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#8 元教員がつくる【新しい学校】

ども!まっさんです。
ボクは2022年3月に12年間続けた公務員(教員)を退職して、現在はプロのフォトグラファー・ライフコーチとして活動しております。
(ご依頼はInstagramのDMにて♪)
https://www.instagram.com/masa.wls/

また、NO NAME ACADEMYという新しい学校を創っています。

今回は、教員だったボクが、新しい学校をつくろうと思った経緯と、その学校の内容について書いていきます。

初めにボクのスタンスを明確にしておくと、学校教育は必要だと思います。ただ、全ての人にとって必要かというと、そうではないという考えです。

①現代の学校教育に対する違和感

ボクは12年間、学校の教員として働いていました。子どもたちと過ごす日々はとてもわくわくしていて、同じ1日はなく、毎日が成長と発見の連続でした。だからこそ、その仕事にやりがいを感じていたし、天職だと思っていました。

毎日が充実していた教員時代のまっさん

ただ、12年も教員をしていると、様々なことに違和感を持ち始めます。
色々ある中でも強く感じていたのは2つ。

◆「同じ地域の同じ年齢の子どもたちで6年間、または9年間を一緒に過ごすことって、かなり世界が偏ってしまうのではないか」

これだけネットワークが発達したグローバルな現代社会の中で、毎日同じ人と会うことが、全ての人にとってどれだけ意味があるのかと思うんです。

ボク自身が教員をしていた時に、毎日大好きな友達と会えて学校が楽しいと感じる子がいる一方で、毎日会わなければいけないから苦痛に感じているという子どもにも出会ってきました。

もちろん、相手と深く向き合って、相手を理解しようとする姿勢であったり、程よい距離感で関係を築く力を養うことは大切だと思います。

ただ、1年間同じ人間関係の中で同じ取り組み内容を6年〜9年繰り返すことで、それ自体を苦痛に感じたり、かなり限定的な世界になってしまったりする子もいるのではないかと思うんです。

自分が求める人間関係や環境を自分で選んで取り入れたり手放したりする中で、その子の世界が広がっていくのではないでしょうか。

◆「子どもが夢中になりにくい状況になっていないだろうか」

何かにハマっている時って、時間を忘れて夢中になって取り組みますよね。そして、結果的にその分野の知識や技能が高まって、「もっと知りたい!もっとやりたい!」となって世界がどんどん広がっていく。その先に「社会とつながること」「価値を生むこと」があると思うんですね。

ただ、現在の学校教育はみんなが同じ時間に同じことをして、一定時間経つと別のことをするというスタイルになっています。効率良く様々な内容に触れられるという良さの反面、「もっと知りたい!もっとやりたい!」という子どもの能動的な姿勢を摘み取ってしまう可能性もゼロではありません

ボクは、自分がやりたいことを自分で選択して、とことん取り組む空間が今の子どもたちにとって、もっと必要なんじゃないかと思います。
社会の中に‘答え’が多様にある、今の時代だからこそです。

放っておいたら時間を忘れて数時間ブロック創作をするマイサン
この時は服を着るのも忘れている

一人ひとりが「これがやりたい!」という気持ちに素直に行動に移し、会いたい人に会って、行きたいところに行って、様々な人間関係を構築して自己実現に向かうその過程に「自分の人生」を感じて、わくわく生きることにつながっていくのではないかと考えるんですね。

②そもそも「教育」って?

大辞林(第三版)によると、以下のような意味が掲載されています。

「教育」とは… 他人に対して意図的な働きかけを行うことによって、その人を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により、家庭教育・学校教育・社会教育に大別される

大辞林(第三版)より

ここでのポイントは2つ。
他人に対して意図的な働きかけを行うということ。
学校教育では、それぞれの自治体が掲げる教育ビジョンがあり、それに基づきそれぞれの学校での教育ビジョンがあり、それに基づいた学年・学級ビジョンに則って活動がすすめられます。
家庭教育では、家族のふれ合いを通して、基本的な生活習慣や生活能力、人に対する信頼感、他人に対する思いやり、基本的倫理観、自尊心や自立心、社会的なマナーなどを身につけていくという重要な役割があります。
社会教育では、知識や技能を身につけさせるなどと行った明確な意図があります。

