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スタートアップに思うこと

マネーフォワード取締役執行役員、マネーフォワードビジネスカンパニー COOの竹田です。

今回のnoteのテーマは「スタートアップについて」です。

ここ数年、ICCサミット(「Industry Co­-Creation(ICC)サミット KYOTO 2024」)に毎回参加させていただいていますが、そのICCの熱量に触れて、ふと振り返ってみたことを徒然と書いてみました。


はじめに:ICCの熱量

いつもICCサミットに参加すると、心の奥深くに響くものがあります。

今年も9月2日〜9月5日に開催されたICCに参加してきました。数あるセッションやワークショップの高い意義性や享受できる価値の高さはもちろんなのですが、中でもスタートアップのリーダーたちが、自らの信念や夢を語り、全力で未来を築こうとするその熱量、やり切る力、覇気のようなものからいつも刺激とパワーをもらっています。

今回の「ガーディアン・カタパルト」では、マネーフォワードから新卒3年目の杉田さんが登壇し、3位に入賞しました。感動するので、ぜひプレゼン内容ご覧ください!

ただ、同時に私はICCに参加するといつも、ある種の危機感も覚えています。それは「今、自分は本気で挑戦しているのか」「1日1分1秒を真剣に、丁寧に過ごしているのか」ということをストレートに問われる場でもあるからだと思います。

メジャー・デビューの夢

自分のこれまでを振り返ってみると、私が自らの意思を持って選んだ最初の挑戦は音楽(バンド)の道でした。

ちょっと恥ずかしいですが、バンドを始めたのは、中学生の当時、すでに解散して伝説的な存在になっていたBOØWYに憧れたのが直接的なキッカケだったと思います。

本格的に没頭したのは大学に入ってからです。音楽サークルで知り合った仲間とバンドを組み、曲を作り、練習して、やがてライブハウスのオーディションを受け、少しずつイベントに出たり、ライブができるようになっていきました。

当時の我々のバンドの主な活動場所は下北沢。Hi-STANDARDやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTなど、90年代初頭に下北沢で活動していたバンドがヒットして以降、聖地のような場所になっていた90年代後半の下北沢には伝説的なライブハウスや、当時の音楽シーンを象徴する名店がいくつもありました。

我々のバンドは、「Club 251」という、のちにデビューするBUMP OF CHICKENがよくライブをしていた箱がホームのライブハウス。本当は、超老舗と言われていた新宿LOFTの姉妹店「下北沢SHELTER」の夜のイベントに出たかったのですが、そこはなかなかに競争力が高く、最初に土日の昼のオーディションをクリアして実績を出さないと夜にはブッキングしてもらえません。

我々は何回かチャレンジしたものの、快い返事はもらえませんでした。しかも、何度目かのオーディションの際、”厳しい助言”をしてくれたブッキングマネジャーさんに、全部の曲を書いていたボーカルが「オレたちの音楽が理解できない人のライブハウスに出るのはこっちからお断りだ!」などと啖呵を切ってしまう始末。

ちなみに、今書きながら思い出したんですが、それから20数年後、スタートアップで資金調達に奔走しまくっていた時に、やはり同じように”厳しい助言”をしてくださったVCの方に、似たようなことを言ってしまったことがあります。学習していない自分に呆れつつ、バンドとスタートアップは似ているなとも思います。

話を元に戻すと、そんな感じで、態度は生意気で自信もあったわけですが、しかし実態は真逆で、まったく自信の持ちどころは見当たらない状態でした。観客はいつも数人で、しかもほとんどはサークルの友人とその知り合い。クラスの友達に頭を下げて観に来てもらったりしたこともありましたが、一度目は非日常を楽しんでくれても二度目はまず来てきくれません。固定ファンがつくなんて、想像すらできない日々でした。

そんな状況なので、活動すればするほど出費が嵩みます。練習スタジオ代、デモテープの録音代、機材や楽器にかかるお金、そして、ライブもチケット収入が支出を上回ることなどあるはずもなく、金欠学生にはなかなかの負担でした。

