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私たちの生産性は、実は上がっている。

日本のGDPはかつて世界2位まで昇り詰めたし、バブル当時は東京23区の地価で米国全土が買えるといわれていたことを、今でも誇りにして度々話題に上がる。

引き合いに出るのが、「失われた20年」や、「30年」というフレーズで、日本は経済が成長せず、生産性も上がらず、ずっと停滞していると言うものだ。

教育(洗脳)というものは恐ろしいもので、僕らはずっと「日本=システムをアップデートできないダメな国」という先入観で見てしまうし、それが当たり前だと思っている。

だが、30年前とかの映画とかを見てみてほしい。再現したものでもいい。

あんなに紙が多くて、会議ばかりで、スマホもなく、PCのスペックも超低く、パワハラもセクハラもあった時代で、今よりも稼げてましたって普通に考えておかしくないか、と思う。

あの頃はバブルだったから、とか言う人もいるかもしれないが、それは株価の話であって、取り巻く環境だけでいったら、ムーアの法則に従って情報処理能力はドンドン進化していた今の方が生産性も効率性も向上して、経済が発展していてもおかしくはないのである。

先日、そのようなことを思ってGDPの推移を調べてみた。

名目GDPは、1995年521兆6,137億円だったものが、2020年538兆1,554億円になっている。

国民一人当たりのGDPは、1995年415万8,396円だったものが、2020年427万6,207円になっている。
名目GDPはこの25年で、3.1%しか成長してないし、一人当たりのGDPも2.8%に留まっているという状況だ。

各国の成長に比べたら、停滞している感が否めない。


そして、ここから本題である。

GDP=いわゆる国内総生産って、誰が生産しているのか?つまり働いている人である。さきほどの名目GDPを生産年齢人口で割ってみる、と次のようなことが分かった。

1995年は、生産年齢人口が8,716.5万人いたので、一人当たりに直すと598万4,210円であり、2020年は7,292.3万人いたので、737万9,775円になる。

25年間で23.3%も成長していたのだ。


ここから言えるのは、働く人が減った分、「働いていない人をカバーするあまりに、働いている人が効率的に稼げるようになっても、全体的に停滞している感がある」ということだ。

もちろん20%ちょっとの成長が果たして多いのかという問題はある。しかし、働いていない人の分を加算するというバイアスをかけて、今までの日本と同じように停滞し続けているというレッテルを貼るのは少しおかしいと感じる。

これからより、働いていない人が増えるわけなので、どんどんこのバイアスは強くなる。だからこそ、生産年齢人口である現場は、毎年どれくらい効率よく稼げるようにする、という目標を作るといいなと思った。

※今回は各統計指標が揃っていた1995年と2020年で比較しました。


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