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ダウン症って特別な才能があるんでしょ? --- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」

脱線は続くよ。

自閉症患者の中には、脳の機能の一部だけが異常に発達しており、特別な才能を示す人がいる。サヴァン症候群と呼ばれる人々だ。

サヴァン症候群は、とある映画で描かれたことと、その作品の主演男優の演技がすばらしかったことで広く知られるようになった。

そう、ダスティ・ホフマン主演の、「トッツィー」だ。

間違えた。

ダスティ・ホフマン主演の「レインマン」だ。

それと同じように、ダウン症の人って、特別な才能があるものだと思い込んでいる人がいるように感じる。

確かに、書道、絵画、音楽などで活躍しているダウン症の人はいる。しかし、そういう人もいるというだけであって、みんながみんな特別な才能があるわけではない。

音楽に関して、少し書いておこう。絵画や書道には明るくないが、音楽なら少々心得がある……ええと、アニソンとか。

ダウン症の人でピアノ演奏家という人の演奏動画を見たことがある。

確かにきちんと演奏できている、と思った。
しかしそこまでなのだ。きちんと上手に演奏できているし、表情もそれなりについている。だけど、プロの演奏として「すごいレベル」かというと、そうではない。

何度も書いているが、ダウン症のひとは一般的に筋力が弱く、すばやい動きも苦手である。ピアノに限らず生楽器というものは、大抵筋力を使う。指の動き、腕の動き、呼吸の強さなどなど。
ピアノに関して言えば、打鍵の力加減も大事だが、指を離す動きも大事な要素になる。いずれにしても、ダウン症のひとからすると苦手な要素である。

ダウン症のひとは音楽好きっていうじゃない?という声もある。

確かに好きである。息子も、歌と踊りが大好きで、子供番組をテレビで見ながら一緒に楽しそうに踊っている。お父さんも巻き込もうとする。お前も踊れと、手を引っ張る。いや、お父さんはいいですから、いいですから、だからいいってば、ええ?やるのー?ええー……いぇーい!ひゃっはー!

という感じ。

ただし、歌えない。頑張って歌おうとしているけれど、彼はまだ歌が歌えない。
これは非常に興味深い点である。
僕はてっきり、ダウン症のひとは言葉は遅いというけれど、音楽は好きらしいし、鼻歌はバリバリ歌うんじゃないかなと思っていたのだが、歌、音楽、言語というのは、どうやら(少なくとも息子の中では)密接な関係があるようだ。

息子の場合、フレーズの終わりの母音を狙って発音することはできる。というか、そこだけ頑張ろうとしている。アナ雪のLet it goであれば「ありのー、ままのー」の部分を「(あり)おー、(まま)おー」といって歌う。

メロディをなぞれているかというと、極めて微妙。

そもそも、人間は、リズムに対する感覚は生まれた時点で持っているが、メロディに対する感覚は成長しながら育てるものらしい。すぎやまこういちが何かのインタビューで言っていたことだ。
メロディをなぞるというのは、高度なのである。

もうひとつ、芸術的な才能に関して書いておきたい。
確かに才能というのはあるだろう。だが、それが発現し、世に出るためには、ベースになる訓練が必要だ。基礎練習とか基礎技術と言ってもよい。
ごく稀にとんでもない才能やとんでもない天才がいて、止めようとしても宇宙の果てまで飛んでいってしまうこともあるが、それは特例だ。
これまで数千年間人類が積み上げてきた文化や科学の先に出るためには、積み上げられたものを学び吸収した上で、才能の力でジャンプする必要がある。

これは障碍を持つ人でも、健常者でも変わらない。

地道な努力や訓練の先にのみ、才能は開花する。

金澤翔子さんという、有名なダウン症の書家がいる。彼女の作品は、力強くそれでいて自由がある。書道についてはまったく明るくない僕から見ても、これはよい作品だなと思う。
彼女の生い立ちのドキュメンタリーを以前テレビで見た。もともとは彼女の母親が娘に友達をつくろうという動機で書道教室を始め、そこで彼女は書を学んだらしい。ちゃんとした書が書けるまでには、相当の訓練をしたとあった。何度も何度も写経をしたらしい。尋常ではない基礎を積み上げたからこそ、現在書家として活動できる彼女がいる。テレビの言うことなので話半分に聞くとすると、実際には「尋常でない×2」くらいの尋常でなさだったのだろう。

「ダウン症で書の才能があった」といったような安易な表現をされがちだが、彼女は常人の二倍の尋常じゃない努力をしたから書家になったのだ。

ダウン症だろうが、そうでなかろうが、関係ない。

尋常でない努力をしたら、その先で才能が開花することもある。
しないこともある。
別の才能が開花することもあるかもしれない。

努力と訓練、基礎と技術。何をするにも不可欠だ。

みんな、一緒。どんな子供も、みんな一緒。

もし、ダウン症と健常児とで違いがあるとすると、微かに持っていたかもしれない他人とは違う「何か」のかけらを、お行儀のよい教育とやらで砕かれる可能性が多いか少ないかというくらいだろうか。

(2016年8月30日公開)

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