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いい女、いい嫁、いい母親

昨夜、HUCでこちらの本のオンライン座談会がありました。著者はイスラエルの社会学者で、2016年にドイツで刊行されて以降世界中で翻訳出版され、各国で大きな議論を起こし、2022年春に日本語版が出版されています。今回は、なんとNHKさんからHUCにクローズアップ現代の番組企画の協力依頼があり、記者の方も参加されての開催でした。

もし時間を巻き戻せたら、あなたは再び母になることを選びますか? この質問に「ノー」と答えた23人の女性にインタビューし、女性が母親になることで経験する多様な感情を明らかにする。女性は母親になるべきであり、母親は幸せなものであるという社会常識の中で見過ごされてきた切実な想いに丁寧に寄り添った画期的な書。

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このタイトルは衝撃的で、最初に見た時には心がゾワゾワしました。そして、読もうか迷って、実はまだ読んでいません。でも、HUCの中でも座談会開催前からたくさんのコメントが寄せられ反響が大きく、50人近くのメンバーが参加予定になっていて、私もみんなの話が聞きたくて座談会に参加しました。一人ひとりの話がとても想いが深く、心が痛みました。胸がいっぱいになってしまって自分の話をするどころではなかったので、改めて自分の想いを整理したくてこれを書いています。

私はいい母親になりたかった。

私の場合は、社会に押し付けられたというより、私自身がそうありたいと願って、あろうとして努力してきた。という感覚です。だから今も、いい母であるべき。というか、いい母親でありたいという想いが正直あって、私が戦っているのは自分自身の意識なのかもと思っています。

結婚した時も、仕事しながらせっせとご飯作って、家事して、家計簿つけて、夫のまわりの友達が大量に遊びにくれば手料理ふるまって、「お前の嫁はさすがだなー」とか夫が言われてるのを横目でみながら、気持ちよく酒飲んでました。その時、家事は苦ではなかったし、それはそれで幸せでした。羨ましがられる嫁という称号を手に入れた!みたいなかんじです。
そんな私が絶対手に入れたかったのが子どもでした。でも残念ながら、なかなか恵まれず。夫は別にいなくてもいいと言っていたのですが、そんな夫に「私は絶対に欲しい!」と泣き叫んで訴えました。どうにか協力してもらい、不妊クリニックに通っていろんなことを努力して、10回目の人工授精でやっとできた一人娘がいます。本当に妊婦の時は最高に幸せで、やる気に満ちていました。いい嫁になれた(気でいた)私は、いい母親になれる自信がめちゃくちゃありました。

育休中はまだよかったような気がします。妊婦の時から地域のママ友とつながってお互いの家を行き来したり、ベビースイミングに通ったり、子連れでランチに行ったり、まあまあ充実していました。苦しくなったのは、娘が1歳を過ぎ、ほぼ知り合いのいない今の家へ引越してからです。復職が迫っているのに保育園には入れず、一時預かりでとりあえず復帰し、空きを待ちました。手狭なアパートから広いマンションになりましたが、引越しのダンボールだらけの家を片付ける気にはなれなかったです。
家から少し遠くの保育園に入れることになり、そこにしばらく通い、2年後くらいに近所の保育園に空きが出て転園しました。その間、発熱時のお迎えや、病児保育の予約とか、通院とか、慣らし保育とか、働きながらのワンオペ育児は本当にしんどかった。あんなに、欲しくて欲しくて、やっと授かった子どもでしたが、育てることが辛くて苦しくて、毎日が綱渡りで、お迎えに行った帰り道では、ベビーカーを押しながら涙がポロポロこぼれてきて、私が望んだ命なのに、笑顔でその命を育めていないことも自己嫌悪でした。いい母親になれると思っていた自信は打ち砕かれ、どうにか日々を回すことで精一杯でした。

夫も、何かと戦っていた。

夫も最初は育児をやる気はあったのだと思うんです。ただ、これまで家事の一切を彼のお母さんがやってくれていたので、家でどう動いたら快適になるかというスキルを持ち合わせていませんでした。そして、本当に仕事が忙しくて終電でさえ帰って来れない日もあり、ある時、彼の方が鬱になってしまいました。1年間、休職もしました。
どうにか復帰して仕事に行けるようにはなりましたが、破天荒だったあの頃に比べ穏やかになったといえば聞こえはいいですが、昔の目の輝きはどこかへ行ってしまいました。同期より早く昇進し、学歴のない彼は彼なりに認められようと必死で、好きでもない仕事にしがみついていたんだと思います。これから彼も、自分が自分らしくいる心地よさを取り戻してくれたらと願っています。

HUCと出会って。

人生の暗転を感じた私は、どうしたらいいのか心にモヤモヤを抱え、もがきながら暮らしていました。そんな時だったと思います、HUCのみんなに出会ったのは。コミュニティーが立ち上がって、何か変わるかもしれないと暗闇の中に光がみえたようでした。社会を学びながら、自分の価値を問い続けた日々だったように思います。固定概念とか、自己否定とかの重いコートをぬいで、私が私であろうとしてきた日々です。
そうか、私、好きなことやればいいんだ!と、HUCの中でチャレンジを繰り返し、大好きなダンスを復活し、直感で転職し、今はほんの少しでもこの世に価値を生み出すために働いていると胸を張れます。そして、そんな自分が大好きです。だから心からHUCには感謝しているし、どんな関わり方になっても私は一生HUCメンバーでいたいし、その想いに誇りを持っています。

娘のこと。

一方、娘は、保育園も小学校入学後も平和に友達と楽しくやっていたと思うのですが、高学年になり、たまに休むようになり、今は完全に不登校になりました。理由はいろいろ考えられますが、正直なところ私も今どうしたらいいのかわからないままで、でも行きたくないものを無理に行かせる気にもなれず、自由にさせています。
保守的な夫は、不登校になり始めた当初、娘に辛く当たり力で行かせようとしました。学校に行けるようになるまで、私にダンスは辞められないの?仕事も変えられない?ときいてきたこともありました。もちろん辞めません。私は私であるために辞めない。今の仕事も続けます。娘も学校行かなくてもいいと思っています。夫も言ってもムダとわかったのかそれ以上は何も言いませんでした。
とにかく今は、娘にこれやりたいという気持ちがもっと育つまで見守るしかない。幸いにも彼女もダンスが好きで、レッスンには1人で出かけて行くのでそれを応援していきたいです。

私は、わたしとして生きる。

それでも私の中で、転職し休みが平日となり週末に仕事に出かけてしまうこと、帰りが遅くなりまともに夕食を作れなくなったことは、娘に対してゴメンねという気持ちはあります。いいお母さんじゃなくてゴメンね、勝手なママでごめんねっていう気持ちも常にあります。

でもね、私は私の、あなたはあなたの人生を生きるしかない。
私にできることは、あなたに
「生きることはこんなに楽しいよ」
って伝えることだと思っているの。
これからあなたにそれを伝えるために、人生をかけることにしたよ。

私は、母というより一人の人間として彼女に向き合って、
生きていくつもりでいます。


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