『月の虹 (月虹湖殺人事件)』(1)(2023年)
これはある夏の数日間、ある奇妙な先輩と共に体験した、ある奇妙な事件についてのお話だ。
一
「最適なスカートの揺れ具合はどんなであるか」
花石先輩は、研究棟のフリースペースに設置されている古い黒板の前で、まるで未解決問題の解法を説明するように話し始めた。
「まず、ラグランジアンを定義する必要がある」
僕は眺めていたタブレットからふと顔をあげて、彼のほうを見る。彼は窓を向いて、まるでグランドキャニオンの絶景を眺めるみたいに、遠い目をしている。しかし窓から見えるのは、隣の研究棟だけだ。二十二時をすぎてもまだ明るい研究室がある。理学部というところは、そういうところだ。
見上げた彼の前髪は若くしてハゲ初めている。彼は修士二年、つまり二十四歳のはずであるが、到底そうは見えない。三十代、いや四十代はとうに過ぎているなりをしていた。ハゲ上がった頭部とは反対に、黒々と生やした髭が顎を覆っている。
「スカートの裾の位置をエックス、速度をブイとしよう」
彼はくるりと背中を向けて、黒板へ向かって数式を書き始めた。黒板には、
と書かれている。彼はまたこちらを振り返る。
「次に、スカートの揺れが単振動だとしよう」
僕は黒板から再度、彼の顔に目をやる。やはり顔をしめている毛髪の分布が、明らかに不自然だ。彼と出会って二年になるが、その前髪は年々減っているように感じる。また一方で、顎髭は年々増えていいる。もしかして、と僕は思う。もしかして、彼は毎年髪の毛の一部を顎髭へと移植しているのではないか。もしそうだとすると、顔にある毛髪の総量は一定になる。つまり、彼の顔から毛は減っておらず、これはハゲとは呼べないのではないか。
そんな妄想はつゆ知らず、花石先輩は続ける。
「一次元の単振動。つまり運動を定めるラグランジアンはこう」
黒板に、一次元単振動系のラグランジアンが書かれた。
それは解析力学とか、量子力学と呼ばれる分野で基本となる公式の一つだ。例えばバネに繋がれたボールが振動しているような場合に用いられる。一つ目の項が運動エネルギーを表しており、二つ目の項が位置エネルギーを表している。もしこれが、バネの運動についての公式だとするならば、mは繋がれたボールの質量であり、$${\omega}$$は振動の角速度と呼ばれる定数だ。
「でも、$${m}$$って何ですか」
僕は唐突に声を発した。すると上下を同じくらいの毛量で挟まれた顔が一瞬驚いてから、ニヤリと笑う。
「いい質問だ。それは僕にもよくわからない。スカートの裾に質量が定義できるわけじゃないからね。でもいいんだ。ひとまず$${m}$$とおく。これが物理学のやり方だ」
はあ、と僕は声にならない声を出した。何が物理学のやり方なのだろうと思う。彼にはこういう言い回しが多い。主語が大きいというか、主張が強いというか、とにかく何だか大仰なのだ。
「ラグランジアンが出たら、あとはこれをオイラーラグランジュ方程式に代入すればいい」
オイラーラグランジュ方程式。物理学の最重要方程式の一つである、と講義で習った。確かにその通りだ。物理学では基礎方程式を導出する際、まずラグランジアンを定義する。驚くことに、適切なラグランジアンさえ知っていれば、ニュートンの方程式も、フェルマーの光学定理も、アインシュタインの相対性理論だって導出することができるのだ。あまりにも偉大だ。偉大すぎる。
それを、それをこの男は、あろうことかスカートの揺れ具合なんていう馬鹿げた話に持ち出している。歴史上、最低の使い方ではないかと思う。そう思ってから、僕は自分の今の主張が、大変に大仰なものになっている気がついた。彼の話ぶりがうつったのかもしれない。
「オイラーラグランジュ方程式は知っての通りこう書ける」
