見出し画像

#06 闇バス、チベット行き  @中国・青海省ゴルムド~ラサ

24時間 荒野のバス移動 敦煌~ゴルムド

2000年10月21日朝6時。一昨日の夜に西安から敦煌に向かう夜行列車に乗って丸一日が過ぎていた。目を覚ますとまだ外は真っ暗。国内でも時差のあるアメリカなどと違い、中国は国土が広いのに時間が統一されている。東端の上海ならとっくに明るくなっている時刻でも、西側はまだ夜。暗闇をひた走る列車の左の窓からオリオン座、右の窓からはカシオペアと北斗七星がはっきりと見えた。シルクロードのオアシス都市、敦煌で2泊して、石窟寺院で有名な莫高窟と砂丘の美しい鳴沙山を訪問した。

敦煌を出発する朝は冷え込みが厳しく、部屋の窓から外を見ると、横殴りの吹雪が降っていた。8時発のバスでチベットへの陸路の玄関口、ゴルムドに向かった。2時間走ると雪は止んで青空が広がり、見渡す限りの沙漠を走っていた。日本では決して見ることができない荒涼とした荒野。緑色の植物は生えない色褪せた世界。遠くには雪山が連なり、真っ直ぐな一本道が果てしなく地平線まで続く。

3分の2の行程まで快調に飛ばしていたが、荒野のど真ん中で突然のエンジントラブル発生!バスは二度と動かなくなった。強制的に留まることを余儀なくされると、景色を楽しむ心の余裕など無くなった。外に出れば風は冷たく寒いし、いつ出発するかも分からないので全く落ち着かない。

画像1

どれくらい待っただろうか。物音の無い静かな世界に、遠方から車のエンジン音が響いてきた。やっと通りかかった最初の車は人民解放軍のジープで、バスを寂れた町の修理工場まで引っ張ってくれた。しかし、何時間経ってもバスが直る気配はなかった。

一緒にバスに乗っていたインド人学生、ビピンとヒッチハイクを試みたが、実際のところ車はほとんど通らないのだ。ビピンは、ラサで大学の同級生との待ち合わせに遅れたくないと焦っていた。インド人といってもカルフォルニア在住であか抜けている。インドの村でフィールドワークをするのが目的だが、旅もしたいので遠回りして中国経由でインドに向かう途中なのだ。

先を急ぎたい彼は商店で電話を借りてタクシーを呼ぼうとしたが、今日は無いとの返事。商店内でたむろしていた現地の男達が煙草を勧めてきた。中国での社交辞令なので取り敢えず受け取ったが、中国煙草はニコチンがきつい。こんな何も無い町では、毎日何事も無く1日が過ぎていくのだろう。僕等が来る前から、そして僕等が立ち去った後も・・・。

不幸中の幸いというべきか、寝台バスだったので車に戻って寝ることにした。暖房が効かないので車内なのに酷く寒かった。

深夜3時頃、エンジンをふかす音で目が覚め、車内が色めき立った。バスが直ったのではなく、敦煌を夜に出発した次の便が来たのだ。僕等は慌ててバスを乗り換えることになった。外に出ると星が夜空を埋め尽くし、天の川も濃くはっきりと見えた。今度のバスは快走して、翌朝ゴルムドに到着。10時間の予定が24時間近くもかかる大移動となった。

ゴルムドで闇バスを探す

青海省のチベット高原にある街ゴルムドは標高2800mの高地。少し早く歩いたり、階段を登っただけで息が切れてしまう。鉱山開発で発展した街で、計画的で太い直線道路が街を区切っており、街としての魅力が全く無かった。

宿探しには苦労した。理由があって非政府系の宿に泊まりたかったのだが、どこも外国人お断りと言われてしまい、やめておけと旅人から厳命されていた政府系旅館に部屋を取った。旅の疲れを癒すべく、風呂に入ろうと思ったが、驚くことに旅館にはシャワーも無かった。

朝食を簡単に済ませて市場の古着屋に行き、チベットに向けて防寒具を買い揃えた。人民解放軍の払い下げジャンパー700円、モモヒキ180円、手袋30円。

昼間は日差しが強くて暖かいが夜は冷え込む。唯一の楽しみは食べることくらい。テーブルとイスがあるだけの質素な食堂が出す肉まんや惣菜が美味くて通った。夜になれば、寂しい街角にも羊串焼き屋台が出る。日本の焼き鳥屋台みたいでそそられるのだが一度入ったら最後、他の客から酒飲め、酒飲めと煽られそうなので入らずじまい。

