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努力や才能だけで活動は続けられないという話

※この記事はVoicy「音ってすごいね。」の台本です。本編に興味のある方は、下記のラジオをご試聴下さい。
>>音ってすごいね。
■背景となるTwitter記事
小さいころ、ピアノを習ってた人が50歳になるまでやり続けている割合はどれくらいだろう。努力家や才能ある人でも中学に入ればさっさと辞めている。ぼくは40年以上続けているのだけれど、それは努力や才能で括られません。何か別の要因があります。それは、対象を好きであり続けられるかだと思います。
https://twitter.com/masafumikomatsu/status/1427805802782289921?s=20

■努力や才能だけではダメな理由
・そもそも努力したり才能があるのは前提
・才能は誰でもある。特別の能力ではなく、それに気づけるかどうか
・日本の教育環境は似通っている(塾やお稽古事でも同じ)

✓ここまでの結論
・じぶんの意志であってもなくても、特定の活動を続けることは難しい
・外的影響力が強いので、じぶんの内にある真意(正直な声)に気づきにくい
・努力や才能以外の「別の軸」があるのではないか

■じぶんの心身に敏感になること
・内なる声は何を欲しがっているのか(音や音楽を聞くことが根っから好き)
・人からは努力と思われていても、僕自身は体が勝手に動く(12年間の習い事)
・日々の微細な変化こそに、意識を向ける(心身の余裕が必要)

■けっきょく自己の調律が必要
・ピアノには正しい音の高さがある(88鍵のピアノで4番目のCから始まる)
・じぶんの心持ちや体調を感じるには、時間と余裕が求められる
・本当に「求めている」対象を追い続ける(ほとんどの人が出会っていない)

「小松はブレずに音を好きでアリ続けられたのか?」

結論的には、まさにそうでした。
けれど、好きを目的化してきたわけではない。
好きは、いわば途上(プロセス)の感情
その都度、その場面を、味わい尽くせるかどうか

音を好きであるのと同時に、他の分野でもそうしたものはないかと探る。

✓ということで、まとめです。
・みんなそれぞれに努力したり才能がある
・そこに安住していると、一番大切なものを見失う
・じぶんの「内なる声」に耳を傾けよう
・日々の生活の中で、時間や心の余裕をつくる「仕組み」をつくろう

※この記事はVoicy「音ってすごいね。」の台本です。本編に興味のある方は、下記のラジオをご試聴下さい。
>>音ってすごいね。

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