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ゲーム開発職歴 夢のゲームプログラマ編

あらすじ、小学生時代に発売されたファミコンのスーパーマリオに驚き、ハマるがPCを買ってもらってからはプログラミングにハマる。中学時代は自作ゲームを友達に売り小遣い稼ぎ。将来絶対に有名ゲームのプログラマーになるという夢をもっていたが、ゲームプログラマになるのは30代半ばでした。

■夢のゲームプログラマ

プロのプログラマになってから、約10年。起業もいくつか経験し2011年。政権交代後の不況で知ってるIT企業までもばんばん潰れる中、東日本大震災もあり、このままで良いのか悩む。

当時ゲーム事業をやりたくトラフィック対策のため、データセンターの自社ラックに回線提供業者から直接1000BASE-LXを引いていたり(回線代で年700万円位かかった)、CISCOの定価百万単位のお値段するCatalystいくつも入れて海外オンラインゲームのローカライズや関連サーバーの運営する会社を建てており、まるでデータセンターの住人のようになっていた。

■急に出てきたソシャゲブーム

しかしグリー・モバゲーなどソーシャルゲームが一気に大ブームに。自分はそちらに興味を持つも、周りからはそれは困るとのこと反対され、また、ちょうど上記に上げたような将来の不安もあったため、すでにサーバーを管理していてそれなりに儲かってた会社を売却し、ソーシャルゲーム開発をしている会社に就職することにした。

面接した会社は、mixi.クルーズ、ドワンゴでした。mixiはSNS全盛期でかなりイケイケでしたが、その後落ちるのはみえみえでした。実際モンストでの逆転するまでその予想どおりでした。クルーズはWebDoJapan時代にも大変お世話になっていましたが、将来性をすごく感じ(実際そのとおりになりました)採用も決まりました。ドワンゴはニコニコ全盛期だったのですが、ちょっとマッチしませんでした。

クルーズでは中途でしたが、自分と4人の同期が入社。正直この同期は全員ありえないくらい優秀で、クルーズの採用力のすごさをその後実感しました。夢の六本木ヒルズ族の仲間入り、仕事も開発に専念でき最高に楽しかったです。

■モバゲー版、今日から俺は!!の立ち上げ

当時やりたくて仕方なかったソシャゲ開発に1から入れました。このときまだガラケー中心だったソシャゲでしたが、いち早くスマホでもストレスなくできるよう開発は苦労しました。いままでのボタン操作ではない作りも、グラフィカルな感じも何度もダメ出しされ産みの苦しみは大変でした。

リリース後。売上や人気はそこそこでしたが、大ヒットとまでは行かない感じでした。しかしこれをターニングポイントにいち早くスマホファーストに切り替えていったクルーズという会社は当時としてはすごい決断であり、結果大成功に結びついてました。本当にすごい。

■ 億単位の月商のコンテンツの運営

その後、自分はメインプログラマーという立場から、運用の責任者でもあるマネージャーに昇進してました。が、いきなりここで任されたサービスは4つ、その後6つまで増えました。売上は毎月億単位なので胃が痛い毎日の連続です。この頃になると社員も増え、自分が抱えるチームも数十人と正直キャパオーバーでやらかすことも多かったです。ここでは新規リリースはアリませんでしたが、2ヶ月でのサービスのフルリニューアルという大仕事があり苦労しましたが、そちらの作業は後任にまかせ、全体のまとめることに注力できました。またこの頃、運営担当だったゲームがDeNAから表彰されたりといろいろありました。

■テクニカルディレクター就任

この頃になると、各サービスの売上もすごく、トラフィックもとてつもなく、システムもチューンにチューンを重ねるような、ハイレベルな技術的スキルアップ競争が社内では当たり前となっていました。毎週の技術会議でのパフォーマンスアップが欠かせず、ソースレビューでも、細かいところまで追求された充実した毎日でした。

■カプコン モバゲー版 みんなで鬼武者カードマスターの新規開発

多くのコンテンツをマネージャーとして運営してきたことや、フルリニューアルに関わりより深くシステムについて理解できたこと、技術的に大きな成長ができたことで、これまでの出来なかった基本設計からのリファクタリングも多く行い、バグの無い最高の開発ができました。やはり何より開発は楽しく、毎日が最高でした。そして昔から憧れてきた人気タイトルに関われたことは今でも誇りに思っています。

■Gravekeeper

立ち上げも無事に終わり、マネージャー職に戻りました。この頃になると、ガラケー時代の課金の仕組みとか全く知らない世代の人が多くなり、必然的にそういったコンテンツを最後まで見届けるような立場になりました。

また買収した会社の別のフレームワークで作られたサービスなど、社内の知見があまり有効的ではないサービスの運用などもあわせてやることになりました。

■夢を叶えたあと

自分の小さな頃からの夢は、みんなが知ってるようなゲームのプログラマーになることでした。自分の夢はすでに叶えられたので、もう抜け殻のような感じでした。この頃のことはよく覚えてませんが、昔の知り合いの不惑祝いパーティに行って、なんか自分はまた独立しないとなと言う気分になり独立しました。

夢は叶えるまでが楽しいけど、叶えたら叶えたで新しいことしたくなるから心配するな

次回予告、みらいをつくるということ


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