見出し画像

#21 夫婦起業/折谷征晴〜三代目の苦悩~

株式会社MASAHARU代表取締役 折谷征晴と折谷奈々絵です。
創業70年製造業の三代目から50歳夫婦で起業しました

夫婦で挑む新たなステージの始まりや
新事業の方向性を見つけ出すまでのストーリーなど
挑戦者としてチャレンジする日々を書きます。

おはようございます✨
今日もMASAHARUnoteに来て頂きありがとうございます✨
みなさまとの出会いに感謝します✨

折谷征晴の三代目としての苦悩を投稿します。
取材・文 豊川博圭
取材協力 金三津幹男 三和亮 折谷征晴


三代目の苦悩

征晴が経営を任されるようなって
すぐのことである。
親しくしていた専門誌の編集長から
福岡の展示会の誘いがあった。
「面白いクリーニング技術を進めている集団がある。行ってみたらいい」

福岡に行き、紹介された社長さんに会った。
征晴は挨拶がてら自社商品のパンフレットを見せた。

社長は開口一番こう言った。
「(商品が)みんなお地蔵さんみたいだ」

発展性が見出せないの意である。
そのうち誰も使わなくなるだろうと言う。
なかなか失礼な物言いだが、征晴は腹が立たなかった。
そう言うあなたが使っている道具を見たいと思い
工場を見せてもらった。

工場を見学した征晴は
新たな需要に目を輝かせた。
それだけではない。
職人として、その場で具体的に道具の設計を提案した。
時を置かず、道具を試作してくれという依頼が
どんどん舞い込むようになってきた。

嬉しい話ではあったが、
これはオリタニのビジネスからは外れていた。
もともと会社のメイン顧客は問屋だった。
問屋から大量の発注を受けて
大量生産し納品する仕事を生業にしてきた。
さらに折谷家の会社群の中で三男のオリタニは
商社機能を担当し
メーカー機能は長男や次男、四男の会社が担っていた。

本来は兄弟会社に試作品を発注するところである。
しかしオリタニは棺桶に片足を突っ込んでいる状態。
発注しようにも先立つ物がない。
仕方がないので征晴は自分で試作品を作り続けた。
6年半の修行で身につけた技術力がここで生きた。
我慢の8年間はオリタニがメーカーとして
地力をつける8年間でもあった。

試作品を作りながら征晴は気が付いた。
「どうやら俺はものづくりが好きなんだ」
現場からの要望に応えて
新しい商品を作るのは征晴の喜びであり
苦になることはなかった。
ものづくり。
征晴は純資産作りに続く第二のテーマを手に入れた。

マーケティング不在

征晴は過去から続いていたオリタニの商売の中で
気に入らないところがあった。
大半がコモディティ商品であるため、頭を下げないと
売れない。価格は叩かれる。
しかもいくつ取引を切られるかびくびくしなければ
ならない。折谷の血が思わせた。
「これではいけない」
そんな征晴の心の中にピーター・ドラッカーの
フレーズが宿った。
「セールスを不要にする」である。
トヨタ式のクリーニング店が来る試作品の注文は
セールスをすることなく売れていた。
これぞまさにドラッカーが言う世界ではないかと考えていた。

しかし征晴には一つ大きな誤解があった。
ドラッカーは「技術がセールスを不要にする」
とは言っていない。
「マーケティングがセールスを不要にする」
と言ったのだ。
そのマーケティングが、オリタニにはほとんどなかった。

オリタニが作った商品群は
プロモーションもアフターフォローもない。
「作ってカタログに載せたところで終わっていた」(征晴)
「顧客つくり」が全くできていない。
そのことの重要さに、征晴はこの時点でまだ気づいていない。

せっかく開発した商品

同業他社が真似し、
類似商品を安価でぶつけてくる。
精魂込めて作った商品サイトは、ライバル会社の
新商品開発ネタのサンプルになってさえいる。
圧倒的な機会損失を、オリタニはこれまで
放置せざるを得なかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?