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『情報』というものの価値と、扱い方の怖さ

四半世紀における変化

ネット社会が当たり前になり、日常的にその恩恵を受けている現代。
四半世紀前と大きく変化したのは、『情報』というものの価値です。

例えば、僕らが子供の頃はバスケが上手くなりたいと思っても、毎月25日発刊の月刊バスケットボールを見るか、図書館に行ってバスケ指導の本を読むか、直接先生や先輩方から指導受けるかの選択肢しかありませんでした。

それが現代では、SNSやYouTubeなど各種インターネットにおけるプラットフォームからいくらでも知りたい『情報』は知ることが出来るし、海外の最新情報なんかもリアルタイムで入手できるという素晴らしい世界になりました。

情報が持つ怖さとその正体

僕自身、インターネットを基盤としたビジネスに長年携わってきたからこそ恩恵を受けた部分、その逆に潜むある意味での怖さのようなものは、少なからず感じてきた人間であり、ITに縁遠い職業の方やあまり興味のない方よりは敏感なほうだと思います。

最近、色んな視点で物事を考えている中で(考えることが多い職業 苦笑)、モヤモヤして、頭の中でいつも似たような壁にぶち当たることがあります。

それがまさにタイトルに記載したネット上における『情報』というものの価値と、その扱いの怖さから来るリスク面をどうヘッジしていくかという壁です。

ヘッジするには、その正体を知らなければなりません。
そして恐らくその正体は、『情報のレイヤー化が起こす相互理解の不能』です。

何を小難しいこと言ってるんじゃこいつは。。。っていう話だと思いますが(苦笑)

わかりやすく噛み砕くと、『とある情報を知っている者同士のネット上での議論が、お互い同じ情報を前提としているはずなのに、実は双方の情報の精度に大きな乖離がある状態』という絶対にわかりあえない状態のことを『情報のレイヤー化が起こす相互理解の不能』と言っています。

現代は、情報収集が便利になった一方で『情報』自体が実は何層にもレイヤー分けされているという実態を知らぬまま、それを鵜呑みにしたり拡散したり、信じたりする層が非常に多く、そこから引き起こされる様々なトラブルがある意味での社会問題になっているのだと感じます。

『一次情報』『二次情報』『三次情報』まで情報の価値は分かれており、その取り扱いは、ネタ元に近いほどセンシティブであり価値が高く、ネタ元から遠ければ遠い程、真実性が欠ける。

そのレイヤーの違いを一切考えずに一義的に『情報』そのものを取り扱う人が多ければ多いほど、『一次情報』である真実も表には出ないし、『三次情報』以下レベルの真実ではないことが逆に流布されてしまったりする。

これが怖さの正体です。
この怖さをヘッジして、どうやって正しいことを広く周りに伝えていけるのか?
モヤモヤの先にある個人的な課題です。

怖さに向き合うために実践していること

個人的な対策として、

✅できる限り『一次情報』を収集しようと努力すること
✅『情報』に関わるステークホルダーは誰なのかを考えること
✅ワンソースではなく複数ソースから『情報』に触れること
✅多角的に『情報』の価値を見ること
✅秘匿性と公共性も加味すること

ざっくりこんなことを念頭に置いて行動しています。

『情報』は知っているからすごいとか、偉いという話ではなく、どのように扱って、活用していくのかが重要だと考えています。

『一次情報』を知るためには当事者や、知りたい情報が手に入る世界に自らの身を置かなければ手に入りようがありません。

また、その上でステークホルダーの存在を理解し、その『情報』自体がどういう影響を及ぼすのかまで想像することが大切です。

加えて、しっかりとしたファクトチェックをする上でも複数ソースを持つことも非常に重要です。

そして、色々な角度からその『情報』自体を評価する。

公共性がある話なのか、そうではないのかをジャッジして『情報』を取り扱う。

本質的な『情報』はこれほどまでに価値が高いはずであるというのが持論です。

情報弱者ではなく情報取扱弱者が多い

実際問題として、SNS等であふれる議論の殆どは『二次情報』以下の話を前提で議論が展開されることが多いと思います。

それ自体はエンタメとしても良いかもしれない(芸能ゴシップ的な話や、NBAトレード話など)し、全然否定しない。

ただ、これが特定の人物への誹謗中傷に繋がること。
それによって特定の人物が必要以上に不幸になること。
または、本質的に間違っている内容が正しいことであるように広く伝わってしまうこと。

これは誰も幸せにならないことだと思うし、あってはならないことだなと思う。

本来は取り扱うべきではない人たちがカジュアルに『情報』を収集できるようになったが故に、情報取扱弱者が増え、くだらない炎上や、くだらない議論が散見される時代になったというのがネット社会の闇でしょう。

自らが情報取扱弱者にならないためにも、一呼吸置いてから知り得た情報の取り扱いをどうすべきかを考えるというクセをつけると良いのかもしれません。

終わりに

久しぶりのnoteで書くようなことではないかもしれませんが、ふと頭の中に思い浮かんだこととして残しておきたいと思ったため、書きなぐりました。

あしからず、また気が向いたら何か書きます。
読んでくださった方、ありがとうございました。


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