鬱との付き合い 2

母はいきなり倒れたわけではなく、少しずつ病魔に侵されて行ったので、介護がいつからとはハッキリしない。
が、おおよそ20年の間私の生活の殆どは、仕事と介護に追われていた。

母が透析を始めて2年目だったかに、姉がおかしくなった。
あまりにも世離れしたことを言うので兄に相談した所、「急いで精神科へ連れて行くように、義兄さんに伝えろ」と言う。
兄は心理学を学び養護教員として働いていたので、病名や対応法を私に指示し、自らも姉に対応した。

実家のある町は首都圏とはいえまだまだ精神科の敷居は高かったのだが、義兄は直ぐに一番評判の良い病院へと姉を連れて行ってくれた。

病名は、統合失調症。境界例と言われた。つまり、正常とも全くの病気とも言えない状態であると。

その日から、私の日常は再び大きく歯車を回した。
病弱な私は普通の勤務は元々ムリで、6時間の契約社員だった。
仕事を終え帰宅して家事。母の入院する病院へいくと、車で30分の所にある姉の嫁ぎ先へ。
義父は優しく姉はとても慕っていたが、義母が中々厄介なタイプで、まずは彼女の愚痴を聞く。
その後、小学1年と3年の甥っ子達のPTAへの通知に目を通して様々な準備をし、義兄の翌日の準備をする。

帰宅はおよそ11時。
それから自身の夕飯、食卓の後片付けである。
酷い時は、これに母の夜の付き添いがあった。

姉はひと月入院したが、義兄と迎えに行き戻った瞬間に母が救急車で運ばれたと電話が入った。
この年は母の入院が多く、誰も病院に居ない時がなんとひと月しかなかった。

若かったからこそ可能だったのだと思う。

統合性失調症の厄介なことは、病識がない所にある。自分は病気だという自覚が無いので、薬を拒む。
稀には病識のある人も居るようだが、姉には無かった。

なので、義父の言葉に従い薬を飲んだと聞いた時は驚いた。実の父なら飲ませることは不可能だったろう。義父への姉の信頼をしみじみと感じた。

夫よりも義父の言葉に従う姉。
姑との溝。
子供達の精神状態。

どれひとつ取っても、悩みは尽きなかった。

#鬱病
#統合失調症
#精神病
#発達障害

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?