彼は必要以上に腕を振りかぶって、黒板に数式を書いた。腕の動きに連動して縮んだり伸びたりする背中が、いかにも得意げだ。顔を見ずとも背中が語るというのはこのことか。
黒板に新たな数式が示される。
それから彼は、今度は振り返らず、黒板を見たまま、続けてまたチョークの音を鳴らした。
「そして導出される運動方程式の解はこのようになる」
おそらくそこに書かれているであろう数式は、その記載者の背中によって見えない。チョークの音が鳴り止むと、彼はゆっくりと振り返る。その背中は、まるで大きな門が開くように、背後に隠された数式を明らかにした。
「つまり、スカートの裾の最適な運動は、三角関数によって表現されるということだ」
そうだ、と僕は思い出す。言われてみれば当たり前なのだ。運動が単振動であると仮定した時から、結果は同じことなのだから。物理学者はラグランジアンを決める。ラグランジアンを決めた後は、計算を間違わない限り、誰が計算しても結果は同じなのだ。それが物理学の良さであり、この話の面白くなさでもあるな、と僕は思った。
「で、$${m}$$は何なんですか」
僕は再度尋ねた。彼はまた、窓のほうを見ている。グランドキャニオンはない。あるのは崖っぷちで研究している学生たちの灯火だけだ。なのに彼は、やっぱり絶景を見るような、遠い目をしている。
「わからない、しかし、これが物理学のやり方だ」
僕は何も言わず、手元のタブレットに目を落とした。
花石一石。彼の名前には石が二つ入っている。字面だけだといかにも堅物そうなイメージだ。初めて彼と出会った時、一瞬だけ僕もそう思った。彼との出会いは二年前の春、つまり僕が大学二年生の頃に遡る。
僕は関西地方にある国立大学の、理学部物理学科に所属している。その春、必修講義『解析力学』の初回授業に、彼はいた。僕が席についてしばらくするとチャイムが鳴り、少ししてから、白髪まじりの初老の教授がドアを開けて入ってきた。その後ろについてきた男こそが、花石一石だ。
教授は教壇につくなり、
「ここは、解析力学の教室で合ってる?」
と前方に座る学生に質問した。学生はびくりとしてから、小さな声ではい、そうだと思いますと答えた。なんて頼りないのだろう。教授も学生も。
それから教授は自分の名を名乗ることなく
「ティーチングアシスタントの花石くんです」
と髭面の男を紹介した。教室の入り口付近、黒板の脇に立っていたその男はスタスタと教壇の方へと歩いていき、黒板に二つの名前を書いた。花石一石、それから近藤雄二。
「こんにちは、花石です。はないしはじめと読みます。最後の石はオマケです。藤岡弘てん、みたいなもんです。それからこっちの先生が近藤さん、この講義の担当教員です」
どうして、と僕は思った。どうして、自分の名前から書くのだろう。それに、先生をさんって呼ぶのだろうか。
後々、大学生活で知ったことが二つある。一つは物理の分野では教員か学生かに関係なく、誰に対してもさん付けで呼ぶ文化があるということだ。物理学の前では皆平等、先生も生徒もない、ということらしい。
それからもう一つは、この花石という男が、黒板の前に立つとき、もしくは自分の好きなことについて語るときには、決まって謙虚さというものを忘れてしまうということだ。普段はなよなよっとしているくせに、そういう時には誰でも、それが例えノーベル賞受賞者でも、自分の名前を先に書く。彼はそういう人間だった。
講義が終わり、僕がノートを片付けていると、黒板の脇に、何やら奇妙な動きをしている人間がいることをとらえた。もちろん、花石一石、その男だ。
彼はしきりに近藤先生(僕はいまだに先生のことをさん、と呼ぶのには抵抗がある)の下半身を眺めている。腕を目の前に伸ばして、何かを測っているみたいだ。
なんだろう。そもそも、この生物はなんなんだろう。僕は彼にすでに関心があった。最初の自己紹介の時から、どこかで惹かれていたのかもしれない。ドアに近付いた時、とっさに、話しかけてしまった。
