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秋の空②

雨が降ってきた。今日は一日中晴れの予報だったのに。実際に昼間はとてもいい天気だった。傘を買うためにスマホを開いて最寄りのコンビニとそこまでの最短ルートを探す。いつの間にかもう24時をまわっていた。

きっと終電はもうない。それでいいのだ。今日は歩いて帰ろう。少し遠出をして初めての経験をしてきた後なのに今日はずいぶんと身体が軽い。いや軽いのはきっと身体ではなく心の方なんだろう。心と身体はやはりそれぞれが別のもので互いに影響を与え合ったりしているのかもしれないと思う。どうして今日はこんなに哲学チックなことを考えてしまうのだろうか。



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ここ最近、自己啓発本や哲学や心理学の入門書類をたくさん見てきた。私は人生についてのいくつかの問いに対する答えを探していた。しかし、結局その中に見つけることはできなかった。

そもそも人生の意味なんてものが決まっていたら、みんな同じ生き方をするし、それについての本なんて当たり前なことしか書けないから出版されることもないだろう。だけど、そんなものが決まってないからこそ人は悩み、もがき、苦しむのだ。そして、こんな分野の本が出版され続け、それを買う読者も減ることがないというわけだ。

人生に意味なんてあるのだろうか。このまま生きていくことに何の価値があるのだろう。死というのは悪いものなのだろうか。
じゃあ、いっぺん死んでみればいいのかもしれない。死んでしまえばこの苦しみからはきっと解放される。ただ、私にはそんな度胸はなかった。そして、私が本当に生きたいのか死にたいのかそれすら知らないことに気付いてしまった。

そんな時、たまたまテレビでバンジージャンプの特集をしていた。遊園地などのアミューズメント施設が好きではない私にとってはまったくの無縁の存在だと思っていたがここでふとある考えが浮かんだ。

飛び降り自殺するつもりでバンジージャンプを飛んでみたらどうなるだろう。


これだ、とテレビを見ながら声に出してしまった。私が生きたいのか死にたいのかまずそれを確かめる方法を見つけたのだ。



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比較的最近できたとネットで見たバンジージャンプ施設へやって来た。正直、どんなものでもよかったからアクセスの良さだけで選んだ。ここでは川の上からジャンプして川に向かって落ちていくらしい。

誓約書を書き私の番が来た。もう一度説明を受け3、2、1の合図でジャンプしてほしいということが伝えられた。頭にはヘルメットをかぶっており、いくら夏が終わったとはいえ少し暑い。そしてロープでくくりつけられており、窮屈感も否めない。テレビで見ていた時は直前になって泣いている人もいたが私はまったくそんなことはなかった。しかし、これからの人生を続けるか終えるかの判断がこの一飛びにかかっていたので顔は強張っていたのかもしれない。

本気で飛び降り自殺する気持ちになってジャンプしたあとに、「私はまだ死にたくない、まだ生きたいんだ」と思ったら今までの自分とはおさらばしてこれからは命を燃やそうと思った。逆に、その感情にならなければ明日にでも本当にどこかの川に飛び込んで生を終えようというわけだ。

時がきた。あまり長くはなかった私の人生を一通り振り返り世話になった人への感謝の気持ちを心に浮かべる。思い残すことはないはずだ。あとはジャンプしてみないとわからない。

3、2、1

私は飛び降りる。今までありがとう。そしてごめんなさい。



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「ありがとうございましたー」

傘だけ買うのもおもしろみがないと思い、おでんも買ってしまった。おでんというのは秋からレジ前で販売されているのだ。そんなこと今まで考えたことがなかった。おでんといえば冬のイメージだ。しかし、秋にもコンビニのおでんというのは売られているのだ。秋というのは本当におもしろい季節だと思う。
近くの公園に入り、まだ熱いおでんを食べる。幸せとは何かと問われたら難しいが、次に聞かれた時には、「秋のある雨の日の夜中に公園でおでんを食べることだ」と答えてやろうと思った。









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