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中島らもさんが好きだった

2005年4月に出版されていた中島らもさんの小説「ロカ」を読んだ。出版されてから14年近く経ってからだ。その小説はクライマックスを匂わしたところで突然終わる。


中学生の頃に観た映画「ぼくらの七日間戦争」の原作小説を読んでからというもの、宗田理さんの「ぼくらのシリーズ」を中心に小説を毎晩たくさん読むようになった。
そんな本の虫になった僕が初めて出会った中島らもさんの作品が小説「頭の中がカユいんだ」だった。彼の作品はフィクションとノンフィクションの境目にあるような作品が多く、自分が過ごしている現実とは違う隣の世界の現実を感じることができた。知っているようで知らない世界が彼が書く文章のなかに広がっていた。
エッセイ「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」や「空からギロチン」「獏の食べのこし」「明るい悩み相談室」、それから「今夜、すべてのバーで」や「ガダラの豚」「永遠も半ばを過ぎて」などの小説をとにかく読み漁った。一体、何冊書いているんだろう。未だに全部読みきっていない。
彼のエッセイを読むと、彼の書く小説は自身の体験が元になっている描写が散りばめられていることがよくわかる。逸脱しつつも自身の実体験が皮一枚となってストーリーにぎりぎりの現実味を残している。あり得ない話なのに破綻しない。登場人物は現実に居そうなほど生々しく汚くて美しい。

中学に入学したときから高校を卒業する思春期、子供が大人へと成長するための移行期間。僕は電気グルーヴ(主に石野卓球さん)と中島らもさんからの影響をかなり受けていた。電子ミュージックを聴きながら中島らもさんのぶっ飛んだ小説を読み耽っていた。彼のエッセイにはときどきテクノミュージックを嫌っているような表現があったように記憶している。非常に食べ合わせが悪い。

高校を卒業して大人になり上京した僕は、短編小説「白いメリーさん」の中の「日の出通り商店街いきいきデー」という話が舞台になるということで観劇にもいった。主演を演じていた劇団新感線の古田新太さんも好きな俳優さんだった。演出は中島らもさんではなかったのだけど、例えば演者が観客のバッグの中に生玉子を割っていれたり、演者同士のバトルシーンで笑いながら一斗缶で頭を殴り続けるなか「ガツン、ガツン」という音だけ残してゆっくりと暗転してくなど、狂気とお笑いが同時に伝わってくるような演出がふんだんにあった。中島らもさんっぽい。
僕が東京で舞台の活動をしているときも「僕は中島らもが好きだ」と周囲に話していた。憧れを持っているというよりも、中島らもさんが僕の思想や身体の一部になっている感覚だった。

2004年7月、彼は飲食店の階段で転落し頭部を強打して病院に運ばれてそのまま戻ることなく死去。転落する前にお酒を飲んでいたようだ。有名人の死で悲しくなったのは中島らもさんの件が初めてだった。それ以降も有名人の訃報を聞いても「ほぅ」と思う程度にとどまり悲しむまでに至ったことがない。
中島らもさんは僕の人格形成に大きく影響のあった人だ。僕は彼の作品から多くの刺激をもらい、多くを学ばせてもらった。彼が亡くなったと知り仕事からの帰宅中に悲しくて大濠公園の入り口あたりに座りこんでグスグスと泣いた。そんな僕を妻が車で拾って家に連れて帰った。どうしてそうなったのかまったく覚えていない。ただ、それから中島らもさんの本は読まなくなった。


小説「ロカ」は彼の最後の作品。久しぶりに読んだその中島らもさんの小説は未完で終わっている。物語は主人公のルカが愛するククと再会するためにホテルを出発したところで絶筆となる。

僕には、ホテルをでたルカと階段から転げ落ちた中島らもさんが妙にシンクロしているように感じる。

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