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#57 ヨハネ・パウロ2世の歴史的訪問を目撃 @シリア・ダマスカス

2001年5月5日

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ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、反戦と平和を訴えて100カ国以上を公式訪問したので「空飛ぶ教皇」の異名を持つ。ユダヤ人、正教会やムスリムに対して反省と謝罪をして、和解を進めた教皇としてその名を歴史に刻んでいる。「伝道者パウロの足跡をたどる巡礼」と名付けられたギリシャ、シリア、マルタへの訪問はその歴史的な重要な最後の1ページだった。

十字軍による侵略や宗教裁判など過去の歴史から、正教会は反カトリックの姿勢を続けてきたが、ヨハネ・パウロ2世は東西教会が分裂して以来、900年以上の時を経て、5月4日に厳戒体制が敷かれる中、東方正教の国ギリシャの首都アテネを訪問。そして翌日、5月5日はムスリムの国シリアにローマ教皇が訪れた記念すべき日となった。たまたまその場に居合わせたので、歴史の目撃者となるべく、パレードを見物に夕方に旧市街へと向かった。 

街はいつもと変わらぬ様子に見えたが、パレードが通る「まっすぐの道」に着くと見物人でごった返し、警官たちが道の両側にズラッと並んで警備していた。撮影ポイントを探していると、留学生Aさんを見つけた。彼女は「まっすぐな道」沿いに住んでいるのだ。家の中から撮影させてもらいたかったが、聞いてみると警察に誰も入れるなと厳命されていた。仕方無く来た道を戻り、パレードの終点である聖マリア教会の近くで待つことにした。

すっかり日も暮れた19時半頃、警察に先導されながらヨハネ・パウロ二世が車に乗ってゆっくりとやってきた。口笛と歓声が観衆から湧き起こり、歴史的瞬間に立ち会っていることに興奮した。異なる宗教同士の和解という行為は、身内の保守派からは裏切りとみなされる可能性もあるし、恨みを持つ異教徒からすれば敵の来襲である。ヨハネ・パウロ二世は安全確保の為、防弾ガラスに覆われた乗り物の中から群衆に手を振っていた。

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屋外に設置された大きなスクリーンで教会内で行われる式典を見物した。ヨハネ・パウロ二世は首を斜めに傾けて、小さい体を椅子に沈めて座っていた。80歳とかなり高齢なので、起きているのか寝ているのかわからないくらい。迎えたギリシャ正教会の神父の演説の後、彼は手を振るわせながら原稿を持ち、不明瞭な言葉で演説をした。高齢による衰えは否めず、もう引退した方が良いように見えたが、教皇は死ぬまで交代できないらしい。1時間弱の儀式が終わると、教皇は元来た道を帰って行った。

翌日教皇はウマイヤドモスクを訪問し、イスラム教のモスクに入った初めてのローマ教皇となった。86歳のシリアのイスラム教最高指導者と面会してカトリックとイスラム教間の対話促進と関係改善を訴えたのだった。

インドでのダライ・ラマとの偶然の遭遇に次いで、またもや現代における世界の聖人と出くわす縁。旅とは不思議なものである。

(旅はつづく)

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