結果として、ほぼ大学には行かず、バイトとバンドに明け暮れる日々を過ごします。

そんなある日、同じ大学のサークルの先輩バンドがメジャー・デビューすることになったというニュースを耳にします。しかも、そのバンドのドラマーは新入生歓迎セッションのときに初めて会って以来、そのプレイに心酔して勝手に自分の師匠と慕っていた方でした。ドラムのことは、何を聞いても「エイトビートをちゃんと叩くこと」しか教えてはくれませんでしたが、たまにサークルの溜まり場で見かけたり、飲み会で一緒になった時は本当に嬉しかったことを覚えています。

そんな先輩がメジャー・デビューする・・・!
そもそも、自分が直接話ができる距離の人たちが、CDをリリースするなんて経験はそれまでありませんでしたから、それはそれは衝撃的な出来事でした。

そんなこともあり、光なんて全然見えない日々だったのに、まったく憧れの火が消えることはなく、「先輩がデビューを果たした年齢までに音楽で生計を立てる」「絶対にメジャーデビューだ!海外ツアーだ!」と熱く燃え上がっていました。

初代iMacとサイバーエージェント

そんなある日、インターネットに出会います。

ライブを一緒にやった他のバンドが、めちゃくちゃかっこいいバンドのホームページをつくってオリジナルの楽曲を世界に配信していたのです。そのバンドが配っていたデモテープのジャケットやチラシもすごくカッコよかった。

こんなことが自分でできるのか!パソコンすげー!インターネットヤベエ!

大いに触発されて、飲食店の深夜バイトと、土日の日雇いバイトを掛け持って稼いだお金と、親にも「パソコンの必要性とインターネットの未来」みたいなプレゼンをしたりして、なんとかお金をかき集めてパソコンを買いました。

手にしたのは、当時世界的に衝撃をもたらしていたAppleの初代iMac*。

*1998年に発売されたアップルの初代「iMac」。 一度はアップルから追放されていたスティーブ・ジョブズが暫定CEO(最高経営責任者)として復帰してから最初の製品です。

しかし、どうやればこのスケルトンの箱からかっこいいホームページを公開して世界に音楽配信ができるのか、イケてるチラシやジャケットはどうすれば生み出せるのか全くわかりません。

誰かに習いたくても詳しい人は身近におらず…というか、そもそもパソコンを持ってない人の方が圧倒的に多い時代です。どうしたものか。

大学のパソコンルームで、たまたま隣に座った詳しそうな人に教えてもらっていたおかげで、Yahoo!とかいう、「やほー」なのか、「やっほー」なのか、なんて読むのかわからない検索サイトにアクセスすることはできました。

そのページに思いつくワードを入れたりしながら、画面を眺めていた私の目に飛び込んできたのが、サイバーエージェントの藤田さんの日記でした。

「今日から日記を書きます」から始まる、ベンチャー企業の、リアルで、本気で、真剣で、全部に全力な毎日の出来事は、当時の私にとって、他のどんなベストセラー小説よりもおもしろく感じました。アップされていた日記を全部、時間を忘れて読み耽ったことを覚えています。そればかりか、あまりに気に入って、日記をプリントアウトしてカバンに入れて持ち歩いていたほどです。あの時のプリントアウトした紙は今もクローゼットの棚の中に入っていると思います。

私の心は決まりました。「サイバーエージェントでバイトして、パワーユーザー*になる!」
*パワーユーザーとは、当時、パソコンを日常的に自在に操り、パソコンに精通しているユーザーのことを指した通称

スタートアップの衝撃

しかし、残念ながらサイバーエージェントのバイト面接は落ちてしまいました。

ただ、その面接はとても印象に残っているので、少し話は逸れてしまいますが、ちょっと触れたいと思います。

担当してくださった女性の面接官は、たまたま当時住んでいた家が互いに近かったこともあって、最初から話は盛り上がり、その流れのまま、バンドに本気で取り組んでる話から、サイバーエージェントでアルバイトをしたいと思った理由まで、おそらくかなり暑苦しかったであろう私の話をずっと興味を持って聞いてくださいました。そして、一通り聞き終えた上でこうおっしゃったのです。

