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デザイナーとアーティスト(芸術家)の違いとは?

こんにちは。PRISM DESIGNの小林です。
広島県福山市でインテリアデザインを中心とした仕事や
古式焙煎機を引き継ぎ、BATONという自家焙煎カフェをやっています。

最近お客様と話す機会があった話題で、意外と知られていないことだったので。
デザインの仕事を進めるうえで、
必ず誰しもが向き合うことになるアート(芸術)との違い。

そもそも、デザインって?

傍目からすると、芸術的センスがいいなどと言われる事が多いのがこの職業。

ただ、僕たち商業デザインを仕事にしている者からすると
デザインと芸術の違いは大きく、確かにどちらも表現であることには変わりないのですが、デザインはあくまでクライアントや目の前の問題解決のための企画作業です。

例えば、店舗を取り巻く商業デザインであれば、雰囲気を良くして客単価を上げたいからインテリアデザインを、視認性や広告性能を強くしたい、またスムーズな動線計画が必要だからサイン計画を、売れる商品を作りたいからパッケージデザインをといった要望に基づいて。住宅などでも今の間取りが狭くなってとか、もっと今の生活を豊かにという感じで、基本的には現状に対する問題を解決するためにデザインの力を利用して問題を解決していくわけです。

様々な事例の中から、選択し結び直して答えを出すことがデザインの目的だとも言えます。

芸術はというと、最近の言い方であれば問題をつくること。
問題がないところに問いを作って自分なりのアプローチをするような形です。
例えば、アーティスト(芸術家)はまず作品を作って、評価をされる流れになります。作家さんによっては評価自体求めていないという部分はありますが、そこはひとまず置いておきます。世の中に求められているものをつくるというよりは、基本的には自己表現型であることも多い。
この求められていないけど、表現するというのがとても重要だったりします。

アートとはなにか?

私はアートの主な役割性は
「既存の価値観の拡張やアップデート」だと思っています。

クロード・モネが代表的な印象派は、それまでの題材だった宗教画などの精細な描画を、一瞬の光の表現を大胆な色彩と筆使いで描くとことにより、観賞距離も含めて(物理的に距離をおいてみることで、光や形、色が融合して全体を捉える事ができる)絵画の見方を大きく変えたはずだし、あれだけ正確な写実表現が出来るピカソが取り組んだキュビズムは平面に対しての立体手法の試行錯誤のあとです。

マルセル・デュシャンは日常品をアート作品として展示する「レディ・メイド」という概念を説き、代表作「泉」は、便器をアートとして認識させました。

これに近いものが、日本では茶道の千利休の作らせた楽茶碗。それまで唐物と言われる中国から高貴で繊細な器で行われていた茶事に、真黒な手捻りの質素な楽茶碗を持ち込み、これがかっこいいんだという概念を浸透させました。
いままでに無かった考えを一般に浸透させる。まさに、これこそがアートだと思います。最近であれば、チームラボの観客も巻き込んだデジタルアート空間や、NFTを絡めた建築プロジェクトなどもとても芸術的な切り口です。
たとえば「レディ・メイド」や茶道で、芸術が意識を拡張した見立てという考えは、店舗デザイン分野において、別のものと置き換えて表現する「モチーフ」となって実社会に落とし込まれています。


センスとは?

センスがいい。
生まれながらのポテンシャルのように扱われる”センス”ですが
この言葉の正体ってなんなんだろうと私なりに
考えてみたのですが、これは単純に
「ある事象に対して、経験に基づいた自分なりの確度の高い判断基準を持っている」
ということなのではないかなと思います。

プロフェッショナルと呼ばれる人たちは、どの業界の方でも専門的知識とその経験に基づいて問題解決をしているわけで、その判断出来る基準が広範囲であり、多ければ多いほど、有能な人という評価を受けます。

これはデザインにおいても同様で、美しいとされるレイアウトや見せ方は
ある程度、体系化されていて、そこには感覚的なものはほとんど介在しません。
先人たちの作ってくれた理論と自らの試行錯誤の経験のもと、
判断出来る範囲とスピードが上がっていくのだと思います。
スポーツ選手のように先天的なポテンシャルとしてセンスを使う場合もありますが
こちらは本来の意味としてはギフトを指す場合が多い。のみこみが早い場合に使われるセンスがあるなどの言葉は、教わったことを自分なりに体系立てて、ロジックを形成している場合がほとんどです。

センスは後天的に身につくものだとすると、センスを磨くというのは
判断基準をつくるために、多くの情報に触れてるということなのだと思います。
そして仮説、検証、改善、これを繰り返した結果、確率の高い答えを出せる。
これこそがセンスの正体なのだと思います。

経験上、そういった方々は数多くの経験と相応の学習や努力をされたうえで、
自分なりの判断基準を持たれている事がほどんどです。
であれば、センスや直感などは、一朝一夕に身につくものではなく、絶え間ない努力と経験の積み重ねによって養われるものとも言えます。
日々の学びと挑戦が、確かな判断基準とともに私たちの”センス”を形成していくのではないかと思うのです。

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