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後撰和歌集 もう一つの和歌の鑑賞法

 平安時代中期、紫式部や清少納言などの高級貴族の娘に仕える女房達の知的大好物に、万葉集、古今和歌集、後撰和歌集があります。この内、古今和歌集は宮中や貴族たちの歌合せの行事での、当時としての近代和歌とは何かを示した、和歌お手本集です。それもそれぞれのテーマで詠われた歌を覚える形で秀歌とは何かを暗記的に覚えて学ぶものでした。つまり、古今和歌集の歌を覚えて、古今和歌集のスタイルに似せて歌を詠うことが、和歌学習の基礎でした。これを盗古歌と称し、後に本歌取の歌とも称します。
 他方、万葉集は少し趣が違います。紫式部は源氏物語で万葉集の歌を引歌と言う手法で文中に取り入れて、万葉集の和歌の世界を見せることで文中に示す情景に広がりや趣を与えています。その万葉集引歌には大きな特徴があり、主に柿本人麻呂歌集に分類される歌を多く取り入れ、その取り入れた歌の世界は濃厚な性愛をも示唆する歌の世界です。作者が源氏物語で引歌により文章に広がりや趣を与えたとするなら、すると、読者はそれを受け入れる教養・知識があったことになります。このような相互性が考えますと、高級貴族の娘に仕える女房達の知的大好物である万葉集は濃厚な性愛を詠う相聞和歌が一つの理由かもしれませんし、少なくとも、紫式部はそれを積極的に源氏物語に組み込んでいます。
 では、彼女たちのもう一つの好物である後撰和歌集とはどのようなものでしょうか。建前の後撰和歌集の説明では古今和歌集と時代的に重なるが、古今和歌集に採られなかったものを中心に編まれたものと説明します。確かに歌人たちに重なる者が多く、なるほどです。
 ここで、後撰和歌集に彼女たちが好んだ万葉集のものと類似の濃厚な性愛物が無いかというと、古今和歌集が表舞台で詠うツンと澄ました物とは違い、エロいものはあります。ただし、その歌の世界は歌で扱う言葉の解釈を教科書的に解釈しては見えては来ない世界です。
 さて、少し、可能性のある歌を後撰和歌集の巻13 恋5から紹介したいと思います。

歌番号九〇六
原文 於无奈尓毛乃以不於止己布多利安利个利飛止利可加部之己止寸止幾々天以万比止利可徒可者之遣留
読下 女に物言ふ男二人ありけり。一人がかへり事すと聞きて、いま一人がつかはしける
原文 与美比止之良寸
読下 詠み人知らず
原文 奈比久方安利个留毛乃遠奈与多个乃与尓部奴毛乃止於毛比个留加奈
和歌 なひくかた ありけるものを なよたけの よにへぬものと おもひけるかな
読下 なびく方有りけるものをなよ竹の世に経ぬ物と思ひけるかな
解釈 貴女には私と言う既に靡いたものが居たのですが、貴女のことを、なよ竹の節(よ)の響きの言葉、「世」の色々な事柄を経たことがない、初心なお方と思っていましたが、(同時に二人の男と関係があったのですね。)

 歌の解釈にあって、ここでの「世に経ぬ」の「世」は「夜」でもあり、夜の営みの経験を積んでいるとの意味合いも含みますから、歌が「よにへぬもの」の言葉で示すものは、相手の女性について夜の営みでの技巧が上手でないことや体の反応が薄いことを意味します。このように、現代では、すこし、特殊な意味合いを持ちます。

歌番号九〇七
原文 於无奈乃己々呂加者利奴部幾遠幾々天徒可者之个留
読下 女の心変りぬべきを聞きて、つかはしける
原文 与美比止之良寸
読下 詠み人知らず
原文 祢尓奈遣者飛止和良部奈利久礼多个乃与尓部奴遠多尓加知奴止於毛者无
和歌 ねになけは ひとわらへなり くれたけの よにへぬをたに かちぬとおもはむ
読下 音に泣けば人笑へなり呉竹の世に経ぬをだに勝ちぬと思はん
解釈 貴女が心変わりしたことを聞き悲しんで、声を上げて泣けば、きっと、人は笑うでしょう、呉竹の節(よ)の言葉のような、世を経ていないことだけを、他の男よりも勝っていたと思いましょう。

 この歌の「世に経ぬ」とは、先の歌と同じで夜の営みでの技巧が上手でないことや体の反応が薄いことを意味します。男が女を愛した時、女はまだ夜の男女関係に馴れていない、初心な状況でした。それを男が夜の男女の技を色々と教え育てたのでしょう。その結果でしょうか、別の男に女は寝取られて捨てられました。その負け惜しみが「よにへぬをたに かちぬとおもはむ」です。私は、あの女の生娘のようなときの姿を知っていて、その女に色々なことを教えてのは私だ、です。なかなか、教科書的な解釈では理解出来ないと思いますが、「世に経ぬ」の意味が判れば「勝ちぬと思はん」の言葉の意味は納得です。

歌番号九〇八
原文 布美徒可者之个留於无奈乃於也乃以世部万可利个礼八止毛尓満可利个累尓徒可者之个留
読下 文つかはしける女の、親の伊勢へまかりければ、共にまかりけるにつかはしける
原文 与美比止之良寸
読下 詠み人知らず
原文 以世乃安満止幾美之奈利奈者於奈之久者己比之幾本止尓見留女可良世与
和歌 いせのあまと きみしなりなは おなしくは こひしきほとに みるめからせよ
読下 伊勢の海人と君しなりなば同じくは恋しきほどにみるめ刈らせよ
解釈 親と共に伊勢に下向して、その伊勢の海人と貴女がなったのならば、伊勢の海人が刈ると同じように、私が恋しくなったら、海松布(みるめ)を刈るように、貴女の見る女を貸して下さい。

 さて、この歌の解釈では、二人に夜の男女関係がある場合、「みるめ」には「見る女=陰部を見せる」の意味合いがあり、「みるめからせよ」には、あの日のように抱き合いましょうの意味合いがあります。古語、「め」には女の意味もありますが、同時に女性器の意味もあることを知っていることが重要です。
 ちょっとですが、萩の花を万葉集では芽子と表記しますか、これは同音字での女子の意味合いでもあります。日中の屋外で男が女の股を広げて女性器を眺めた姿と萩の花びらの形との比較からの比喩的な表記です。また、萩の花びらの形と同じような花びらの形をした万葉の花に露草があり、この露草を万葉集では大和独自に鴨頭草とも表記します。その背景萩の花びらの形と同じような姿をした花びらの形の中に長き先がずんぐりした雄蕊が首を差し込む姿から想像した大和人の感性です。
 古典の和歌の言葉を調べますと、教科書では絶対に教えない内容があります。ただ、この種の教育をしないで、古典文学を学んだことになるのでしょうか。語尾活用形を覚えるよりも、もっと重要なことではないでしょうか。

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