「なにしてるんですか」
彼は何やら計算用紙に数字を書き込んでから、僕を見た。そして、
「近藤さんのシャツを測ってる」
短くそう答えた。
はあ、声ともつかない声が出る。シャツを測っている?なんだろう。この生物は、本当になんなんだろう。
「シャツ、ですか」
「そうそう、シャツ。近藤さんのシャツって講義をしているとだんだん出てくるんだよね」
見ると確かに、ジャケットの内側で先生のシャツはスラックスからはみ出していた。
「講義の初めはちゃんとズボンに入ってるのに。時間と共に出てきちゃう。近藤さん、ズボンでチョークの粉を拭くクセがあるからだと思うんだけど」
彼はまた、さっきと同じ腕を伸ばす動作をして、もう一度ノートに数字を書き足した。
「それが、どうしたんですか」
何とか僕は質問する。
「うん、それをね、数式にできないかなと思ってさ」
はあ。僕はまた、小さく返事をした。すでに話しかけてしまったことを少し後悔している。
「それで」
彼は続ける。今はもう、ノートを閉じて僕の方をまっすぐに見ている。
「それで、時間と共にシャツがどのくらいはみ出しているか、測ってたんだ。講義中もずっと。五分おきに。講義が九十分だから、ゼロ分から、ちょうど十九回。講義は大体の場合延長されるから、アディショナルタイムを含めて、計測値はちょうど二十個になる」
彼は僕をまっすぐに見ている。僕は先生のシャツに目をやってから、そうなんですか、と呟いて教室を出た。それが僕と花石先輩の出会いである。
それから毎週、『解析力学』の講義で彼と話すことになった。なってしまったという方が正しいかもしれない。彼は毎回、講義の後に僕の方に来て、計測結果を見せてくる。ノートにはその回の数値と、前回までの数値をグラフ化したものが示されていて、多少のズレはあるものの、同じような曲線を描いていた。
しかしある回で、彼は決定的な発見をしてしまう。
それは前期の講義が半分くらい終わった頃のことだった。毎度の如く、講義の後に花石先輩がこちらにやってきたのだが、いつもと少し様子が違う。
「僕のこの研究は、ある発見をして、そして終わってしまうかもしれない」
開口一番、そう言い放った彼の顔は、嬉しそうというよりは、何だか清々しいようだった。
「何があったんですか」
僕は少し驚いてから質問した。その頃にはすでに、僕はその研究のちょっとした読者になっていた。何だかそれは週刊少年誌に載っているあまり興味のないマンガみたいで、初めは雑誌を買っている手前もったいないから読んでいたのだが、今では一応読まずにはおられなくなっている。
「気がつかなかったの?」
彼は僕の数倍驚いた表情を浮かべた。それから彼は続ける。
「近藤さん、今日はシャツが出ていない」
僕は教壇で、本や提出されたレポートを片付けている先生の方を見た。確かに。シャツは全く出ていない。それに、
「あ、」
「気がついたみたいだね」
そう。先生はジャケットを着ていなかった。
「ジャケット」
僕がそう呟くと、花石先輩はにやりと笑って、
「おそらく、ジャケットが擦れることで、持ち上がったシャツにとっての抵抗になっていたんだと思う」
なるほど、僕は呟いた。
「じゃあ、先輩の観察はどうなるんですか」
「おそらく、今回で終わると思う。さすがに、一定値を眺めていても面白くないし」
興味のなかったマンガでも、急に打ち切りが発表されるとどこか寂しい。そうですか、と口をついて出た言葉が、初夏に鳴き出したセミの合唱にかき消された。
二
僕は列車のボックスシートに座っていた。シートの対角には毛髪と顎髭がちょうど同じくらいの、花石一石が座っている。
彼は何か本を読んでいた。黄色い表紙に、馬のマークがついている洋書だ。表紙の題名はよく見えない。