外国人がチベットに行くには、一万円以上する入域許可証が必要である。できるならそれを払いたくない貧乏旅行の旅人たちを手引きする通称“闇バス”が存在するという話を聞いていた。闇バス業者はバスターミナルをうろついていると声を掛けてくるらしい。ゴルムドに着いたら日本人を探して情報を手に入れるつもりだったのに全然出会わなかった。冬が近づき、このルートを通る旅人も少なくなっているのだろう。唯一同じホテルにいた日本人氷川くんと一緒にバスターミナルに行き、うろうろ歩き回ったのだが、誰も声を掛けて来ない。楽しいことがないこの町をさっさと後にしたいのだが・・・。

正規に行くより仕方が無いかと諦めかけていたとき、インターネットカフェに行くと一通のeメールが届いていた。新鑑真号で一緒だったけんごくんが、闇バスについて詳しい人と明日到着するというではないか。失いかけた希望に再び光が差し込んだ。

翌日7時に起きて、氷川くんとビピンの3人でバスターミナルに向かった。そして、けんごくん、新鑑真号で一緒だった臼井くんと闇バスの事情通、計3人の日本人を発見。再会の喜びと期待で思わず抱き合った。彼等は非政府系の宿にチェックイン。早速彼らの部屋で作戦会議。手分けをして闇バス業者を探して、11時に再び集合という段取りになった。

氷川くんと3つあるバスターミナルの1つへ向かった。来るのは初めてだったこのバスターミナルに到着すると、すぐに通りの向こうから白いイスラム帽子をかぶった太っちょの男が歩み寄り、「ラサ?」と声を掛けてきた!ドキドキする心を隠しながら「イエス!」と答えた。そして、小さな旅館のロビーに連れて行かれて交渉が開始。言葉が通じないので大変だったが、正規料金の半額で交渉成立。しかし、いきなり今日出発だと言う。みんなと合流して結果を報告し合ったが、業者を見つけた僕らだけが先にチベットへ向かうことになった。

三重苦の31時間耐久バス旅 ゴルムド~ラサ

僕らが泊まっている政府系の宿は、客の動向をチェックしているという話なので、わざわざチェックアウトのときフロントマンに向かって、「別の町に向かうよ」と断りを入れて煙に巻いた、つもり。

午後2時。荷物を背負って、男と交渉した旅館へと戻ってきた。すぐに出発すると言われたが、旅館の一室で退屈なテレビ番組を見ながら待たされた。ゴルムドからラサの間にはチェックポイントが2つあるそうだが、どうやって通過するのだろう。不安は尽きない。

1時間後、突然ドアが開いて、早く下に来いと急かされた。外に出ると赤い乗用車が二台、僕らを待っていた。慌てて2人ずつに別れて後部座席に乗り込む。再び僕はビピンと一緒になった。

スピードを出して走る車の中、助手席の男が僕らに振り返り、眼鏡を取ってイスラムの白い帽子を被れと要請した。イスラム教徒に変装してチェックポイントを通り抜けるようだ。運転手は黒いサングラスをかけた女性である。まるでタランティーノのアクション映画の登場人物になったような状況が目の前で展開して、緊張感と可笑しさが同時にこみ上げてきた。しかし眼鏡が無いと周りの様子が分からず不安が募った。

しばらく走っていると前方に氷川くん達が乗った車が、路肩に止まっていた。なぜだろう?スピードを下げたので、僕らも止まるのかと思ったら逆に急に女性運転手はアクセルをベタ踏みして猛スピードで爆走を始めた。何事かと驚いたら、前方にいた白いマイクロバスがUターンしてこっちに向かってくるではないか。制止できないスピードですれ違い、チェックポイントを通過したのだった。そして、しばらく走り、荒野にぽつんと立つ小さなガスソリンスタンドに到着した。

物音一つしない静かなガソリンスタンドの事務所。タランティーノの次は、映画「バグダッドカフェ」を彷彿させる情景である。テーマ・ソングの「Calling you」が勝手に脳内で鳴り始めた。言葉の通じない従業員と3人で、じっと氷川くんたちを待った。ずっと待ったが、彼らを乗せた車はついにやってこなかった。青年は両手首をくっ付ける身振りで彼等が捕まってしまったことを伝えた。自分達だけが成功したことを素直に喜べなかった。

