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決めたくない、決められたくない

ずっと書きたいと思っていたけど、勇気が出なくて書けなかったテーマがある。

それは自分の中にある性の「あいまいさ」についてである。

ちなみに、今までの私の投稿とは違い「である調」なのは、多分より自分のパーソナルな部分に触れているからだと思う。読みづらい部分があったりするかもしれないが、お許しいただきたい。

どこから書き始めたら良いのかわからないのだけれど、ひとまずこの投稿を書くことになったきっかけから始めたい。ブルーピリオドという今話題の漫画のワンシーンだ。

この登場人物龍二(ユカ)は男性の身体を持っているが、女装をしており、男性に恋することが多い。龍二の性的指向については、作中ではわかりやすい形では明言されていない。

女装をしたこともないし、男性に恋をしたことも今の所ないのだけど、私はこのシーンに共感しすぎて泣きそうになった。特にこの、

"俺が女子に好かれてるのは俺がこんなだからさ"
"女心を理解してくれるけど自分を性的に見てこない"
"時には女同士じゃ言えないことも言ってくれる"

というセリフが、私をこの投稿を書くところにまで持ってきてくれた。多分同じことに悩んでいる人は私だけではないのだろうという確信がようやく持てた。

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私は、いわゆるシスジェンダーノンケ(身体と性自認が一致していて、異性を性的対象としていること)である。もっとわかりやすい言葉でカテゴライズするなら「『ノーマル』の男性」と言ってもいいかもしれない。

でも、趣味嗜好が非常に「女子」っぽい。甘いものが大好きだし、ビールは苦手でフルーツカクテルの方が好きだし、朝は大抵淹れたてのミルクティーで優勝するし、休日はカフェにいることが多い。一番人を幸福にする食べものは焼きたてのぶどうパンだと思っている。共感性も高い方だと思う。

友達も、女性の方が圧倒的に多い。割合にすると、9:1か8:2ぐらいである。というか、大抵の場合男性とずっと話すのが得意でないのだ。特に男性集団に入ると何を話して良いかわからず、だいたい黙って愛想笑いしているか、無理して話してノリが合わず自爆するかのどちらかだ。

ここまで読んでも、違和感を感じる方はそんなに多くないかもしれない。最近は、フェミニン男子という言葉やそう呼ばれる人たちが一般的になりつつあるから。

ただ、この「女性的な男性」というラベリングに、私は非常に苦しんでいる。「男らしさ」は苦手だが、別に女らしくありたいわけでもないからである。たまたま好きなものたちが、「女性的」とされるものばかりだっただけなのだ。

それに、いかにフェミニンだろうと私は女性にはなれないし、女性から女友達と同じようには接してもらえない。どんなに仲が良かろうと、女友達と一緒に旅行にはいけないし、相手にパートナーができたら気は遣う。連絡取り合うのだって女性同士ほど気軽にはできない。

気になる女性に対しては恋愛欲求も性的欲求も起きるから、相手に心惹かれている時、人としてなのか、性的対象としてなのかなど、無駄に悩む。下手に恋愛感情なんかをもってしまって、距離を置かれるのが怖い。

要するに、いつも宙ぶらりんの状態なのである。男性同士の馴れ合いや友情の輪の中にも入れなければ、女性同士の親しい関係性にも入れてもらえない。本当はもっと関わりたいのに、自分は「男性」だから遠慮してしまう。もしくは近づきすぎると距離を置かれてしまう。だから、実際に「男友達」として一線を引かれると途端に悲しくなるし、もうその人とは友達ですらいたくなくなってしまう。

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「そのうち割り切れるようになるよ」
「もう振り切ってチャラ男キャラでいけば?」
「女性だったら楽だったんだろうね」

と言われることがある。

自分でも、いっそ自分が女性だったら、ゲイだったら、チャラかったら、もっと楽に生きられたのかなと思うことがたまにある。何かしらわかりやすいキャラやカテゴリーに振り切れたら生きやすいのかもしれない。でも、私は女性になりたいわけではないし、男性を好きになりたいわけでもない。他人を攻略対象として考えるなんてごめんだ。

あいまいで、繊細で、わかりづらいのが私なのである。何かキャラを纏おうとした瞬間に、私は自分を見失ってしまう気がする。

ブルーピリオド


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話は変わるが、昨年の夏、所属していたデザイン専門学校のブランドショップづくりの課題で、メンズ向けの化粧品ブランドを制作した。

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ブランド名はambi(アンビ)。名前は、"ambiguity(あいまいさ)"の頭の文字からきている。メンズ化粧品ブランドの主要路線である、男らしいビジネスユースのノリには違和感を感じるけど、かといってりゅうちぇるさんの様なカラフルでポップなノリにも乗れない。そんなメンズ向けのブランドだ。

配色は男性寄りだが、手書きのパターンを用いて優しさや可愛らしさを出している。キャッチコピーは、「決めたくない、決められたくない」


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この作品のメッセージを一言で言い表すならば、「あいまいさへの愛」である。そしてこのメッセージは、自分の中の「あいまいさ」への決意でもある。

私にとってこの作品は、デザインであるとともに自分を示すアートでもある。デザインとしては未熟だし、目を引くような素材も仕掛けもないが、私はこの作品をとても気に入っている。


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きっと、私の悩みはそう簡単には無くならない。なぜなら、人が何かをカテゴライズをしないなんてほとんど不可能だからだ。それは言語を無くすことに近い。言語の主要な機能は見えている世界を分節することにある。

しかし、だからこそ、せめて自分は、世の中の大きなカテゴリーの間をすり抜けてしまう小さくて弱いあいまいさに、愛をもって関心を寄せていきたい。

この投稿も、自分の思っていることを書き殴ったとはいえ、おそらく同じことを感じている人が自分一人だと思い続けていたら書かなかっただろう。

私自身を言語化したものが、少しでも誰かの救いになっていったら、生きている価値があったと思う。

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