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世界水準から取り残された日本企業の「人への投資」(上)

日本の「人への投資」が他の先進国に比べて非常に少ない、というのは意識しておく必要のある重大な事実です。その事実が何を意味しているのかを考えるとき、それが今に始まったことではないことが重要な意味を持ちます。

とりわけ今までは、他の先進国に比べて人への投資が少ないことが、あまり大きな問題を引き起こしているようには見えてこなかったのはなぜなのか、を考える必要があります。

■日本のOJTの機能とは?

私たちはなんとなく、頭の中に、日本の「人材育成」とはお金をかけたからできるというものではなく、ほかの国では見られない独特な強みが支えているものなのだ、というイメージを持っています。そうした潜在意識は、私たちの中に、無意識のうちに染みついているように思います。

仕事をしながら、周りや先輩との付き合いの中で、いつの間にか自然に学んで身に着けていく、というのが日本独特のOJTです。そして、このOJTなるものが、日本企業の中で、あたかも人材育成の中核を占めるものであるかのように機能してきたのです。

人を育てることの必要性は広く社会で認知され、会社では急務になっていることを多くの人は認識しています。

ところが、このOJTというベースが機能していると、そんなにお金をかけなくてもそれなりに人は育つので、特別に人材育成に投資しなくても、とりあえずは企業経営をすることができる、という潜在意識をどこかで持ったままなのが日本企業の実態のように思われます。
 
注意しておかなければならないのは、このOJT、つまり仕事の中で自然に学んでいく中身は、何も仕事に関する知識やノウハウばかりではないことです。
日本では、組織の中で周りに上手く溶け込んで仕事を一緒に回していくために、組織に内在する常識や作法を身に着けることが必須条件でもあり、それがOJTのベースになっているのです。

こうしたベースを持った日本独特のOJTがあってこそ人は育ち、企業は安定し、日本が世界に誇る抜きん出た品質も確保し得たということです。
すなわち、「人材育成」と言っても、特別にお金をかけず、数字には表れてこない埋没コストでやってこられたのが日本的なOJTなのです。

■まずは日本の「人材育成」に欠けているものは何かを考える
 
今の日本では、こうしたOJTが有効に機能してきたという事実が、いつの間にか人材育成への投資の優先順位を下げてきているのです。
その結果、必要な人材への投資が十分になされないことが、かつては日本が誇っていた人材の質が低下を促進し、今や我が国の命運を左右するような問題含みの状況をもたらしているわけです。

加えて、OJTのもとで何となく引き継がれてきている従来からの価値観の中に、多くの場合、問題が潜んでいることを見逃してはなりません。

なぜならば、OJTで当たり前のように引き継がれ、みんなの思考と行動に制約を加えている社内でのお作法といったものが、社員の思考をパターン化し、創造性を阻害している事実があるからです。

人材育成に十分な資金を意図的に投じてきている他の先進諸国との差は、確実に開いてきています。
ここで注意しなくてはならないのは、本当に問題を解決したいと思えば人材育成にお金をかけさえすればいい、というわけではないことです。そういう意味では「今の我々に欠けているものは何か」をまず考えることがまず大事なのです。

つまり、人材育成と言っても、何も考えずに知識やスキル的なものばかりに集中してしまうと、肝心な主体性の発揮や創造性の開発などが、どこかに置き忘れされたままになってしまう可能性があるということです。

次回は、「日本の人材育成に必要な中身とは何か」について書いてみたいと思います。

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