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あいにくジャスコに思い入れがない

【トップ画像はイオンモール銚子】
先週、茨城県下妻市のイオンでこのようなイベントがあった。映画公開20周年記念という事でそれに関連してのものだった。

これに関連して、X等のSNSでよく行ってたジャスコの思い出等を書き込みがちらほら見られたが、私はというとあいにくジャスコに対してそんなに思い入れがない。

理由は簡単で生まれ育った千葉県香取市佐原地区には進出していなかった。いや正確に言えば前身であった千葉の扇屋という店が1965年に進出し、1976年頃ジャスコ傘下に入って扇屋ジャスコとなったが、翌年くらいには既に閉店していた。ただ、扇屋ジャスコと言っても、当時あったのは衣料品のみ扱うほんの小さなものだった。

その後成田に進出した時は先を越されたと思いつつもわざわざ地元から電車で行ってたのもそこそこいて、冬季は屋上にあったスケートリンクに行ったというのもよく聞いてた。

さて、そんなジャスコは1981年頃佐原に再進出をしようとして市に申請した。地元民は歓迎したものの、この当時の大店法はとにかく既存業者や地元の商店街も守る目的が第一とあったため、協議しようとしても当時の商店主達から猛反発を喰らい、5年経っても話が全く進まない状態が続いていた。

扇屋ジャスコが出店しようとした場所

結局、1990年くらいに地元主導で代わりのSCを作る事で進出を撤回させ、ジャスコの進出は無くなったが、今度は地元が造ろうとしたSCの計画が発表された時、地元民から反発を喰らった。場所は本宿耕地(現在道の駅がある場所のすぐ南)だった。

ジャスコ進出撤回後、地元主導で建設しようとした場所

この場所は田んぼが拡がり且つ農業振興地域の指定を受けていたため、解除には農業関係者からの反発があった事や、これならジャスコを受け入れた方が良かったという事だったのだろう。結局この計画は対岸の茨城県稲敷市に移り、ユニーを核としたパルナショッピングセンターがその後オープンした。

パルナ

ちなみに、当初ジャスコとして進出する予定で取得していた土地は地元に譲渡され、そこには1996年に地場のスーパー等を核としたショッピングモールサワラシティがオープンしている。現在に至るまで佐原地区で唯一の郊外型ショッピングセンターだが、店舗面積はあまり大きくなく、むしろ1980年代に建設されたようなタイプのものと考えて良い。

ショッピングモールサワラシティ

じゃあ今後、イオン等大手スーパーの進出はあるのか?と言われると、正直難しいと思う。下2枚の写真を比べてほしい。

1970年頃の佐原の航空写真(国土地理院のサイトから引用)
現在の航空写真。50年の歴史があるのに黄色で囲った部分以外市街地があまり拡がっていない

50年前と今とで、市街地があまり拡がっていない。流石に50年前は駅のすぐ裏に港があって、その周辺があまり開発されて無かったので全く拡がってないという訳ではないが、他の地域からすれば市街地化がほとんど無いのである。

これはなぜか?田畑を潰して商業施設とか建てるという他の地域では普通にあるこの発想が通じなかったからだと思われる。かつて農民と商人の仲がものすごく悪く、大した争点が無いのに市長選が激しく盛り上がっていた。

このためもあってか旧佐原市時代の大型開発は悉く失敗し、上手くいったのは数えるほどしか無かった。そんな状態だからか耕してる土地を売る事に激しく抵抗する事が多かった。最もこの辺りは関東有数の米どころだったので、そうやって質を守ってきたというのも一理あるが。

そんな事もあって、今後もイオンモール並みの大きなショップセンターの進出は難しいと思われる。そもそも駐車場を広く取るような店もほとんど無く、田舎という割にロードサイド店は少ない。その証拠に家電量販店や回転寿司店など、業種として全く無い所も珍しくない。

かつて佐原はチェーン店が長続きしない傾向が強かったのだが、現在でも一部にその傾向があるのかもしれない。

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