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「調整文化」を成り立たせている価値観

調整文化は組織を守るために生まれてきた文化です。
江戸時代の支配層であった武士が、型を守り切ることで混乱を避ける、という社会規範を手本として残したことに端を発しています。
それゆえ、非常に隙がないことがその特徴です。

基本的な設計がしっかりしている組織であればあるほど、組織の中で動く個々人は、余分なことを考えずに与えられた役割に徹することが求められます。熟成した組織で構成されている経済界をリードする企業で働く若い社員が、「余分なことを考えるな」「言われたことをきちんとやれ。それがお前の仕事だ」と言われて育てられてきたのは、まだ過去の話ではないのです。

少なくとも日本の高度経済成長は、この調整文化の堅実さが下支えすることで、しっかりとした発展を遂げられたことに間違いはありません。
とはいえ、時代の変化を感じ取った先進的な人は、「自分の頭で考えることが必要だ」ということを主張するようになってきています。ですから、新入社員教育などではそうしたことが繰り返し語られているのです。

だからといって、歴史と伝統のある会社組織が、そうした言葉どおりに運営されているのかといえばそんなことはない、ということもまた誰もが知っています。社員の身体にしみ込んだ不文律はそう簡単に消え去ることはないからです。まさにこうしたことこそが調整文化のなせる業なのです。

調整文化は守りの文化であり、そこにいる人間は無意識のうちに予定調和と前例踏襲を価値観として持ちながら動いてしまいます。予定された結果に向かって動くのが調整文化ですから、考える余地はあまりありません。つまり、調整文化は思考停止を排除しない文化でもある、ということです。

意識して努力をしない限り、楽なほうを選んでしまうのが普通の人間です。
無理をして考えるより、何も考えずに動いていくことを選択してしまう。それを上司や周りから望まれているなら、なおさらそうしてしまう人が多くなるのは当然だということです。

同様に、調整文化の価値観で最も典型的なものの一つに、「失敗をしてはならない」というタテマエを堅持する姿勢があります。中身よりも形式を重んじる、という価値観です。

調整文化の注目すべき重要な特性は、こうした堅実さの裏返しになっている意思決定の遅さに表れます。混乱を回避し、堅実に進めてはいるが、何しろ遅い。特に今の新型コロナウイルスに向き合わざるを得ない環境ではその遅さが際立ちます。それが、本来なら助かる命が失われてしまうことにもつながるのです。

この意思決定の遅さをもたらしている調整文化の価値観はといえば、合議制での意思決定を「当たり前」とする価値観です。中身よりも合議という形式に重きを置く価値観がそれに当てはまります。

そもそも合議でものごとを決める、というのはあくまで手段であるはずなのですが、いつの間にかそれ自体が目的となってしまっている。
つまり、「手段を目的化しやすい」ということも調整文化を成り立たせている価値観である、ということです。

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