僕が見るともなく彼を見ていると、彼は僕の手元のタブレットをみた。そこにはこれから向かう地域の観光マップが表示されている。
「ねえ、チャンドラセカールって知ってる?」
彼は唐突に口を開いた。車内に乗客は少ない。話している人もおらず、その声は何だか妙に響く。
「ちゃんどら?なんですか?」
「チャンドラセカール。白色矮星におけるチャンドラセカール限界の、チャンドラセカール」
「いえ、知りません」
僕ははっきりと言った。最近気がついたことだが、この男、花石一石には、はっきりと、キッパリと物事を伝える方が良い。なぜなら、相手がどう伝えたかというのは、彼にとってはどうでもいいことだからだ。彼は伝え方に全く興味を示さなかった。彼にとって、情報の本質とは、howではなくて、whatなのだろう。
であるならば、こちらが気持ちの良い方を選ぶべきだ。わからないことに恥じる必要はない。というか、恥じていることを表現する必要はない。わからないことはわからないと言えばいい。ちなみに、興味がないことを興味がないと言っても、彼は構わず話し続けるのだが。
「チャンドラセカールが、チャンドラセカール限界を発見したのは彼がまだ二十歳の頃だったらしい。インド生まれの彼はケンブリッジ大学に留学するときに、船の中でその美しい発見をした。ちょうど天体物理学と、原子核物理学を同時に考えていたときらしい」
へえ、と僕は気の抜けた相槌を打つ。
「僕が言いたいのは」
彼は続ける。
「僕が言いたいのは、ふとした拍子、例えば移動中なんかの方が、実は計算が進んだり、新しい発見をしたりするかもしれないということだ」
僕は少し考えてから、この周りくどい話が僕に向けられた説教なのだと気がつく。昔母親に、あそこのおうちの〇〇ちゃんは偉いのに、あなたはどうしてそうなの、みたいなことを言われたことがあるが、目の前のこの男は、僕と誰を比べているのだろう。というか、説教の引用にしては、情報量が多すぎる。
「それで彼の発見というのは」
顎髭にギリギリ隠れないでいる口元が、さらに何かを続けようとしている。さすがに僕は口を開いた。はっきり、キッパリと。
「もう大丈夫です」
そうか、と彼は我に帰ったように少し目を伏せた。それからまた黄色い本に目を落とし、一言だけ呟く。
「チャンドラセカールは、その後、他の研究でノーベル賞をとっている」
話を途中で遮られた彼の最後の抵抗なのだろう。僕はノーベル賞受賞者と比べられていたのだ。はあ、と自然、ため息が出た。
どうしてこの奇妙な人間と列車に乗っているかというと、始まりはやはり、この奇妙な人間の奇妙、というかよくわからない“誘い”からだった。
「夏の淡水魚が食べたい」
やっとテストが終わって夏休みに入った頃、彼が僕にこう言った。夏の淡水魚、それが何を指すのか、僕にはよくわからない。それにおそらく、彼にもわからないのではないか。春夏秋冬と、海水と淡水。組み合わせは八種類しかない。分類があまりにもざっくりとしすぎている。
しかし僕はもう、彼との付き合い方を心得ている。つまり、それはどういう意味ですか、などという質問はしない。だって、もしそう聞いたとしたら、長ったらしい説明が返ってくるか、または、わからない、という五文字しか帰ってこないかのどちらかだからだ。いずれの場合にも、僕は満足できない。
では付き合わなければいいと思うかもしれない。いやもちろん、僕もそう思った。というか、今でも常にそう思い続けている。まるでジャケットを着ていない近藤さんのシャツみたいに、ずっと同じトーンで、そう思い続けている。
けれどどうしてか、僕は多くの時間を彼と共に過ごしていた。学生時代は何かをやり遂げるには短いが、何もしないにはあまりに長い。僕はこのだらだらと続く人生のモラトリアムの、使い道をわかっていなかった。それに心のどこかで、花石先輩といることが、そんなに大きな間違いではないように感じていた。
