No.9「なんでもいい世界のなかで」

基本なんでもいい。だから、楽しいことが大切なのだ。

ふと思うことはないだろうか。時間って何だろう、空って何だろう、目の前にあるパソコンって何だろう、そしてそもそも人間、自分って何だろうと。因みに、私はよく思う。勿除、自分が骨や肉、水分などで構成されているという事実はわかっている。しかし、そもそも世界というものがよくわからないなぁと、不思議だなぁと、思うことがある。今日は2022年4月1日、一回寝たら当たり前に4月2日を迎え、3つ下の後輩たちは社会人2日目になっている。当然にそうなることはわかる。しかし、いざ当たり前と思っていた明日が、自分に訪れなかったとしても果たしてそんなに驚くだろうか。驚くという感情も抱かず、ただ明日が訪れないだけなのだと思う。それは自分が世界から消えてしまったことなのか、そもそも人間世界というものがなくなってしまったことなのか、それすらわからないだろう。それほどまでに、世界は不思議であり、世界とは何か、何が起こるかなんて誰にもわかりはしないのだ。

だから、「あーだったら、どうしよ」、「こうなったら、あーだ」などと深く考えすぎることに皆が考えるほど意味はないと思う。なぜなら、明日の自分、世界がそもそも存在する保障などないからだ。それが故に、その時に自分が一番楽しいと思えることをするのが本当に大切なのではないか。もし人間に敗者と勝者がいるのであれば、勝者は後悔など残さずに、一瞬一瞬を楽しめた者であると私は思う。この世界という不思議な場所では、基本なんでもいいのだ。お金持ちやイケメンを誰が正解と決めたのだ、この世界に本当に正解など存在しない、いや正確には誰にも正解などわかりはしない。その人それぞれが―瞬一瞬で楽しいと感じたことが常に正解だと言わざるを得ないのだ。

ここで最後、1つだけ重要なことがある。「楽しい」の捉え方についてである。もちろん不確定な世の中で、選択に対して卑屈や臆病になる必要は全くない。しかしながら、その選択が本当に「楽しいこと」なのかはよく考えなければならない。短格的な判断は危険であるということだ。不確定な世の中ではあるが、皆さんお分かりの通り、基本的に明日はは当たり前に訪れる。その明日、未来を見据えた楽しいを考えなければ、それはあなたにとって本当の「楽しい」選択とは言えない。その瞬間が楽しいからと言って、貯金を一夜で使い果たし、翌日から一文無しになる人生が「楽しい」と言えるだろうか。言えないと思う。この例にわかるように、短格的な判断に本当の「楽しい」が存在しないことを理解して置かなければならない。

つまり、この文章で一番伝えたかったことは、不確定な世だから不用意な判断をして良いということではなく、不確定な世だからこそリスクなどを恐れずに、真に「楽しい」と思える選択をして良いということなのだ。

あなたがふと世界に対して感じる不思議な感覚は、決しておかしいものではない。明日が本当に来るかわからない、基本なんでもいい。だからこそ、その一瞬一瞬の選択を大切に、最高に楽しい人生を歩んでいってもらいたい。私自身ももっともっと選択に臆せず、人生を最高に楽しいものするべく邁進していく所存である。

2022年4月1日 記

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