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店をオープンするまで / (4)情熱

レコールバンタンで学んでいたころ、技術のほかに獲得したかったものは人脈でした。このときは自分の店をもつつもりは一切なく、どこかのお店で雇ってもらって専門職としてコーヒーにじっくり向き合うことが希望でしたが、それにしても若干でも知り合いは必要だろうと考えていました。

そんなおり、ハンドドリップの競技会というのがあって、競技会の運営スタッフをボランティアで募集しているよという参加の呼びかけがコーヒーロースト&ドリップ課程のほうでありました。当時ぼくは働いていませんでしたからなにしろ時間はありましたし、人脈の必要性も感じていましたし、なにより競技会自体にとても興味が湧いたので迷わず参加することにしました。

競技会は、ジャパン・ハンドドリップ・チャンピオンシップ(=JHDC)というもので、名が示すとおりハンドドリップの競技会です。この競技会に運営ボランティアとして参加したことで、計らずもコーヒー業界の人たちの情熱を知り、またその熱に当てられることになりました。

ハンドドリップの競技会。そう聞いて、どんな会を想像なさるでしょうか。ひと言で書けば、勝ち抜いて優勝するにはたいへん厳しい道のりになる競技会です。複数のコーヒー関連企業で構成する一般社団法人日本スペシャルティコーヒー協会(略称=SCAJ)が主催しています。

競技者としてエントリーするのにはハードルは低く、一般の人でも参加することはできますが、実際に参加しているのはコーヒー屋さんで働く人がほとんどです。トーナメント方式で進みます。

ぼくが運営ボランティアで参加したのは2016年に行われたJHDC2016の東京予選で、このときは競技者4人一組で競技が行われてそのうち1人が勝ち抜ける方式でした。評価はもちろん競技者がその場で抽出したコーヒーを中心に行われ、事前に公開されているコーヒーの評価項目ならびに競技のルールに沿って各項目ごとにジャッジによる採点が行われます。4人の中で最も得点が高い人が上位戦へ進みます。

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掲載したのは競技のスコアシートですが、JHDC2016ではなくてぼくが競技者として参加したJHDC2017のものです。SCAJのサイトに過去のシートが見当たらなかったので、ぼくが手元に持っているものを参考までに掲載しました。ごらんいただくと「勝ち抜いて優勝するにはたいへん厳しい道のりになる競技会です。」と書いた雰囲気は分かっていただけるかなと思います(ルールブックはもっと多くのページがあります)。競技のアウトラインとしては制限時間10分間にコーヒーを2回抽出する内容で、味自体の評価と、抽出した2つのコーヒーが同じ味にできているか(均一性)が評価されます。

ジャッジは認定プログラムを受けて認定された人たちで、こちらは全員がプロフェッショナルのコーヒー屋さんです。1人の競技者につき3人のジャッジがコーヒーの評価をして、1人のジャッジがコーヒー以外のオペレーションなどテクニカル面を評価します。コーヒーの評価をする3人のジャッジは競技者とは別の部屋にいて、自分が評価しているコーヒーを抽出した競技者が誰なのか分からないようになっています。ジャッジと競技者が同じコーヒー屋さんから参加しているケースがめずらしくありませんので、恣意性を排除するための仕組みが導入されています。いわゆるブラインドジャッジといわれる手法です。こうして計4人のジャッジがつけた評価点の合計が競技者の得点になり、その組で一番高い得点となった競技者が勝ち抜けて上位戦へ進みます。

実は、10分間にコーヒーを2回抽出すること自体も慣れていないと難しく、オペレーションを無駄なく組み立てることが必要です。そのうえで競技者は当日会場で初めて知るコーヒーのポテンシャルを、初戦の競技前だけに与えられる15分間のリハーサルで判断して、おいしさを最高に引き出し、かつ自分が抽出した2つのコーヒーの均一性も整えなければなりません。この2つの抽出も1つは200ml、もう1つは400mlを抽出するという容量違いのコーヒーですからこのハードルの高さたるや、なかなかなのです。

これほどシビアなルールのなか高得点を狙いにいきますから、競技者は勤めているコーヒー店で毎日コーヒー抽出をしていても、業務とは別にJHDC向けのトレーニングを行う人が多いです。時間をかける人は1年前から取り組みます(JHDCは年1回の開催)。競技者の皆さん、真剣だし、燃えているんです。

一方のジャッジの皆さん。ぼくはJHDC2016のジャッジ認定プログラム会のお世話係にも参加しました。印象に残っているのは評価方針とキャリブレーションです。

『ポジティブなところに意識を向けて採点していく。』『ダメなものはダメだが、ポジネガ両方あるならポジティブなところを評価していく。』ヘッドジャッジの方が表明されていたこうした評価方針には感銘を覚えました。

キャリブレーションというのは調整といった意味合いのことばで、認定プログラムにおいては参加ジャッジのコーヒーに対する基準値を合わせて、できるだけ同じモノサシで評価できるよう工夫がなされていました。

とにかくジャッジのほうも真剣で、評価に対する、そして競技者に対する真摯な姿勢に胸を打たれました。これらはすべて業界発展のためです。そして競技者も、運営チーム(競技会の進行などを行う人たちとジャッジ)も、みんなが情熱を燃やしていました。ぼくには、なによりそれが楽しそうに見えたのです。眉間にシワを寄せながら本当は嫌なのか苦しいのか分からないような表情ではなく、楽しそう。まさしくコーヒーに情熱をも注いでいるようにみえました。

レコールバンタンのコーヒーロースト&ドリップ課程では、コーヒーの上流工程である農家、生産者に光を当てる取り組みに情熱を燃やしている人々がいることを知り、やはり胸を打たれていました。

(「(1)コーヒーの世界へ」から引用)『感銘を受けたことは多々あるけど、印象深いことは、コーヒーの味を評価するための努力、取り組みがものすごく多くの人たちによって情熱をもって精緻に行われているということ。感覚で捉えるコーヒーの味や香りというものを可能な限り数値化して、言語化して、共通言語をつくり、他人と共有しようという取り組みが世界的に行われている。こうした取り組みはコーヒーの品質を適切に評価して、ひいてはコーヒー豆を生産する農家に適切な評価が行われ、適切な対価が支払われ、それがまたコーヒー豆の品質を向上させることになり、マーケットが健全に発展する。』

JHDCのほうでは、コーヒーの最終工程である抽出に情熱を燃やす人々に出会い、ぼくはコーヒーの世界に感化されていきました。

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