そういえば、彼はどうしてか、異性によくモテた。全然理由はわからないが、彼が異性に不自由しているところを見たことがない。どころか、ときにはくる方が多すぎて困っていたほどだ。しかも目にした女性は大体が美人で、その事実はどんな物理法則より、テスト問題より難解だった。唯一僕が知っている観測事実は、彼の見た目が決して評価されるようなものではないということだけだ。
その事実と、僕が彼と時間を共にすることが関係しているのかいないのか、僕にはよくわからない。もちろん言うまでもないが彼は恋愛対象ではない。であるはずがない。例え僕が同性を好きになるとしても、彼はありえない。目の前のこの人間は、地球上で恋愛対象ランキング、七十億位の人間なのだ。
「夏の淡水魚が食べたい」
彼はもう一度、僕にそう言った。まさに生を謳歌しているセミたちに自身の発言がかき消されたと思ったのかもしれない。
「いいですよ」
そう答えた。答えてから、ちょっとおかしいと思った。いいですよというのは、何がいいのだろう。彼が夏の淡水魚を食べることは、僕の許可を必要とするようなことではない。かといって、僕も食べますよ、という意味だとすればそれはいいですよ、という言葉では不十分すぎるのだ。いやそもそも考えてみれば、彼の、
「夏の淡水魚が食べたい」
という発言の方がおかしい。だから何なんだ。勝手にすればいい。勝手に夏でも冬でも、淡水でも海水でも、食べればいいのだ。
しかし結局、僕は彼と列車に乗っている。彼と共に、夏の淡水魚がいるところまで。不思議だ。何とも不思議だ。僕の夏休みは、花火でもビーチでも夜店でもなく、淡水魚とけむくじゃらの若おじさんで占められている。
しかし、不思議なことはそれだけではなかった。つまり、彼が目指したのは湖だったということだ。僕はてっきり、川だと思っていた。さらにいえば、淡水魚に会いに行くのではなく、淡水魚が連れてこられる、大学の近場のお店に行くのだとばかり思っていた。けれど、何度も言うが僕は今列車に乗って、湖に向かっている。淡水魚はやってこなかったし、僕は川に向かっていなかった。
僕は車窓を眺めた。山肌に沿って作られた線路は、当然ながら自然の形状に沿って蛇行しており、もちろん、列車もそれに従っている。線路と山肌の間隔は、ほとんど一定で、多少木々の生え方が異なったとしても、それはあくまでゆらぎの範囲で、窓からの景色はほとんど変わらなかった。
それから僕は、ふと気になって、質問した。
「そういえば、スカート、どうなったんですか?」
「スカート?」
「スカートの三角関数」
スカートの三角関数。そう言ってから何だかちょっと、すごい関数みたいだと思った。スカートという科学者が発見した、すごい関数。
「ああ、あれね。それがどうしたの?」
「mってなんですか?」
彼はちょっと困ってから、ニヤリと笑って、わからないと答えた。また彼の声が妙に響く。
「そうですか。しかし、よくそんなくだらないことばかり思いつきますね」
「くだらないこと?」
「スカートのラグランジアンとか」
「ああ」
そういうと、彼は本を閉じた。黄色い本の表紙には、”An Introduction to the Mathematical Theory of the Navier-Stokes Equations”と書かれている。
「動学的最適化理論というのを聞いたことがある?」
「いいえ」
「経済学の一分野なんだけど、ラグランジアンが出てくる」
「へえ」
「そもそもオイラーラグランジュ方程式は、最小作用の原理の読みかえと考えることができて、これはもっと一般的にいうと最適化問題というものの一部と考えられる」
「ほう」
「この最適化問題ってのは、数学を使うような学問では本質的に、ありとあらゆるところで似たような概念が出現する」
