“強いチーム”と“弱いチーム”
“強いチーム”には言葉があり、
“弱いチーム”には言葉がない。
「才能を超えるのは思考。思考をつくるのは言語。」とは格闘家の青木真也の言葉だ。
言葉のないチームは思考がない。思考がないチームは受動的な表現をする。概念が統一されていなかったり、プレーを表現する言葉を持っていなかったり。受動的な表現をするということは技能で勝負をすること。更には技能が発揮しきれないことを意味する。
そのことから
“強いチーム”はやろうとしているか否かという意思にフォーカスを当てる。
“弱いチーム”はできたか否かという技術にフォーカスを当てる。
スポーツとは相手の妨害が入ることや、環境の変化が伴う条件下においていかに技能を発揮し、技術として表現できるかが極めて重要である。
技能が高いだけではリフティングの上手なサッカー選手だ。その点、技術はやろうとしてもできないことが多々ある。それが理解できているチームはシュートが入ったことや、ヒットが打てたという結果にフォーカスを当てない。
だから
“強いチーム” は取り組みに対する誇りがあり、
“弱いチーム”には取り組みに対する誇りがない。
技能レベルの高さや、技術の結果は”今現在”においてどうする事もできないし、それは随時過去に変換されていく。自チームについての言葉がないことは、技能レベルの高さや、技術の結果にフォーカスが当たっているからだ。
そのことから
“強いチーム”は大儀と道徳があり、
“弱いチーム”には大儀も道徳もない。
大義と道徳の欠如はチームをクローズにする、身内だけでやろうとする、評価軸が結果になる、大義が減殺する、道徳を喪失する。
大義と道徳はチームをオープンにする、多くの仲間が集まる、評価軸が拡張する、大義が壮麗になる、道徳が高潔になる。
それがメンバーの行動指針となる。
そして
“強いチーム”にはリアリティがあり、
“弱いチーム” は非リアリティを工夫と呼ぶ。
技術習得の方法を2つに分ける。一つは試合の状況にできる限り近い条件下を設定する方法。その際たるものがゲームだ。
ただ、それだけでは技術習得という目的を達成するには不十分だ。あえて難易度を下げることも必要であるからである。
運動における”技能”の難易度を調整する方法は3つある。①距離、②速度、③環境
技術習得を目的とする場合これらの難易度を下げることは有効である。距離を短くしたり、速度を落としたり、行いやすく環境を整えたり。
しかし、改めて書き記す必要もないかもしれないが試合において最高のパフォーマンスを発揮することや、相手に勝利することを目的とした場合、距離に関しては既存のルールに基づき、速度は基本的に最速であり、環境は変化する。
この難易度の下げっぱなし。が非リアリティであり、これを工夫と呼ぶチームは弱い。
“強いチーム”は変数を動かそうとする。“弱いチーム”は定数を動かそうとする。
物事には自らコントロールできる変数と、自らコントロールできない定数がある。
強いチームはその競技の定数を理解している。弱いチームはその本質の理解に欠ける。
であるから、定数を動かすことに労力を裂き、混乱し、失望する。
強いチームは変数を動かそうとするから、簡易的に物事を動かすことができる。
そのことから概念の共通理解が必要となる。
だから
“強いチーム”には言葉があり、
“弱いチーム”には言葉がない。
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菅野雅之
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