「おいしい」と「好み」は違う。
食べ歩きのお店が80軒になった毎日ジャズピアニストのかねこです。
幅広く行ってるので特定のジャンルの深掘りはしていないのですが、新しい味にワクワクしながら並んでたりもします。
先日、サポートライブのリハーサルの休憩中にその日の朝に行ってきたフレンチトーストのお店の話をしていたら、好みの話になりました。
そのメンバーは「オレ、ふわふわ系苦手なんだよなぁ、まぁ好みだよね」と。
その後そのことがどこかひっかかっていて考えていたら、わかりました。「美味しい」と「好み」は違うのでは?という疑問でした。
以前に演劇の動画を見たことがあります。特に知識がなく素人同然の僕はその演技に引き込まれて感動したことを覚えてます。
何も知らないのにも関わらず、好きなジャンルとも違うのに目の前で歌われて感動したりすることはあります。
最近ならオリンピックはそうかもしれません。スポーツのルールも知らないのにその人の演技に目を奪われてしまう、そんな経験を僕はしました。
僕はこれが「美味しい」という体験なのではと思ってます。「何も知らない人でも圧倒的に感動させてしまう何か」のことを「美味しい」と言う体験なんだと。
つまり美味しいとはその人にとって未知の新しい体験であると言えます。
一方で好みも僕にはあります。僕はファミレスに行くと疑問に思うことがあります。必ずチョコレートパフェとストロベリーパフェがあることに。
そこで僕は必ずチョコレートパフェを頼んでしまいます。いちごが美味しいことは知っています。そしてもちろんチョコも美味しい。どちらも美味しいにもかかわらず必ずチョコを頼む、これは僕の好みだといえます。
そして好みとは過去の体験に照らし合わせる行為でもあるといえます。
そうなると「美味しい」と「好み」違うのではないかと思う様になりました。
そういえば過去にこんな経験がよくあります。
友人と「美味しい」食べ物の話をしていて、あれは違うこれはおいしいと話題が膨らんでいく中で話が噛み合わなくなりどちらもこれが美味しいと一歩も譲らなくなる経験です。
これはなぜ起きるんだろうと常々不思議でした。しかしはっきりわかりました。一方が「美味しいもの」の話をしている中で「好みのもの」の話をしては噛み合うはずがありません。
新しいものや経験や知識がそこまで必要ない圧倒的な体験の話を、変わらない毎日こそが良いと思っている人にどんなに進めてもその人が一歩踏み出すことはないはずです。
逆に新しい物好きな人に一つのものを突き詰めてもいつも新しい発見がある、と伝えても理解されにくいかもしれません。
そうなると「新しさ」とは大きな違いを楽しむことで、「変わらない毎日」は小さな違いを楽しむことなのかもしれません。
「美味しい」と「好み」に当てはめれば、今まで知っているものとは違う体験に重きを置くのが「美味しい」という体験で、過去の自分の体験に近いことに重きを置くのが「好み」とも言えるかもしれません。
最近ずっとモヤモヤしていたのが一応の答えを自分なりに出したのでスッキリしました。
話はそれますが、音楽の現場で最終的にいつもでる「その人の好みでいいんじゃない?」という言葉にいつも疑問を感じていた僕。
一見小さな違いを大きな違いとして言語化して伝えることができるのがプロであるとも思うので、現場で安易に「好み」という言葉はなるべく使わない様にしています。
とはいえ、本当にギリギリのところまで行くと最後は好みになるとも思っています。その最後のギリギリのところの高さこそがプロなんだろうなぁと。
全部に「それは好みですよね〜」と言ってる人に仕事の意思決定は難しいよなぁと思いながらながら往年のジャズ巨人の音楽を聴いて震えているかねこでした。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝7時頃からライブ配信中。一緒に朝からお話ししましょー。
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毎日ジャズピアニストかねこ
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