「それで」
「つまり、この世界は、何かの目的を最適化するように動く、もしくは、そのようにしか動かないと考えることができるわけ」
「なるほど。この世界は最適化でできていると」
「そういうこと。でも大事なことはそこじゃない」
そうなんですか、と返事をするとき、僕は自分がちょっとだけ前のめりになっていることに気がつく。
「大事なのは、この世界が何を最適化しようとしているか、ということなんだ」
「何を最適化しようとしているか」
「物理の言葉で言えば、ラグランジアンは何なのか、ということに近いのだけれど」
「なるほど」
だから、と彼は少し深く息を吸って続ける。
「だから、むしろ重要なことは、問題を解くことではなく、問題自体をどう設定するか、ということなんだ。その一例として、例えばスカートがある」
「スカートがある」
僕は彼の言葉を復唱した。驚いたからだ。論理が山肌のグネグネとした道を通ってたかと思えば、急に平地に出たみたいな、拍子抜けした気分だった。
「そう、スカートがある。僕はスカートの揺れ方という最適化問題を“発見”したんだよ」
何かが腑に落ちたような、全然答えになっていないような、不思議な感覚に囚われた。
少しして、僕らを乗せた列車は本当に山肌を出て、平地の乗換駅へとついた。
三
乗換駅から、路線は南東と南西、二つの方向に伸びている。ちょうど縦に楕円形になっている大きな湖の北から東方向と、北から西方向に、湖を囲う形で、単線が伸びていた。
僕らが降りたホームには人がまばらで、乗換先の単線の方は、さらに人数が少なかった。さっきまで八両あった列車と違い、単線の方は二両編成となっており、乗客数にちゃんと比例しているように見えた。
乗継には待ち時間が二時間もあった。僕らはホームから伸びる階段を一旦上がり、改札に設置されている自販機で飲み物を買うことにした。自販機は改札の外にあったため、どうするか迷ったが、そこは先輩。駅員さんに向かって一言、
「改札そとの自販機に用事があるんですが」
すると駅員さんも慣れているようで、こちらを見ることなく
「どうぞ」
と改札の一番右側、つまり駅員窓口に一番近い改札機を示した。どうぞ、という短い言葉のイントネーションが、僕らが遠い地に訪れていることを初めて如実に感じさせた。
思い出すと、この感覚は大学に入学した頃によく感じたものだった。僕は出身が関東のある県であり、本当は首都圏の国立大学か、または有名私立大学に進学を希望していた。僕らの頃はまだ、共通テストがセンター試験と呼ばれていた頃で、マークシートでの回答の自己採点によって、最終的に受験する大学を決定するのだが、これは二つの意味で難しい。
一つは、得られる情報があくまで、“自己採点”であるという点だ。試験中に、自分のマークした回答を配布される問題用紙へ転写し、それを持ち帰って自己採点するのだが、例えばもし、マークの方が一行ずつ、ずれてしまっていたら自己採点の点数は何の意味もなさない。
さらに加えて、多くの大学で傾斜配点と呼ばれる制度が取られていた。これは例えば理系大学のある学部は、センター試験では五科目の受験を必要とするくせに、最終的な合否判定には文系科目は加味しない、つまり文系科目の傾斜配点がゼロになる、というようなものだ。もちろん大多数の大学が、割合での傾斜はあるものの、受験した科目のうちいずれかの傾斜をゼロにするような、極端なことはしていなかった。
僕が結局、関西の国立大学理学部に進学したのは、二つ目にあげた難しさが理由として大きかった。平たくいうと、センター試験で僕は、国語科目のマークをミスしたのだ。したのだ、という断定はできないが、おそらく、ある設問のマークを飛ばしてしまったと記憶している。つまりそれは、それ以降の問題は、完全にランダムに正否が決まってしまっているということを示していた。飛ばしてしまった設問は前半部分にあり、例えそれまでの全ての問題に正解しておりなおかつ、後半の問題と僕の回答が、四択のランダムの期待値、つまり二十五パーセント正解していたとしても、それは目標点には遠く及ばない。
