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世界水準から取り残された日本企業の「人への投資」(下)

日本人には、時間や規律をキチンと守り、礼儀正しく、まじめで勤勉な人が多いというイメージが定着しています。
その一方で、経営者の皆さんと話をしていると、共通の悩みとして、「うちの会社には言われたことしかやらない社員が多い」ということをよく聞かされます。
 
基本的にまじめで勤勉なので、言われたことはきちんとやる日本人。
ただ、会社を伸ばしていきたい経営者の立場からすれば、言われたことをやるだけではなく、新たな価値の創造につながる斬新な提案をしてくれるような社員が欲しいのが本意です。
 
■「答えが簡単に見つかるわけではない問い」とは?
「何が問題か」という問いと向き合う姿勢を持ち、自分の頭で考えれば、それまで見えなかった問題も見えてくるので、提案したり行動を起こしたりする可能性も広がります。
「言われたことしかやらない」というのは、まじめではあっても、自分の頭で問いと向き合い、何がホントの問題なのかを見つけようという姿勢を持ってはいない、ということなのです。
 
つまり、私たち日本人は、日頃から他の先進国ではごく当たり前の「答えが簡単に見つかるわけではない問いと向き合う」環境に置かれることがなかった、ということがそもそもの問題なのです。
何かを始めるとき、「そもそも何が目的なの?」「やることにどういう意味があるの?」といった問いに向き合ってきたかどうかです。
 
もともと日本人に「考える力」がないわけでは決してない。でも、子供の頃からそういう問いを自分に向ける環境に置かれてはおらず、「考える力」が引き出されることがなかった人が非常に多いのが日本という国なのです。
 
カルトに巻き込まれやすい人が多いと言われるのも、そんな国だからかもしれません。
でも、それもこれも日本ではごく普通のことであり、誰も気にしなくても生活に支障はないわけです。
 
■「自分に問いを向けながら生きる」ことの意味
会社勤めをしている人たちの中で、「この会社で働くことは自分にとってどういう意味があるのだろう」などといった面倒臭い問いに、尋ねられているわけでもないのに、向き合ったことがある人はあまりいないと思います。
 
『こんなに違う!?ドイツと日本の学校 ~「自由」と「自律」と「自己責任」を育むドイツの学校教育の秘密』(和辻龍著、産業能率大学出版部)という本があります。先日、この本を、私が一緒に仕事をしているスコラ・コンサルトのメンバーで読み、話し合いの場を持ちました。
 
この本の中に、著者がドイツに行ってから、自己紹介の中身をガラリと変えたという話が出てきます。というのも、通り一遍の経歴などを話すと、「あなたはドイツで何を学びたいのか?」とか、「それを今後のキャリアにどう結びつけていきたいのか?」などといった質問が当たり前のように飛んでくる経験をしたからだそうです。
 
単なる経歴ではなく「そのことの意味や目的、もたらす価値」を問われているのです。この問いかけが当たり前の世界に住んでいると、誰もが自然にそういうことを考えるようになります。しかし、日本には、答えが簡単には見つからない、面倒くさそうな問いに向き合うのが当たり前の環境は用意されていません。
私たちはまず、こうした環境の有無が持つ「意味の重大さ」に気づく必要があるのです。
 
「自分に考えざるを得ない問いを向ける」ことが当たり前でない日本という環境に生きているため、私たちは自分のやっていることの「意味や目的、価値」を問うことなく生きています。面倒なことは考えずに「漫然と何となく生きる」生き方と、「自分に問いを向けながら生きる」生き方は、実は大きな違いを生んでいるのです。
 
「漫然と生きる」ということは、自分の人生を「自分のもの」として生きていくチャンスを失ってしまう、ということに実はつながっているからです。
言われたことしかやらない社員が存在する背景には、こうした非常に重大な中身を含んだ実態がある、ということです。 

■リスキリング(学び直し)を考えてみる
最近、「リスキリング」とか「人的資本」といった言葉に注目が集まっています。
特にデジタル人材の不足などが多く取り上げられています。確かに時代が求めている人材という観点からみれば、学校教育のデジタル化の遅れも目立ち、他の先進国と比べても大きなギャップがデジタル人材の問題にはあります。
そういう意味でも「リスキリング(学び直し)」は、今日本に顕在化している最も緊急性のある課題ということができます。

さらに、実はそこには見逃されている問題があるのです。それは、今までそうであったように、安易に他の先進国に倣って事を進めようとするなら、日本という国の本質的な問題である「漫然と勤勉に生きるのが当たり前」といった生きる姿勢は変わらないまま残るという問題です。

子供の頃から、意味や価値を問うことと向き合って来なかったという根深い本質的な問題は、「自らの力で問題の本質を追究する力」が弱いということを表わしているのです。
日本の人材教育が本当に必要としている隠された中身とはまさにここにあるということです。

今話題に上っているリスキリングも、人間をパソコンに例えると、アプリを更新することのみが念頭に置かれています。しかし、いくらアプリを更新してもOSをバージョンアップしないと解決されない問題があることはパソコンの話だと誰にでもわかります。
リスキリングとは、そもそもアプリの更新で済む話なのか、それともOSのバージョンアップも必要とされている話なのでしょうか。

■日本の人材教育が本当に必要としている中身とは?
私が日本の人的資本にはOSのバージョンアップが必要だというのは、そもそも日本の近代化というのが、他の先進国から持ってきた前提を枠としておくことで効率的な枠組みを設定し、その中で「どうやればいいか」だけを考えることで成し遂げられてきたものだからです。
そこにない、とまでは言いませんが明らかに不足しているのは、事実・実態を自らの力で掘り下げ、そこから新たな課題を自ら見つけ出していく姿勢と能力です。

つまり、日本の人材に相対的かつ決定的に量の面でも不足しているのは、この「自らの力で問題を見つけ出しテーマ化する力を持つ人材」なのです。リスキリングで最初に取り組まなくてはならないのがこのテーマ、「意味や目的、価値などを掘り下げて考え抜く力」を養い強化することだということを忘れてはなりません。

リスキリングを、今考えられているような、単なるデジタル人材への転換で終わらせてしまうなら、効果は限定的なものになってしまい日本は今までと変わらないでしょう。アプリの更新だけではなく、その前に必要なのがOSのバージョンアップ、つまり自ら新しい課題を見つけ出していく力を養成するということを念頭に置いてことを進めていく必要があるということです。

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