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小学校一学期が終わった --- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」

「一学期が終わる……」
「一学期が終わるとどうなる」
「知らんのか?」
「……」
「夏休みが始まる」

小学校の一年生の一学期が終わった。これをあと17回繰り返せば小学校卒業だ。鬼か。

この4ヶ月近くは、僕の転職やらなにやらでエクストリームであったことは既に述べたのだが、改めて一学期を振り返って思うところを書いておこう。
ただし、学校関係も放課後デイ関係も、ほぼ妻がとりまとめているので、彼女を通して見聞きした部分が大きい。あ、これは何のためのエクスキューズかというと、別に僕が頑張っているんじゃありませんよ妻が頑張っているんですよイクメンじゃないですよ、というエクスキューズである。

などと書いてから、一ヶ月が過ぎた。

「夏休みが終わる……」
「夏休みが終わるとどうなる」
「知らんのか?」
「……」
「二学期が始まる」

9月になった。何をやっているのか、僕は。

さて、気を取り直して、入学してからのことをつらつらと書いておこう。

息子は、最初はバスに乗れるというので喜んでいたが、すぐに行き渋りが始まった。でもなんだかんだと、行き渋りで行かなかったことや遅刻したことやバス以外の方法で送ったことはなかった。通信簿をみると、病欠と登校禁止(病気で)で合計2日休んだだけになっている。僕はほとんど見送りをできていない。仕様期間が明けてから、2・3回はバスの見送りをしたかもしれない。基本は妻が朝の見送りをしていた。大変だったとは思うが、ガム(口の訓練のため)を噛んだりして時間をつぶしてバスを待っていて、それなりにコミュニケーションの時間になっていたらしい。

息子には天敵がいた。息子と同じようなタイプの子で、お互いにちょっかいを出し合っていたらしい。あまりにもちょっかいを出し合って授業にならないので、椅子を並べるときに端っこと端っこに配置されていたらしい。配慮いただきありがたいことです。
ある時、授業の中でペアを作ることになった時、息子は相手としてその子を指名して、相手の子もいいよと言って、それで仲良くなったらしい。
めでたしめでたしである。

そう、友達ができたのである。

保育園も友達はたくさんいたけれど、やっぱり弟分的なポジションだったのが、支援学校では対等の友達ができた。多分それが彼にとっての一番の変化なのではないかと思う。
クラスに放課後デイが一緒の子もいて、夏休みの間の放課後デイから帰ってくると、今日はこの子とこの子がいたと教えてくれた。
そもそも、一学期の最初の頃に、友達が行っている放課後デイが何故か妙に気になったらしく、そっちに行きたいというので、切り替えたという経緯もある。

彼は小学校に入ってから、自分の希望を積極的に伝えるようになり、同時に今日あったことなど「報告」「説明」といったこともするようになった。
もちろん発語は少ないのでほとんどジェスチャーとマカトンと指差しなどを使ってなのだが、コミュニケーションの質が変わったという実感がある。
おそらく、学校と放課後デイの両方について、周囲の環境の変化と人との関わり方がよい形で彼にとっての刺激になっているのだろう。

次に家での遊びについても記録しておきたい。家での遊び方に少し変化があった。基本、エレクトリックデヴァーイス以外だと、トーマスのレールのおもちゃ(プラレールではなく木のレール)や、ブロック(今は生産終了となったダイヤブロックジュニア)で遊ぶことが多い。
以前は僕を呼んで、定型的なパターンで遊びをするのがメインだった。
親が忙しかったり寝ていたりすると、ひとりでレールをつなげてはいたけれど、レール単体での遊びだった。
小学校に入ってから、まずブロックで自分でサンプルにないものを組み立てるようになった。といってもビルのような直方体なんだけれど、上のほうで面白い天井っぽいものをつけたりして、なかなかに興味深い作例を見せてくれた。
素組での味わいではあるが。
やがて、レールとブロックを組み合わせて遊ぶようになった。
最初はレールの隣に積み木をおいて駅に見立てた。
すぐにブロックでトンネルや駅ビル的なものを作るようになった。
駅ビルが階段状になり、階段をトーマスが登るようになった。
僕がいなくても、ひとりでこれらを創造するようになった。
これはものすごい進化だと思う。
だんだん僕の子供の頃の遊び方に近づいていることが、とてもうれしい。

息子が新しい遊び方を自分で発見していくのを眺めながら、さてこの池にどういう石を投げ込むと、金塊になって出てくるだろうか、などと考える。

言語について。発語はまだまだ少ない。しかし、色々なことを喋って伝えようという姿勢が強くなった気がする。長い文章を宇宙人語で喋っていることもある。マカトンを含めた意思伝達では、4語文5語文を表現するようになっている。
頭の中で色々なことを考えているのだろうなあ、と思う。
むしろ親のほうが、もうちょいマカトンを覚えたほうがいいのだろうか、いっそ普通の手話をお互いに覚えたほうがいいのだろうか、などとも思う。

なんだかんだとあるわけで、他にもあったような気がするけれど、全体を総括するに、健常な子供と比較すればそりゃ遅いのは仕方がないが、彼なりに順調な成長をみせているといえる。驚くことも多い。

そして僕自身の変化といえば、安心して子供から目を離せるようになったというのがある。
少し前までは、子供から目を離すことが不安だった。それがなくなった。
家の中ですら、なにかずっと見ていないといけないような強迫観念的なものがあったのだが、ひとりで遊んでいる姿を見て、これなら好きにさせておいて大丈夫かなと思えるようになった(もっとも、むこうがこっちを放置してくれないが)。
外では相変わらず、走ってどんどん前に行ってしまうが、家の近所だったら迷子になっても最悪自力で帰ってこれるだろう、という程度には思えるようになった。

親も子も、少しずつ成長しているということなのだろう。
二学期は何が起こるだろうか。

(2018年9月5日記)

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