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偶然でも、運命でもない

プライムビデオで『君の膵臓をたべたい』を観て、その中で印象に残ったセリフがあった。

偶然じゃない。流されてもいない。私たちはみんな、自分で選んでここに来たの。君と私が同じクラスだったのも、あの日病院に行ったのも偶然じゃない。運命なんかでもない。君がしてきた選択と、私がしてきた選択が、私たちを逢わせたの。私たちは自分の意思で出逢ったんだよ。

昔からぼくもこれと同じような考えを持っていたから、このセリフのシーンをなんどもなんども繰り返し観てしまった。

自分はこういう考え方をする、といったような話を人とすることは少ない。だけどもう何年も前に好きだった女性と話していたとき、なんの流れからか「ぼくは運命を信じない」という話をすることになった。じゃべったのはだいたいこんな感じの内容。

「運命なんて無い。だって今まで生きてきた中で、大きい選択も小さい選択も数え切れないくらいたくさんあって、それらを積み重ねた上に今があるんだから、ぼくらが今ここにいるのも奇跡的なことだけど、運命なんかじゃない。」

ロマンチストか。


『君の膵臓を食べたい』を観て、やっぱりぼくは今でも同じように考えるし、考えが少し更新もされた。

大事なのは劇中でも言われている「自分の意思で」という部分。「偶然」とか「運命」ということばを使うと、いわゆる大いなる意思などの別の力によって今がもたらされた、というようなニュアンスが含まれてしまう。積み重ねた「自分の意思」の結果として今がある、と考えると、自分の責任としてきちんと受け入れられる。そんな気がする。

この考え方をすると余計に辛いし酷だ、という状況も数多く頭に浮かんでくるから、人に強制できるような考えではない。強制するつもりもないけど。

でも少なくとも、いい出来事に関しては「偶然でも運命でもなく、自分の意思の結果」と思える方がぼくは嬉しいし、幸せだなあ、と。


今日もありがとう、またね。

「スキ」が元気のみなもとです!