30分後、チベットに向かう寝台バスが到着して、これに乗るように言われた。“闇バス”といっても専用の怪しいバスがあるわけではなく、チェックポイント通過を仲介する業者だったのだ。恐らく業者からバスの運転手に僕らの乗車代が渡されたのだろう。

しかしこの寝台バスが最悪だった。1番後ろの席なのでひどく揺れて、体がときどき宙に浮いて床に叩きつけられるので、とても寝られたものではない。しかも乗客がギュウギュウに詰め込まれており、隣のチベット人男性と体が密着。隣の男だけでなくチベット人の乗客全員の体臭が強烈だった。彼等は一生に二度しか体を洗わないという。曰く、生まれたときと死んだとき。つまり風呂に入る習慣は無いのだが、服を洗う習慣も無さそうにみえた。獣のような臭いが車内に充満していてまるで食欲が沸かない。

このチベットへの道は5000mの峠を越える。バスが山道を進み、高度が上げるにつれて、頭が痛くなってきた。揺れ、臭い、高山病の三重苦。逃れる場所はないので精神力の勝負、気合だけが頼りだ。しかし、ひどく疲れていつの間に昏睡状態に陥っていた。

翌日の休憩時間に、辺りに何もないところにポツンと佇む食堂で食べた昼ご飯がまた最低だった。傍を流れる川から水を汲んできたのだろう。頼んだ野菜スープの鉢の底には砂利が溜まっていた。味も変だったが文句を言えない。他に食べるものは無いのだ。

この日、ついに警察の検問があった。チベット人、中国人は皆バスを降りて身分証を見せている。僕等は緊張しながら、どうすることもできずそのまま席に居座り、ビピンは隠れたつもりなのか、毛布に潜り込んだ。無表情の警察官が乗り込んできた。許可証の提示を求められたらどうしよう。ビピンがパスポートを見せると、僕のパスポートは確認せずに警察官はバスを降りた。助かった。

それ以降、バスが止まる度にビピンは「ポリス?!」と目をギョロッとさせて小さく叫び、動揺するようになった。僕はもう捕まるときは捕まるよと半ば諦めていた。とにかくバスが臭いし、揺れるし、頭が痛いので早くラサに着いてくれることだけを願っていた。

15時頃、道路工事にぶつかった。迂回する砂利道で3回もぬかるみにはまって動けなくなった。その度にぬかるみにみんなで石を投げ込み、綱引きのように乗客全員でバスを引っ張り、1時間半後に脱出。しかし、その後すぐに再び検問。今度は銃を小脇に抱えた警察官が運転手と話をしている。もうこれまで万事休すか、と観念したら警察官はバスの中に入ってこなかった。

峠道に外灯がある訳もなく真っ暗闇の中、未舗装の悪路をバスが走っていると、突然、破裂音とともにタイヤがパンク!しかしもう何が起きても驚かないくらいに疲労困憊していた。修理が終ると、再び走り始めた。

バスは荒野を抜け、峠を越えて22時、ついに舗装道路が敷かれた街に入った。人が住んでいる場所に来ただけで何だか嬉しい。ラサ市街に入ったのか?地図で見る限り、道中は他に大きな街はないはずだが、ぬか喜びはできない。バスの窓から闇夜の中に白く浮かびあがるポタラ宮を見つけて、ラサにたどり着いたことを確認した。旅館に到着し、アナンドとビールで無事の到着を乾杯したのだった。

合計31時間のバス旅。ひどい場合70時間以上もかかるという悪路である。とにかく遠かった。もう二度とこのバスには乗りたくないので、次にチベットに行くなら絶対飛行機を使う。1万円そこらをケチるために、常に警戒して精神をすり減らす、若さ故の無謀な選択だった。

翌日、旅を始めてから初めての洗濯。午後に部屋のドアの外で日本人の声がした。もしやと思いドアを開けるとけんごくんたちが立っていて、また感動の再会!彼らは僕らの出発した夜に、闇バスならぬ闇タクシーに乗って来たのでとても快適だったそう。氷川くんと臼井くんも、次の日に再挑戦して無事到着。ビールで祝杯をあげたのだった。

気に入っていただけたらサポートもしていただけると、更新の励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。