それから僕は、センター試験の国語科目の傾斜配点が低い大学、学部を探した。そして見つけたのだ。その学部こそ、今僕がかあよっている理学部物理学科である。
そういうわけで僕は、センター試験というややこしい受験システムのために全く見知らぬ関西の地に住むことになったのだが、初めのことは、そもキツい表現やイントネーションに辟易することが多かった。当然だが、うちの大学への進学者の半分以上は関西圏から学生で、その多くが大阪京都兵庫といった、いわゆる“コテコテの関西”の人たちだったのだ。サークルの新入生勧誘や、学部の入学ガイダンス、フラッと入った飲食店に至るまで、そのキツい言語表現は、しっかりと僕の精神を磨耗させた。
しかし僕は、ある時から至極当たり前のことに気がついた。もちろん、非関西圏出身者だって一定数いる、ということだ。それも全然無視できない割合で存在している。それに気がついてからは、逆に関西の言語表現や関西人とのコミュニケーションが楽しくなった。これまで関西人、と一括りにしていた人種も、その言葉をよくよく聞いていると微妙な違いがたくさんある。例えば、関西人は「来ない」という言葉を「こーへん」と言うが、場所によってはこれが「こうへん」となったり、「けーへん」となったりする。一般教養で、『文化人類学』と言う全く興味のない講義をとったことを思い出し、(ああ、こういうことを言っていたのか)とちょっとだけ納得した。これは、関西人に対して僕が“異文化”である、と捉えていることの証左かもしれないが。
ちなみに、花石先輩も関東圏出身者である。彼がどうして関西の方に来たのか、僕はよく知らない。しかしおそらく、僕とは全然違う理由なのだろうなと思う。僕の理由が、消極的なものだとすれば、きっと彼の選択理由はもっと積極的なものなのだろうと思う。けれど、僕はそれを質問したことがないし、それに質問したいとも思わない。なぜなら、彼が質問に回答した後、全く同じ質問が帰ってくることが容易に予想できるからだ。僕が傾斜配点で、なんて言おうものなら、今度はどのノーベル賞受賞者と比べられるかわからないのだ。
改札を出るとすぐ正面に自販機があった。飲料のラインナップを見ると、何だか少しなつかしいように感じる。あれ、この飲み物家の周辺では見なくなったな、と言うようなジュースやコーヒーが並んでいる。
花石は自販機に三百円入れた。それから一番オーソドックスな缶コーヒーを買う。無糖ブラック。彼は酒付きの甘いもの嫌いという、典型的なおじさんの味覚をしていた。自販機で花石先輩がブラックコーヒー以外を買ったところを、僕は見たことがない。
「選んでいいよ」
彼はコーヒーを取り出しながら僕にそう言った。
ありがとうございます、といいながら僕は五百ミリリットル入りの炭酸飲料のボタンを押した。ガコン、と言う音を立てて飲料が落ちてくる。僕らはそれを持って、再度駅員さんに改札を通してもらった。
単線のホームに降りて、僕らはベンチに座った。彼はベンチに座る前、階段を下っている最中からもう缶コーヒーを開けていた。僕らはベンチに座り、それぞれ喉を潤しながら線路柵の向こうから見える駅前ローターリーを見た。初夏の太陽が降り注ぐそこには、何台かのタクシーと自家用車が止まっていて、また、バス停でバスを待つ人々が見える。さらにロータリーの先には道を挟んで、いくつかのこじんまりとした駅前ビルが並んでいて、いかにも地方都市、と言う景観であった。僕は駅前に線路と並行に走っている道路のまばらな往来を眺めていた。
「それで、単位は大丈夫なの?」