その意図によって、日常的な活動が決まってくるので、教育する立場にどのような意図があるのかが非常に重要になってくるわけです。

二つ目は、その人を望ましい方向へ変化させるということ。
ここでボクが気になっているのが、その人を「誰にとって」望ましい方向へ変化させることなのかということ。

これに対して、「その人自身」ということ以外の答えをボクは持ち合わせていません。「他者」のために生きているのではないし、「社会」のために生きているのでもないと思います。

つまり、ボクにとって教育とは、教育する側の立場から見た言葉で、「意図的な働きかけを行うことで、その人がその人にとって望ましい方向へ変化させること」というように理解しています。

③これまでの学校教育(まっさん調べ)

◆江戸時代の寺子屋

戦乱のない安定した社会となった江戸時代では、営利を目的にした出版事業が庶民にも広がり、文字を学んだり将来職に就く際に必要な知識の習得したりすることの重要性が高まった。
そういった教育は、本来家庭内でおこなわれていましたが、十分な教育を行えなくなった親が、子の教育を外部委託する形で寺子屋が広まっていった。そこでは、一人ひとりの特性に応じた個別の教育がされていたようです。

しつけにも力を入れて、一人前の人間を育てていた寺子屋

つまり、ここでは「人として自立して生きる」ために、その人を「その人にとって」望ましい方向へ変化させるという意図があったと考えられます。
個人的にこの寺子屋のスタイルが絶妙だと思います。

◆明治5年に寺子屋から小学校へ

明治政府は、欧米諸国が東アジアに勢力をのばしていることに危機感を強めていた頃、「 富国強兵 」というスローガンを掲げ、 産業の発達と軍事力の強化 を目指しましたんですね。軍事力や経済力に優れた欧米諸国に対抗するため、 経済を発展させて国を強くしよう と考えたんです。

だから明治政府は、「国を強くするためには 国民に教育を施すことが重要だ 」と考えました。1872年には 学制 が公布され、小学校から大学校までの学校制度が定められたのです。

効率よく学べる一斉授業

つまり、ここでは「国を強くする」ために、その人を「国にとって」望ましい方向へ変化させるという意図があったと考えられます。

◆明治23年 教育勅語が発布される

当時の日本は早急に欧米諸国に追いつくために『富国強兵』の近代化政策を推し進めていましたので、国の為に国民の気持ちを一つにする必要があったんですね。
だから儒教の教えをもとにした“忠君愛国”の教育をすすめたんです。

教育勅語の全文

つまり、ここでは「国を強くする」ために、その人を「国にとって」望ましい方向へ変化させるという意図がさらに強められたと考えられます。

◆昭和16年 国民学校令が制定される

戦時体制が進んでいく中、教育も戦時色が濃厚になっていったんです。それまでの学校が国民学校へとなり、国民の基礎的錬成をなす学校とされました。心身を鍛え、国のため天皇のために身を捧ささげることが求められたんですね。
 子どもたちは将来の戦争の担手であるため、学校では軍国主義教育が推し進められ、儀式や学校行事、団体訓練が重視されました。

国のため天皇のために鍛錬する日々

つまり、ここでは「国をより強くして、国や天皇に身を捧げる」ために、その人を「国や天皇にとって」望ましい方向へ変化させるという意図があったと考えられます。

◆昭和22年 教育基本法が制定される

日本の教育基本法第1条は次のとおり教育の目的を明記しています。

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第1条 (教育の目的)|文部科学省)

つまり、「人格の完成・平和な国や社会の形成・心身ともに健康な国民の育成」をするために、その人を「その人や国、社会にとって」望ましい方向へ変化させるという意図があると考えられます。

◆これらを踏まえると

かなりざっくりとしたまとめでしたが、それぞれの時代で、時代にあった教育がされてきました。戦前と戦後は大きく変わったし、現在でもマイナーチェンジをしながら日々、教育は変わり続けています。

これまでの教育を否定するつもりは一切ありませんが、ボクはこれからの教育を考えた時に、江戸時代の寺子屋スタイルが現代においても十分通用するの教育スタイルなのではないかと思います。理由は以下の3点。

 ・自分のために学んでいたこと
 ・自分の学びたいことを学んでいたこと
 ・寺子屋によって理念が様々だったこと

④違う選択肢があってもいいんじゃない?

