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No.12「テキトー」

ほんと、人生って、「テキトー」でいいのだ。

私は、「大丈夫かな、大丈夫かな?」、「どっちがいいかな、こっちかな、あっちかな?」って、不安でビクビクしながら物事を決める。自分が大事なことだと思えば思う程に、より悩んで慎重になってしまう。これは一見、真面目なように見えて、ただのおバカだ。人生なんて大概なるようにしかならない。「テキトー」でいいのだ。どんなに選択を間違えたっていくらでもリカバリーは効くし、どんなに自分としては大きな失敗だったとしても、世界から見たら本当に気づくこともできないちっぽけな失敗でいくらでもやり直しが効く。その時は自分の中で消化できないほどの失敗だって、時間が経てば、基本は笑い話、ほとんどのことは誰かに言われなければ思い出すことすらない。案外、どうでもいいことばかりなのだ。

私は新卒でこの会社に入って本当に良かったと思う。物事の捉え方の本質に気がつくことができた。会社にて社内メールの誤字脱字を度々指摘したり、ただの寝坊をひたすら怒ったり、人事異動情報を国家機密のように扱ったり、私は寝坊等をしたことはないが、前述のようなことに関して何度か注意を受けた。ただ私には、何故こんな注意されるのか、何が大事なことなのか全くわからなかった。そしてこの指摘している意味を、指摘しているサイドも本質的にはわかっていない。ルールで決まっている、そのように指導されてきたから自分も指導しているといったことが、指摘理由の大半であった。これは、世で言われる真面目な人が集まっているがために、起きていることなのだと気がついた。皆が、真面目が故に、悩み、慎重になることで、大事なこと・どうでもいいことの線引きがなくなり、全てが大事なことに分類されてしまった結果、つまりおバカな話であると私は確信した。

また、これが個人の価値観によるものであることにも私は同時に気がついた。私にとってはどうでもよくても、別の人から見れば大事なこともあるということだ。しかし、誰かがどうでもいいと思うことが果たして本当に大切なことのだろうか。多分そんなことはない。誰かがどうでもいいと思うことは、文の冒頭に述べた基本は笑い話、思い出すことすらない内容ばかりなのだ。

このような視点を以て、自分の人生を振り返ると、本当におバカだったなぁ、とつくづく思う。特に弓道生活に於いてだ。私は失敗したらどうしようという気持ちに押し潰され、イップス(競技恐怖症・試合恐怖症)になった。今でもアリーナでの試合で、先発メンバーが奮わずに自分が交代で出場したらどうしようと観客席で震えていたことを鮮明に覚えている。ただこれも今思えば、別に出場して大失敗したって人生的、ましてや世界的に見たら、あまりにもどうでもいい失敗、いくらでもリカバリーできることなのだ。私の社内メールの誤字脱字を指摘していた人からしても、もちろん私の弓道での失敗なんてどうでもいい。結局は、そんな大事なことではないのだ。あんなに悩み、自分を追い込む必要など本当になかった。当時、この考えに気づけていたら、イップスなんかにならなかったんじゃないかと思う。イップスは真面目な人ほど陥りやすいと言われている。これはまさに、どうでもいいことを大事と捉えてしまう、世では真面目と言われているが、私的には正しい線引きのできない本質的にはおバカだからなってしまうのだと思う。少なくとも私はおバカだったからイップスなった。次はもうならないと思う。

私の転職だってそうだ。確かに「大丈夫かな、大丈夫かな?」とビクビクしながら決断したことは事実ではあるが、別にそんな不安に思う必要はない。転職後の方がワクワクしそうだから「テキトー」に決めたぐらいで十分なのだ。私の勤め先など世界から見たら本当にちっぽけで、何をしたっていくらでもリカバリーは効く。そんな過度に悩み、重く捉える必要なんてない。

世の中、本当にどうでもいいことばかりなのだ。大事なのは、核爆弾を落としてはいけないとか、人を殺めてはいけないとか、本当にそれくらい。ただこれは本来悩むまでもないことだろう。だからこそ、今、皆さんが悩んでいることは、本当にどうでもいいこと。気負う必要も、自分を追い込む必要もない、「テキトー」に決めよう。なるようにしかならないし、成功だって失敗だって、どっちだって大丈夫。慎重に考えすぎて、パフォーマンスの質を下げたり、機会を逃すことが一番勿体ない。

私ももっともっと「テキトー」に生き、自分の殻を破っていこうと思う。
小さな失敗なんかを恐れるだけ本当に無駄だ。

そして、最後に「テキトー」に込められた本来の意味を紹介して本文を締めよう。
実は「テキトー」というのは漢字で書くと「適当」。適切に当てる、と書く。皆さんは「テキトー」に対してネガティブ寄りのイメージを持っているかもしれないが、この言葉に込められている本来の意味は、最も正しいこと、そう捉えて過言ではない。「テキトー」に決める、生きることは決して悪いことではない。悪いどころか、むしろ「テキトー」は最良なのだ。

皆さん、なんでも「テキトー」で良いと思えば心が軽くなったことだろう。
その心の軽さが何よりも大切だということを、これからも忘れないでもらいたい。

2022年4月7日 記

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