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ジョセフ・グエン「考えすぎない練習」に学ぶ。

こんにちは。ITの世界に流され、35年くらい漂流しています。特にここ10年の変容は凄まじいなと思うと同時に、ITによって事業停止したり場合によっては企業としての立場を失ってしまうこともあります。厳しいなかに身を置いているのだなとつくづく感じますが、まあそんな身を任せて生きています。

考えすぎない。

新しいガジェットが好きなほうなので結構早めに利用したりします。それでも世界にはもっと凄い方々もいていつも驚かされます。ついていくのがやっとで変化に対応できているのかと苦悩する日々。しかしあまり考えすぎない性格(?)でもあるためこの世で生き残れているのかなとも思っています。

先日、このような本を読みました(というかaudiobookで聴きました)。

内容を深くは書けないのですが、悩みの根本原因は「考えすぎ」にあるとのことでした。これはとても理解できるフレーズ。レゴ®シリアスプレイ®の世界でも「考えて作る」ことはあっても考えすぎないことがとても重要だと感じています。それは直感だけではなく自身の深層心理に頼ると言えますね。

第三者的な思い。

以前からも書いてきているとおり、レゴ®シリアスプレイ®は限られた時間内でファシリテーターの出す問いに対し、レゴブロックで作品として表現していきます。もちろん時間的制約のために「考えすぎない」もあるにはあるのですが、それ以上に自分と向き合うことにパワーを使う場面でもあります。

レゴ®シリアスプレイ®の必要性ついてはこちらを御覧ください。

とかく自分と向き合うことはとても苦しいのですが、第三者的な思いを持って作品を作るという行為がその苦しみを和らげます。もちろん心理的安全な場が準備されていることが重要で、認定ファシリテーターは常にこの、場の雰囲気、を意識しつつ参加者がフローに入れるようフォローしていきます。

モヤモヤするくらいなら。

人はどうしても自分を中心に物事を見たり解釈したりしてしまう。前述の書籍にもそんな内容が書かれており、読んでいて(いや聴いていて)しっくりきました。そのひとつが7つの習慣でいう「刺激と反応の間にはスペースがある」でした。スペースの活用こそが「考えすぎない」なのだと思います。

物事の解釈について7つの習慣ではこの3つの社会的な地図(決定論)が書かれている。

・遺伝子的決定論
  「短気の家系だから自分の短気はおじいさん譲りのせいだ」
・心理的決定論
  「自分が人前であがってしまうのは親の育て方のせいだ」
・環境的決定論
  「今の自分の状態を作っているのは取り巻く環境のせいだ」

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
「第1の習慣:主体的である」社会通念の鏡 を参考に著者記載

3つの決定論をあまり考えすぎない(考えない、考えても仕方ないとも言える)ようにするだけでも見方・解釈が違ってくると思います。アドラー心理学にも「課題の分離」という言葉もあるし、モヤモヤするくらいなら考えすぎないほうが心にも身体にも良いのだろうなと名著も言ってくれています。

流れに任せてしまっても。

それでもどうしても関心の輪が気になって、自分の中心に影響を及ぼしてしまうようであればどうすればよいのでしょうか。個人的にもその部分に対して確固たる答えがあるわけではないのも事実。他者を変えることなどできないことを知り、その刺激と反応の間にスペースを作るしか思いつきません。

7つの習慣もレゴ®シリアスプレイ®もけっして万能ではない。すべては物事の捉え方、見方、解釈によって形作られた自分自身をどう向き合わせるか。繰り返しになりますが変えられるのは他者でも周りの環境でもない。考えすぎないよう、その時々で流れに任せてしまうのもありかもしれませんね。

最後に。

自分自身も反応的になってしまうことが多いので、この本を読んでとても思うところがありました。最初はあまり乗り気のしない書籍でも、進むにつれて得るものが多くなる場合もある。本当にありがたい話です。

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