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熱烈なお手紙 --- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」

息子が、仲良くしている保育園のお友達の女の子から、お手紙をもらってきた。
女子からお手紙ですよ。六歳のくせに。なんてこと。

その女の子は体調を崩して二日ほど保育園を休んでいて、休んでいる時に書いてくれたんじゃないかと思う。
まあ、なんていうかね、熱烈な内容でしたよ。
すきすき〜って感じで。
これを詳しく描写すると、プライバシー的な?個人情報的な?青春的な?もの的にどうかと思うので、あまり詳しくは書かないし、子供ってすごいなって感じで、大人がどんなにそれっぽい説明で間接的に描写しても、このお手紙の温度は表現できないような気がする。
子供って、覚えたばかりの文字を使って、こんなにストレートに気持ちを表現するものなのだなってのが、本当に驚いた。
そして、こんなにも息子のことを好きだと思ってくれて、ありがとうと思った。
本当に、感謝である。感謝としか、いいようがない。
多分、保育園でもいろいろやらかしていると思うし、その女の子も客観的に見れば迷惑こうむってんじゃないかって思うんだけれど、それでも好きでいてくれるってのは、感謝の気持ちでいっぱいである。
ていうか、泣きそうになった。
ていうか、ちょっと泣いた。

息子は来年から支援学校に行く。仲の良い女の子とはお別れだ。
彼は来年から、普通の子供とは違う道を歩く。
とはいえ、ひとりだけ違う小学校というケースは、今の保育園のクラスにも何人かいるので、それと実質的にどこが違うのかと言うと、大して違わないような気もする。

彼が普通の子供と違うのは、紛れもない(それこそ遺伝子レベルで疑う余地のない)事実であり、違うものは違うのだから、普通の子供と同じレールを強要するのはインクルーシブでもなんでもない。親の傲慢である。
だから彼は、彼に適した道を行く。
今の普通学校の枠組みの基本はレールの強要であり、それ以上のことをする余裕があるようには見えない。だから普通学校に明かに規格外の子供に規格外の扱いを期待しようとは思わない。
彼は彼に適した道でよいのだと、親としては思う。それもまたレールのひとつなのかもしれないが、違うレールなのである。

だから同時に、これは分岐点のひとつであろうことも認識している。

息子と仲良くしてくれた女の子、クラスのお友達、彼女、彼らは、この先の人生で障碍がある人と接する機会を持たずに生きていくかもしれない。
だけどもし将来、ダウン症というものが何かを理解した時や、障碍がある人と接する機会があったときに、保育園の時に一緒だった彼と、まあそれなりに仲良くやれていたことを思い出してくれると、ほんの少しだけれどうれしい。

多分、インクルーシブというのは、そういう小さなことの積み重ねで、一見非日常が日常として受け入れられることなんだと思う。
北風と太陽みたいな感じ?

(2017年12月20日記)

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