2020-04-26 43歳福祉バカ、プログラミングを習う。その理由とは。
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私は今44歳です。
昨年8月、私はプログラミングを習いました。
プログラミングってなんでしょうか?
少しだけ詳しく書くとJS、JQ、Python、SQL。
HTMLやCSSも含め2ヶ月間、週5日1日3時間。
現時点44歳の私は、この学びの経験を生かしてホームページを作ることが出来るようになりした。
これは自分でも意外であり、面白い結果に。
ここに行きつくまでも色々なことがありました。
まず、私は22年間福祉施設で働く自称福祉バカ。
なんとなく福祉の学校を出て、実習先が楽しかったという理由で障がい福祉の道へ。
気がついたら就労支援事業所でサービス管理責任者と係長という役割を担い、社会福祉士と保育士という国家資格も得ていました。
福祉の仕事しか知らないけど、福祉の職場や仕事のことは少しだけ詳しい。
そんな私が40歳を越えてからなぜ「プログラミング」なんていう危険地帯に足を踏み入れたのか。
その理由は単純で
知らない仕事は 「自分で経験するしかない」
だって、みんなスマホ持ってるし
だってネットには沢山仕事あるって聞いているし
ちょっとパソコン使えたら、もしかしたら私にだって出来る仕事あるかもしれないし。
そんな気軽な考えから始まっています。
私は22年間、この「福祉」と言われる職場で「就労支援」という仕事を主にしていました。
要は働くことを支援する仕事。
どこかの会社から障がい者のメンバーの仕事をもらう、一緒に会社に行って仕事する、なんなら就職の支援もする。
私は会社に行って働く、就職の支援をするのが主な仕事。
なので障がいのある人を雇ってもらう為に、施設でする仕事をもらう為に、沢山の会社に出向き、話をきき、仕事をする。
沢山の仕事と働く人と経営者に出会って一緒に働く。
クリーニング、食品製造工場、販売、スーパー、バックヤードetc、、。
こんな場所に、こんな仕事が、と驚きながらも
自分の知らない仕事に出会うたびにワクワクして
体験するたびに新しい感動。
世の中は様々な人と仕事でできているんだと実感する日々。
うーん、この仕事好き〜。
ところが、幸せな日々は流れ、福祉も変わり「精神障がい」とか「発達障がい」とか、色々な区分けがされて行き、制度も社会も変わっていきました。
私の事業所にも、色々な病気や障害で困っている人が仕事を求めて来るようになり、求める仕事の内容も変わっていきました。
20年前は働ける場所さえ限られて、選ぶことなんて考えられなかった障がい者の就労先も、今では合わなければやめる、行きたい場所を選ぶ、がスタンダードに。
あれ、私のやってきた今までの「体力勝負!」支援では、当たり前だけど働けない人たちはいつまでも就職出来ない。(だから支援を求めてるんじゃ!!!)
パソコン分野の仕事なら出来そうって思うけど、でも、私、その分野知らない。
私の周りにはエンジニアなんてr当然居ないし、仕組みも仕事の内容も稼ぎ方も、全く分からなかったのです。
あれって、特別な仕事なんじゃないの?
自分が稼ぎ方を知らない世界に、支援者としてお客様を行かせるわけにはいかない。
ところが、少し外に目を向けると、ITで障がいの就労支援をしている支援事業所が沢山あるのです。
知らなかっただけで、みんなもうやっていた。当たり前ですが。
こうなったら、まずはその分野を知ることから始めないと、と思うわけだったのです。
こうして43歳まで福祉しか知らない私は、IT業界を知り経験するために
「プログラミング教室」に行くことを思い立ったのです。
ただ、これが本当に考えていた(と、いうか今思えば何も考えてなかった)世界とは全然違っていたのは言うまでもありません。
フルタイムの仕事を終えて、車に飛び乗りスクールに向かう、ポンコツ頭と寝不足とプログラミングと就労支援にまみれた毎日。
それはそれは壮絶な2ヶ月間の開幕。
正直って精神的にも肉体的にもボロボロな2ヶ月間でした。
43歳の冬まで、ポンコツノートパソコンでブログを書くくらいしか出来なかった私。
Twitterやらfacebookの使い方も分からなかった私。
ドメインって、アカウントって何?って言っていた私。(ポンコツ過ぎる)
しかし、プログラミングスクールに通った私は
ただの「福祉施設職員」から、「プログラミングを知っている福祉職員」になることが出来たのでした。
そして、これが、私の仕事人生を変えて行くことにもなるのです。
それは、私が22年間務めた職場を辞めるきっかけになったからです。
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