ここまでこれまで日本が行なってきた学校教育について考えてきたんですが、ボクは思うわけです。

学校教育が教育の全てではないんじゃないかなって。

もちろん、学校教育にも良いところがいっぱいあります。ただ、日本の国が主導で行なっているから、全ての人にとって必ずしも最良ということはないと思うんです。

ただ、今回の感染症対策でもわかったように、社会には様々なニーズがあって、全ての人にとって「これが正解」というものはないんです。「国がすすめている施策だから安心」と思う人とそうでない人がいるんです。

それは教育でも同じだと思うんです。
既存の学校教育のシステムを必要としている人もいれば、そうでない人が学校教育ではない手段を使って教育をすすめることがあっていい。

仲間が運営する長崎のオルタナティブスクール「おうち楽幸」

多様な価値観があって、多様な生き方がある。web3の世界がそこまできていて、バーチャル世界での可能性も本気で考えていく時代です。

だからこそ、教育も多様であるべきだと思います。

⑤ボクにできること

だから、ボクなりのやり方で、子どもがわくわくできる社会に近づけていきます。
そこで現在、NO NAME ACADEMYという新しい学校を創っています。
学校理念は「こどももおとなもわくわく」。

まずは自分自身が自己実現を重ねてわくわく生きる、そして結果的に価値を提供していく個人となり、わくわくした社会を創る一員となっていく。

NO NAME ACADEMYのシンボルマーク
一人ひとりの心に火が灯って自己実現していくことを表しています

大切にしていることは以下の5つ。
  ❶その選択肢があることを知ること
  ❷自分はできるということを知ること
  ❸実際に行動に移すということ
  ❹行動に移した先に、社会に影響を与えられるということ
  ❺それらを自分で決めるということ

NO NAME ACADEMY -online-

主に12〜15歳を対象にオンラインで定期的にセッションをしています。保護者とその子と三者面談を行った後に、大まかな方向性を確認します。そして、その子とボクとで1時間程度のセッションをします。

内容は一人ひとり違います。傾聴をしながらカウンセリングをしたり、ティーチングをしたり、がっつりコーチングをする場合もあります。

アカデミー生の感想

とにかく子ども一人ひとりの心に火が灯って、その子がやりたいことを全力で応援していきます。

NO NAME ACADEMY -offline -

主に6〜12歳を対象に、リアルの場で学び、自己実現できる空間づくりも進めている。と言っても、現在は物件探し真っ最中。

先日、隣町の方に「子どものために使ってくれるなら」と、場所の提供のお話を頂きました。(本当にありがとうございます!!)
早速物件を見学させて頂き、かなり広い土地に大きな家や倉庫がありました。しかも、この家の前の持ち主の方は元教員で、敷地内の建物で塾をされていたそうです。
「この地に、さらに子どもたちの声が戻ってくるのを、前の持ち主の方も喜ぶのではないでしょうか」という現オーナーの方の言葉に鳥肌が立ちました。

NO NAME ACADEMY 予定地

今後はボクができる範囲で定期的にプロジェクトを立ち上げていきます。
そこでは近隣住民の方はもちろん、参加してくれる子どもたち、ゆくゆくは宿泊できるようにして全国のNO NAME ACADEMY生の交流の場にもしていきます。

⑥費用

この学校創りは、ボクが身銭を切ってでも取り組みたい「仕事」です。ただ、十分な資金がないと持続可能な取り組みではなくなってしましまいます。
だから、様々なところから現在資金を集めています。

・フォトグラファー業 (収益の2割)
・コーチング業(収益の2割)
・有料note(収益全額)
・寄付

そして、集まった資金は以下のことに使います。

・offline ACADEMY のプロジェクトに係る経費
 (建物修繕・作物栽培・教材購入など)
・online ACADEMYのセッション費
・全国の教育機関の視察に係る経費

だからこそ、ボク自身はフォトグラファーとしてもライフコーチとしても、今よりもさらに突き抜けられるようにアップデートして、ボクに関わる大人をわくわくさせていきます。

そして、NO NAME ACADEMYの資金を集めて、子どもたちに還元していきます。
そこで、子どもたちが自分の人生にわくわくしながら生きることで、大人もさらにわくわくした人生を見つめ直し、子どもも大人もわくわく生きる社会を目指していきます。

まだまだ小さな一歩だけど、人生をかけてやり抜きます。

今日も明日も、わくわくいきましょう。

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