私はここまで苦しい事を出来たんだから、これ以上苦しい事なんてないと言う自信が試合までに欲しかったのだ。

私は減量しながらもこのハードな乳酸トレーニングをやりきって、全日本に望むことが出来た。

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