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放課後デイについて --- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」

放課後デイとはなんぞや?という話である。

まず昨今の小学生の生活についてついて概観しておきたい。と言っても、僕が観測できる範囲の東京近郊での状況になる。土地柄や家庭状況によって、変わってくることはご容赦願いたい。

昨今は共働きが多い。それだけ女性が働ける機会があるということでもあるし、夫婦ふたりで働かないと金銭的に厳しいということでもあるのかもしれない。
保育園までは19時くらいまで預けることができるが、小学校にあがるとそれもできない。時短勤務も未就学児までである。この問題を「小一の壁」という。
どうするかというと、子供たちは放課後は学童クラブで過ごすことになる。児童館の中に設置されていたり、色々あるようだが、小学生が放課後に集まって宿題したり遊んだりして時間を過ごす。誰かがお世話をする場所でもないし、指導をする場所でもないので、まあ誰か見守ってくれている人がいる、くらいに考えておいたほうがいいのかもしれない。

一方障害がある子供は、手と目が必要である。目を離すとどこかに行ってしまうかもしれないし、定常的に何かしらのケアが必要な子供もいる。仮に共働きでなかったとしても、親が24時間その目と手になるのは、ぶっちゃけしんどい。
ということで、障害がある子供の放課後の行き場として、放課後等デイサービスという制度が作られた。
(このあたり、あくまで僕の理解の範囲なので、正確な情報がほしい人は役所なり法令なりで調べて欲しい)

少なくとも、昔のように、子供は勝手に家に帰ってきて、そこらに隠してある鍵を使って家に入って、ひとりで遊んだり友達と遊びに行ったりという平和な状況ではない、というのが東京の実状である。
だけど行き場があるだけでもありがたい。

息子は、現在、週に5日放課後デイに通っている。3ヶ所(2事業母体)に分散している。どこの場所も、一日に受け入れるのは10名程度のようだ。実際放課後デイの場所を訪れてみると、たいして大きくないスペース(学習塾くらいだろうか。あるいは、無認可の保育所くらい)を使っている。最初別の放課後デイに行っていたのだが、どうも水が合わないっぽいのと、謎の呼び出しで迎えにこいと言われたのが続いたのと、息子が友達が通っている別の放課後デイに行きたいと言い出したので、今の状態に落ち着いている。

今通っている放課後デイは、色々なことをやってくれる。
支援校は宿題がないので、かわりというか、ひらがなをなぞって書く教材を用意してくれてやらせてくれたり、公園に遊びに行ったり、土曜日はみんなでお昼やお菓子を作ったり、買い物の練習をさせてくれたり、室内で運動したり、大声で歌う時間を作ってくれたり。
息子が実のところどの程度ついていけているのかは分からないのだが、放課後デイからの連絡帳を見る限り、楽しくやっているようだ。

さて、この放課後デイ、基本的には助成金ビジネスである。
そして、今年度になり、助成金の締め付けが厳しくなったらしい。
助成金ビジネスというのは、ちゃんとやるところとちゃんとやらないところで、差が激しい。息子が通っているところはどこも、規定の人数の倍くらいのスタッフを配置してくれている。実際そのくらいじゃないと回らないからだ。
これが、規定通りの人数しか配置しなかったらどうなるだろう。その分人件費が
かからないので、ボロ儲けである。グーグル検索で放課後デイと入力してみて欲しい。検索候補のキーワードに「放課後デイ 儲かる」と出る。
妻がいくつか見学した放課後デイの中には、なんかちゃらい姉ちゃんがスマホ片手に子供の相手をしているところもあったと言うし、噂に聞くところではずっとビデオを流しているだけのところもあると言う。
そんなところがあるので、締め付けが厳しくなったりすると、真面目にやっているところが割をくう。息子が通っている事業所のひとつから、お上から通達があった人員配置が確保できない日は受け入れ人数を減らすかもしれないという連絡があった。
この問題を更に難しくしているのが、「質が悪い施設でも、預かってくれるだけで助かる」という部分があることだ。だから悪貨は良貨を駆逐する。
それに乗じて、お上は予算を削る。

支援校のPTA活動を見ていると、都に対する意見書、申し入れなどに力を割いている。めんどくせー、と正直思う。しかし、今回の放課後デイのような現状を見てしまうと、常に声を上げることが非常に重要なのだと分かる。黙っていれば現状維持ではない。黙っているとどんどん予算を削られるのだ。
サイレントマジョリティ(いや、マイノリティか?)には、決して優しくない。
特に、見えないところで。

(2018年10月15日記)

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