「竹田くん、本当に本気でバンドやってるんだね!それがとてもよくわかったから言うんだけど、悪いこと言わない、バンドとサイバーエージェントの両立はやめた方がいい。っていうか無理だと思う。本当に叶えたい夢に、全力で向き合った方がいいと思うよ。」

その言葉は、今もシーンごと覚えているくらい印象に残っています。
一学生の私に、あんなふうに正面から向き合った上に、心からの言葉をかけて下さったその面接官の方には今でも感謝しています。

話を元に戻します。
サイバーエージェントに受からなかった私は、それでもパワーユーザーになって、バンドの宣伝をしたい熱は冷めやらず、その後、手当たり次第にバイト雑誌で、ネット系と思しき会社に応募をしまくります。

そうして、縁があった会社が、後にネットバブルの寵児と言われながら、多くの話題を提供することになるクレイフィッシュというスタートアップでした。

そこで私の人生は大きく動き始めます。

当時のクレイフィッシュには、20代半ばの若者たちが肩を寄せ合って、オフィスは昼夜問わず熱病におかされているような活気に満ちあふれ、世間の荒波に揉まれながらも、日々夢に向かって思いっきり生きている姿がありました。

そうです。あの藤田さんの日記の世界そのものが目の前にあったのです。
そして、入ってすぐにあのサイバーエージェントの面接官の方の言葉の意味もわかりました。そこは「仲間と一緒に夢を追いかける」場所であり、私が仲間と目指していた音楽の道となんら変わらない熱狂の世界があったのです。

私はそこで仕事をするうちに、「仕事とは生計手段ではなく、夢を実現するためのフィールドなんだ」ということをさらに強く思わされていきます。

友達になったデザイナーから教えてもらったりもした結果、当初の目的だったパワーユーザーにも近づくことができました。少し前まで憧れでしかなかったバンドのホームページや、デモテープのジャケットもつくることができるようになりました(まったくカッコよくはできなかったですが)。

ただ、そのスタートアップで、日々多くの困難を乗り越えて躍動している社員と一緒に過ごすうちに、少しずつ、私はバンドのことよりもその会社の一員として頑張ることのほうが心の中でメインになってゆきました。

そしてクレイフィッシュが上場を果たした日、その思いは確信に変わります。

「なんだ、バンドでやりたいことと、スタートアップでできること、全く同じじゃないか」

その日、そこには苦難を乗り越えた人にしか得られない感動のシーンがありました。さながらそれは、優勝なんかおよそ不可能と言われていた弱小チームが、ついに甲子園優勝を果たし、マウンドで抱き合っているような、そんな光景でした。

「この輪の中にオレもレギュラーとして入りたい」

心から強くそう思ったのでした。

最後に:挑戦のチケット

そうして足を踏み入れてから25年、ずっとスタートアップの道を歩んできたわけですが、私の思いは25年前のその時から何も変わっていません。

難しいことでも、エラそうなことでも、キレイゴトでもなく、シンプルに私は

バンドでメジャー・デビューする!世界ツアーをする!

このノリのまんま、何も変わらず、仲間と夢を実現したいと思っています。
そして、その夢は絶対に実現する。なぜなら、できると思ったことは必ず実現するから。そう思ってやってきましたし、今も、そして未来もそうです。

あの、仲間と分かち合う最高の感動のシーンが何回もある人生を、これからも歩んでいきたいと思っています。

ICCという、全員対等で全員真剣なあの場は、きっといつもその原点にある私の思いにダイレクトに触れてくるんだと思います。

世界を見渡すと、GAFAMのような巨大企業が大きな力を持ち、日本の企業はそれに遠く及びません。25年、同じ時間をインターネット×スタートアップという同じ道で過ごし、頑張ってきたはずなのに、その差は圧倒的です。

その現実を目の当たりにしながら、私はマネーフォワードという舞台で、いままた最高の仲間と共に挑戦するチケットを手にしています。

マネーフォワードは、夢に向けて始まったばかりのスタートアップです。
夢を抱き、仲間と共に限界を超えようとするその瞬間が、私にとって最も輝いている瞬間です。

そして、その夢がどれほど大きくても、仲間と共に挑み続けることで、必ず未来は開けると信じています。

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