先輩は唐突に僕に尋ねた。
「多分、大丈夫だと思いです」
僕はまるでそれが人ごとのように答える。いつしかの教授と学生のやりとりのように、全く頼りない。
「そうか、単位一つで留年するなんて、大学も捨てたもんじゃないな」
先輩はすでに空になった缶コーヒーをベンチの傍に置いて、そう言った。
「むしろ、そのくらい見逃して欲しいところですけどね」
僕は勤めて冷静に、やはり人ごとのように答えた。
三年生から四年生への進級が認められないことがわかったのは、僕が一回目の三年生だった夏のことだ。ある実験の必修レポートを提出しなかったのだ。僕らの学科では、実験に出席していても、最終レポートを提出しなければ単位は認められない。逆に、提出さえすれば多少内容に欠陥があっても単位自体は認められる。
僕はそのレポートの提出期限を完全に忘れていて、それに気がついたのはずいぶん経ってからだった。だから気がついたとき、僕の留年は、僕の知らないところであまりにも自然に決まっていた。そりゃ、人ごとにもなるわけだ。
「単位取得の可否がはっきりしているということは、学位がちゃんとしたものであるための必要条件だからね」
先輩はそう言いながら、目線をホームに向け、何かを探しているようだった。おそらく、空き缶をどこに捨てれば良いか、決めかねているのだろう。
「先輩はどうなんですか」
「え?」
「先輩は、研究室とか行かなくていいんですか?」
「ああ」
彼は気の抜けた返事をしてから立ち上がり、階段とは反対方向にあるゴミ箱に向かった。そこで空き缶を捨てまたベンチに座ってから、口を開いた。
「僕の場合、研究はどこでもできるからね」
「スカートの?」
「スカート?違う違う。修士論文研究だよ。理論物理は紙とペンと、それからパソコンがあれば、どこでもできる」
「なるほど」
確かに、彼は大学院の物理学専攻の、量子物理学研究室というところに所属していて、物質の理論物理学を研究していた。それは例えば、電気がどうやって物質中を流れるか、というような問題を量子力学と呼ばれる分野の手法で計算するというものだ、と僕は理解している。
「でも先輩、博士進学試験は大丈夫なんですか?」
僕がその質問をしたとき、彼は再び、ホームの遠くを見ている。また探し物だろうか。
「ああ、あんなのはあってないようなものだから」
「あってないようなもの」
「そうそう、あってないようなもの」
彼の返事が明らかにこちらに注意を払ったものではないことが、僕にはよくわかった。彼はどこか一点を見つめている。僕はそちらの方を見た。
そこには、僕らと同じくらいの年齢の女性が立っていた。傍にはスーツケースが見える。ノースリーブから伸びている腕は、細く、陽の日差しを全て反射するかと思うほど白かった。
僕の隣に座っている彼は、無意味にその場で立ち上がり、それから少ししてまた座った。彼も立ち上がってから、自分がなぜ立ち上がったのか、わからなくなったのだろう。しかし、正直なところ、僕には彼のその行動が、理解できるような気がした。何もできないが何かしてみたい、向こうに立っているその女の子は、そう思わせるには十分な美しさを持っていた。
「旅行かな?」
座ってから、彼はそう呟いた。
「どうでしょうね」
僕も彼も、まだその女の子を見ている。
「夏の淡水魚かな」
彼はまた呟いた。
「多分、夏の淡水魚ではないんじゃないかな」
僕も呟いた。飲みかけの炭酸飲料のペットボトルが、パチン、と小さく音を立てた。
四
僕らの乗り込んだ単線は、湖を縁取るように走った。日に照らされた湖面は、キラキラと光っている。遠くに対岸が見える。向こう側に立ち並ぶ家々や桟橋、街の子細が、まるでミニチュアのように小さく見えた。
(続く)
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